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「ミルクマン」書評 息詰まる現実に抗う饒舌な語り

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2021年02月20日
ミルクマン 著者:アンナ・バーンズ 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309208138
発売⽇: 2020/12/01
サイズ: 20cm/391p

【ブッカー賞(2018年)】【国際ダブリン文学賞(2020年)】政治、宗教、暴力で分断された70年代終わりの北アイルランド。ベルファストに住む名前の無い主人公が、18歳の…

ミルクマン [著]アンナ・バーンズ

 そこそこページ数があるし、一人の若い(18歳)女性の濃い描写力のある粘り強い語りで終始する小説。これが面白くてどんどん読めてしまう。
 背景にはどうやら激しい政治的軋轢(あつれき)があり、住んでいるコミュニティとすぐ隣のそれとの間には暴力を伴った命がけの対立があるらしいことがすぐわかる。いやそれどころか同じコミュニティの中でもひとつ間違えばテロが起こる。
 小説の中では固有名詞が見事に消されているが、作家アンナ・バーンズは北アイルランドの中心ベルファスト出身で、まさにこの息詰まる日々が日常なのだろうとわかる。だがしかし、小説の中で名指しは厳しく禁じられているかのようにさえ見える。だが、だからこそ暴力が普遍である世界が読者の近くに迫ってくる。それは主人公女性に名がないことにも通じている。
 ミルクマンとだけあだ名で呼ばれるセクトのヒーローが、ヒロインに近づいてくる。彼の暴力性は噂(うわさ)でしか描かれず、実際にはひたすら粘着的に彼女にまといつくだけだ。それが怖い。
 こうして19世紀文学を歩きながら読むのが好きなヒロインは(荒れ果てた皮肉だらけの世界でこの設定は実にユーモラスで効果的だ)、ミルクマンの無言の圧迫にさらされる。重ねて言うがすべては狭いコミュニティの噂の中で決まってしまう。ヒロインは饒舌(じょうぜつ)に語ってそれに逆らうが、つまり語りを伸ばすことでしか現実に抗(あらが)えないのだと読者にもわかってくる。
 だから読んでいるこちらは「もっと語れ、語ってくれ」と思う。18歳が家族一人ずつの奇妙な逸話を語り、とりあえずボーイフレンドらしき男への愛着を語り、『外套(がいとう)』や『ジェイン・エア』の歩き読みについて語るのを、我々もまた彼女の脇を移動しながら聞く。そうしている間だけはヒロインが本当の危険に出会わずに済むから。語りが終われば彼女も終わるから。
 並走の結末はいかに?
    ◇
Anna Burns 1962年、北アイルランド生まれ。作家。現在はロンドン在住。本作でブッカー賞受賞。

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