分断や反知性主義を乗り越えて
震災直前の2011年初めに完成した修士論文をもとにした著書『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』は震災後まもなく刊行され、大きな反響を呼んだ。福島に原発が建てられた理由を、中央と地方との関係などから読み解き、原発と日本社会のあり方を論じた。被災地の当事者との向き合い方をめぐっては15年刊の『はじめての福島学』で、勝手に福島は危険だ、福島の人は苦しんでいると決めつけないで、などとする「福島へのありがた迷惑12箇条」が論議を呼んだ。
この10年を振り返り、現状について、開沼さんは「祭りの後の倦怠(けんたい)感」と形容する。震災を契機に脱原発運動は大きなうねりとなり、その後の特定秘密保護法や安保法制などでも「デモのある社会」になった。ただ、12年に自民党に政権が戻ると、森友・加計(かけ)や桜を見る会の疑惑が相次いだにもかかわらず、7年8カ月にわたって安倍政権が続いた。「世論はそのたびに反発はしたが、盛り上がりは長くは続かなかった」
福島第一原発の廃炉の見通しはたたず、汚染水の処理をめぐっても結論が出ない。一方で「復興」を掲げる東京五輪や大阪万博、人工知能(AI)、デジタル・トランスフォーメーション(DX)のような「よりよい未来」を語る空気もある。「何が重要な問題かという議題設定そのものが難しく、何を論じればいいかも自明ではなく不透明になっている」と話す。
現場での息長い研究や教育に希望
17年から4年間続いた月刊誌のコラムを2月刊の『日本の盲点』(PHP新書)にまとめた。あとがきで強調したのは「意図と結果のズレをどう引き受けて昇華するか」だ。「不安解消のために示した放射性物質の暫定基準がかえって不安を高めてしまった。アベノミクスは株価を維持したが、構造改革はむしろ停滞している」
解決に向けて示した軸は三つ。(1)右か左かの分断、極端な議論に陥らず踏みとどまる(2)知識ある者の決定に反発する反知性主義を乗り越える(3)皆が自分のいるタコツボの外を見ようとせず、同じ風景を共有できなくなっている現実と向き合う、ことだ。
タコツボ化は、論壇をも機能不全に陥らせている。ただ、開沼さんは「分断は多様性のあらわれでもある」ととらえ、教育と研究に希望を見いだそうとする。高校生や大学生に学びやフィールドワークの場を提供し、「長期的には広義の教養を復権させ、悪貨が良貨を駆逐することがないように、良質な主張が尊重される雰囲気をつくりだしたい」という。
息の長い研究の担い手となる人材育成に取り組もうと、福島県双葉町に昨年できた東日本大震災・原子力災害伝承館で非常勤の上級研究員も務める。「福島は、東京電力や行政関係者、地域住民などの『異質な他者』と向き合うことができる現場。学際的な研究者が欠かせない」
民主党政権で原発事故対応にあたった細野豪志氏との共著『東電福島原発事故 自己調査報告』(徳間書店)を今月出し、佐藤雄平・前福島県知事らが証言した。国内のシンクタンクが2月に出した『福島原発事故10年検証委員会 民間事故調最終報告書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、今後の展望を考える「復興フロンティア」について分担執筆した。
「現状を整理し対応する10年から、未来像を描き実現する10年にしていかなければならない。米シリコンバレーや中国・深センのように、福島を面白い人が集まる場にしたい。福島の『エンドステート』(最終的な目標となる姿)を描く人を支え続けたい」と力を込める。(大内悟史)=朝日新聞2021年3月17日掲載