同調圧力の先 たどり着いた純粋性
昨年5月、その年の「夏の甲子園」である全国高校野球選手権大会がコロナ禍で中止になると発表された。春の選抜大会に続いて、球児の夢舞台が消えた。小説家の早見和真さん(43)は、2日後の本紙寄稿で、選手たちに〈今回だけは、自分の頭で正解をひねり出し、甲子園を失った最後の夏と折り合いをつけてもらいたい〉と呼びかけた。
その「正解」を聞きに、早見さんは約3カ月間、高校野球の強豪である済美(愛媛)と星稜(石川)に密着、普段の練習から夏に開かれた県の独自大会、「甲子園高校野球交流試合」まで取材を重ねた。「挑戦する権利すら奪われた子たちが、どう乗り越えていくかを知りたかった」
早見さん自身も二十数年前、強豪・桐蔭学園(神奈川)の野球部員だった。高校野球は「圧倒的な同調圧力」と「上意下達」が100年間積み重ねられた上にある、と指摘する。どう立ち振る舞うかの「高校野球文法」ができあがっていて、選手たちの本心はほとんど表には出てこない。「でも、2020年の夏は、それらの大前提としてあった甲子園がない。そこで疑問を感じ、どう向き合うかを思考する子はいるだろう、という期待と予想はあった」
だがやはり、取材は思い通りにはいかない。ある日、選手にうれしそうに言われた。「昨日、グラウンドから寮に帰る途中、みんなでコンビニに立ち寄って早見さんの話をしたんです。あのひとはいままでの記者や大人とはちがう。素直に思っていることを話そう、と」。それを言ってきたのは、主将と副主将だった。「でもそれは、チームで存在感のある2人がつくりだした空気でしかない。(密着している)僕を恨み倒しているはずのヤツの言葉さえ聞きたいのに、聞けなくなる」
決して誘導はせず、選手の言葉に耳を傾けた。「きっと、球児を経験した自分にしかできない取材だと思っていた。とにかく、いま起きていることをいま見続けるべきだと思った」
両校で、「これを見るために取材してきた」と思えた場面があった。済美の、甲子園にはつながらない県の独自大会を控えての厳しい守備練習。星稜の、たった一試合しかない甲子園交流試合を目前にした、室内での穏やかな個人練習。早見さん自身、高校野球のつらさは身にしみていたはずなのに、「選手側でいたい」と願ったほど、選手たちは心底楽しそうにしていた。「彼らの『シンプルに野球が楽しい』という境地は本当に信頼に値すると思った」
県の独自大会で4強に終わった後、済美の3年生たちは泣いていたという。ある選手は〈苦しいことばかりでしたけど、楽しかったです〉。甲子園はなかったのに? 〈怒られるかもしれないですけど、だから楽しかったのかもしれません〉
取材の成果は愛媛新聞で連載され、ノンフィクション『あの夏の正解』(新潮社)として今月刊行された。
一連の取材は、自分のためでもあった。08年に球児を描いた『ひゃくはち』でデビューして以降、周囲の期待やプレッシャーがかかる日々が続いた。「勝手にいろんなものを背負っていた」
そして新型コロナという想像し得なかった事態を前に、筆が止まりかけていた。それが、取材を続けるうちに「小説を書くことに対してシンプルな気持ちを取り戻していった。執筆に対する純粋性を完全に取り戻した瞬間があった」。『あの夏の正解』は、2周目のデビュー作のように感じているという。
選抜大会はいま熱戦真っ盛り。「2年ぶりの甲子園」と注目されるが、社会やメディアは、選手たちに余計なものを背負わせすぎだ、と感じる。「『去年の3年生の分まで』『先輩のために』というのは違う。2年ぶり、というのは外野の見方でしかない。きっと人生に一度しかない甲子園だと思って、あこがれてやまなかった舞台に立っていることだけを自覚して、自分のために野球をしてほしい」(興野優平)=朝日新聞2021年3月24日掲載