最初は不安だった。NHK文化センター青山教室でのアメリカ文学の授業のことだ。大学と違い年代が幅広い。しかもオンラインだ。蓋(ふた)を開けたら、僕の予想を裏切る事態が次々起こった。東北から関西まで、全国から多くの人が来てくれたのだ。
有名な作品を選んだのもよかった。例えばヘミングウェイの『老人と海』だ。キューバで漁師をしている老人は、もう三カ月近く獲物を釣り上げていない。と、巨大なカジキが彼の針にかかる。そして大格闘の末、老人はカジキを殺す。だが港に戻る途中、サメの群れに襲われ、港に着いた頃にはカジキは骨だけになっていた。
以前読んだ時には、老人が男らしくカジキと戦い勝利する話だと思い込んでいた。だが受講生と話しながら読むうちに、全く違う話なのではと思った。驚いたのは老人の謙虚さだ。鳥も獣も魚も人間よりよほど偉大だと彼は言い、魚と強い絆で結ばれることは愛の行為だと思う。しかも彼は、余計なことを考えるんじゃない、と自分に言い聞かせる。こうして彼は自然と一体化していく。
死を受け入れる
あるいはポール・オースターの『ガラスの街』だ。妻と息子を五年前に亡くしたミステリー作家は、ほとんど生きている感覚もないまま、匿名で作品を書き続けている。すると一本の間違い電話がかかってくる。彼を探偵だと勘違いした相手は、ある依頼をしてくる。スティルマンという男が危険にさらされている。以前彼に暴力を振るった父親が病院から出てくるのだ。なんとか彼を父親から守ってほしい。なぜか主人公はこの依頼を受けてしまう。そして父親を尾行しながら、ニューヨークの街をほっつき歩く。やがて父親は失踪し、おまけにスティルマンも失踪する。主人公は目的も自分の人生も全て失う。
以前読んだときは、主人公が社会とのつながりをなくしてしまう作品だと思った。けれども受講生と話しているうちに、実は全く逆ではないかと気づいた。妻と息子を亡くしたとき、既に主人公は一度自分自身を失っている。だがそのことを自分でも認められず、偽の自分を作り上げてなんとか対処していた。だがこうした奇妙な仕事の中で、自分の心が一度死んだことを受け入れることで、彼は新たな再生へと向かう。
ろうそく囲んで
ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』はどうか。表題作はほろ苦い夫婦の話だ。夕食時だけ一週間ほど停電になるという通知がくる。ろうそくの火を囲んで、二人は互いに、ちょっとした裏切りを打ち明けあう。二人の心が通じたかと思えた瞬間、別居したい、と妻は言う。思えば二人は常に自分に噓(うそ)をついて生きてきた。アメリカ生まれのインド系の夫は、インドの農民反乱について博士号を取るべく頑張っている。そして同じくインド系の妻は、編集者として活躍しながらインドの料理をせっせと作る。アメリカでもインド人であれ、という親の期待に応えることに二人は必死だ。
しかしながら無理は続かない。実は二人の仲が決定的に冷えてしまった原因は子供の死産だった。出産に立ち会うより大事な学会に参加した方がいい、と妻が言い、夫が家を空けている間に妻は子供を死産する。妻は怒りを溜(た)め込み、彼女の気持ちを汲(く)み取れない夫は心を閉ざす。だからこそ、この夕食は貴重な機会だった。最後、夫は妻にずっと隠していた事実を告げる。亡くなった子供は男の子だった。その言葉を聞いて妻は泣く。そして夫も泣く。
底まで見せ合う
この作品を読む度に、どう愛は壊れるのか、という実例のような気がして、僕は暗くなった。だが受講者の話を聞くうち、実はこれは、二人の関係の真の始まりを記しているのではないか、と思えるようになった。外面的なものでしか付き合えていなかった二人が、お互いの底まで示し合うことで、共に一つの大きな問題に向き合う。そしてここから、二人は真の関係を作り上げられるのではないか。受講生たちと語りながら、何より自分の考えが大きく開けていった。オンラインでのつながりには人を成長させる力がある。=朝日新聞2021年4月10日掲載