読後、世界の見方が変わってしまう本だ。フィンランド語、ハンガリー語、トルコ語、モンゴル語、朝鮮語、そして日本語。ユーラシア大陸中心に四方に散らばるこれらの言語が、一つのグループに属するという考えがある。文の構造や表現方法に類似点が見いだせるという。本書は、今では下火になったこのウラル・アルタイ語説の水脈をたどる。
「一番書きたかったテーマ」。東京外大でモンゴル語を専攻していた1950年代には、日本語の起源をめぐって大いに検証された説だった。だがその後、音韻法則を重視する立場から否定され、言語学の世界でもあまり論じられなくなった。
その研究史は、中央アジアが持つヨーロッパの「影絵」としての哀愁がつきまとう。同じ祖先を持つ似通った言語が集まるヨーロッパで「浮いた」存在だったハンガリーとフィンランドの言語学者たちは、まだ見ぬ仲間を探しにウラル山脈を越えて東へ。ロシアのシベリア研究も、この地域の言語研究に貢献した。
やがて仮説は日本にも到達し、明治時代の研究者らは、まるで日本語と「血を分けたきょうだい」のようなアルタイ諸語に出会う。半世紀以上かけて集めたドイツ語とロシア語の文献をめくるうち、数百年前の研究者らの情熱が乗り移っていった。
ロシアと中国という大国に踏みにじられてきた小国、モンゴルから世界を眺めてきた。まなざしは自然と弱い者たちの連帯へ向かう。言語と近代国家の緊張関係を論じた『ことばと国家』、旧満州で日本がかかわった戦闘を検証し直す『ノモンハン戦争』といった一群の名著に、本書もまっすぐつながっている。
ソ連支配下のモンゴルで、少数民族が命がけで書き残した文献が手元にある。それをめくり、けなげな声を聞き取るのが残された使命だと思っている。(文・板垣麻衣子 写真・工藤隆太郎)=朝日新聞2021年6月12日掲載