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身体への侮り 視線に苦しめられる女性たち 翻訳家・文芸評論家・鴻巣友季子〈朝日新聞文芸時評21年6月〉

青木野枝 亀池・蓮池1

 100年前、スペイン風邪というウイルス感染症に臥(ふ)せった英作家ヴァージニア・ウルフは、なんと嘆いたのだったか? 「英語は、ハムレットの思索やリア王の悲劇を表現できるものの、悪寒や頭痛を表現する言葉をもたない」(『病むことについて』、川本静子編訳、みすず書房)。

 これはなぜだろう? 肉体を精神の下位におく心身二元論が顔を出すはずだ。「悲劇」は観念的で深遠、「頭痛」は物質的で卑近。文学にとっての重要事は精神であり、「取るに足りない」肉体は無いものとみなす考えにウルフは憤慨した。

 なるほど、こうした肉体への侮りが、「触ったって減るもんじゃなし」などと女性を物扱いするセクハラの弁明にも表れてきたのだと思う。

 身体軽視と女性蔑視というのはどこかで繋(つな)がっているんじゃないか? そんな疑問に答えてくれたのが、邦訳待望のフェミニズム論『問題=物質(マター)となる身体』(ジュディス・バトラー著、佐藤嘉幸監訳、以文社)だ。古来、女性は身体(モノ)を提供し、男性が世の営為(コト)に与(あずか)るという前提が社会の根底にあったのがわかる。しかし身体はそんな二元論では捉えられないからこそ、軽んずるなかれと本書は説く。

 そのとおり。ウルフの嘆きから一世紀、女性の身体を関心事(マター)とする小説が、いま続々と書かれている。

 例えば、松田青子の短編集『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(中央公論新社)。特に「許さない日」は、屈辱的な身体感覚を強いる着衣(体育のブルマ)を巡る女性の鎮魂の儀式にして、ブルマ姿を眺めて喜ぶ者への鉄槌(てっつい)だ。

 肉体を語る際に、他者の視線の問題は無視できないだろう。身体への関心は同時に、外見で差別するルッキズムを招きやすいからだ。金原ひとみの「デバッガー」(『アンソーシャル ディスタンス』所収、新潮社)は、視線に怯(おび)える者の怯懦(きょうだ)をえぐるように写しとる。年下の恋人ができた35歳の語り手は、顔の皺(しわ)やたるみが悉(ことごと)く「バグ」に思え、見た目に拘(こだわ)る自分の卑俗さに辟易(へきえき)しつつも、美容整形で「修正」しまくる。ところが、施術するほど、恋人と向きあえず、視線に怯える自分に直面してしまう。

 ここで注目してほしいのが、金原と同じテーマを掘り下げるカナダの新鋭モナ・アワドの『ファットガールをめぐる13の物語』(加藤有佳織、日野原慶訳、書肆侃侃房)だ。

 女子高生「エリザベス」は甘いマフィンは食べても、ドーナツだけは食べない。「太った女子とドーナツ」という組み合わせが人の目にどう映るかわかっているからだ。懸命のダイエットで痩せだすが、結婚すると買い物依存に陥り、「ナイフの刃のように」尖(とが)った体が自分のものとは思えなくなる。

 ある晩、夫は気づく。「彼女に何気なく向けてきた視線のひとつひとつ、向けなかった視線のひとつひとつ」が合わさって酷(ひど)い要求をつきつけていたのではないかと。一方、妻は他人の中に自分を見る。知人の太った恋人に、AV女優に、ジムで一つも成果の上がらないおばさんに。

 原題は13 Ways of Looking at a Fat Girl。「ブラックバードの13通りの見方」という、見る者と見られる者が一如に融(と)ける有名なモダニズム詩のもじりだ。“他人の眼差(まなざ)し”とは、自分が自分をどう見ているかの反映でもあるかもしれない。

 視線に苛(さいな)まれる女性を男性が描いて成功しているのが、佐藤厚志『象の皮膚』(新潮社)である。重いアトピー性皮膚炎を患うこの書店員は、「(周囲の視線に)顔に焼け石を押し当てられたような痛み」を感じるほど苦しみ、人目を逸(そ)らすことに腐心してきた。「皮膚が自分自身」だと言う。ところが、ここにも身体への軽視があり、父は「気合いが足りない」から治らないのだと叱責(しっせき)する。

 “痒(かゆ)み”が書かれた点にも注目したい。人は痛みには精神性を感じるが、痒みを侮る傾向にないか。佐藤が用いたのは、身体の個人的な痒みの物語に、あえて3・11という日本人の心に根を下ろした社会的な痛みを並置する手法だ。書店にクレーマーや万引きが押し寄せ、全編が悉く暴力と無神経に塗(まみ)れる中でその震災は起き、続いていく毎日の理不尽さの一つとして同列に記される。

 歴史に残る災害と記憶はそっと守られるべき傷と痛みであり、人々の日常の煩いは掻(か)きむしられていい痒みだろうか? 潜在的な偏見に問いを突きつける秀作である。=朝日新聞2021年6月30日掲載