「とっとこハム太郎」をご存じだろうか? 題名の通り、ゴールデンハムスターの男の子・ハム太郎を主役にしたコミックであり、アニメであり、ゲームである。小学生の頃、この「とっとこハム太郎」が大フィーバーしていた。クラスの女子の多くはハムスターを飼い、「ハムご」なる怪奇な言語で「はむはー」だの「やーノン」だのと言葉を交わしていた。冷静に考えると怖い。非常に怖い。しかし、当時はそれが普通だった。
私は1992年生まれ、もうすぐ三十歳になるアラサーだ。私と同年代の方、もしくは同年代の子供を持つ親世代の方たちは「あれは凄かったよねぇ」と同意してくれると思う。
ハム太郎はロコちゃんという小学五年生の女の子に飼われている。明るくおてんばな女の子で、ハム太郎のことを大事に可愛がっている。ハム太郎もロコちゃんが大好きなのだが、彼女が出掛けるのを見計らって家のゲージから逃走する悪い癖があるのだ。(なぜ逃げるんだ、ハム太郎! ロコちゃんが心配するぞ! と小学生の私はアニメを見る度に憤っていた。)ハム太郎やその周辺に住むハムスターたちは公園の木の下にある「地下ハウス」を拠点にしており、なんやかんやで毎回騒動を引き起こしている。この地下ハウスに集まっているハムスター集団のことを、「ハムちゃんず」と呼ぶ。名前からして可愛さが溢れている。
この「とっとこハム太郎」で私が最も好きなのが、アニメの締めの台詞だった。
「今日はとっても楽しかったね。明日はもっと楽しくなるよ。ね、ハム太郎!」
これを小学五年生のロコちゃんが毎回言うのである。なんて良い台詞だろうか。しかし、小学生だった私はひねくれていたので、「なーにが明日はもっと楽しくなるよね、だよ。ケッ」などと思っていた。小学生の私は斜に構えることがカッコいいと勘違いしている節があった。
きっと当時アニメを見ていた子供たち(今ではすっかり大人だが)に「今日はとっても楽しかったね。明日は?」と聞いたら、絶対に「もっと楽しくなるよ!」と答えるはずだ。この台詞は好き嫌いを超越して、見ている人間の脳内にしっかりと刷り込まれている。少なくとも、私は忘れたことがない。これって凄いことじゃない? とこの年になってようやく気付いた。
子供の頃、未来はとても遠い場所にあるものだった。将来なんて他人事で、自分が大人になるなんて到底信じられなかった。そのくせ、明日はすぐ近くにあって、絶対に逃げられない。明日なんてこなくていいのに、そう思う日だってあった。
夜になり、布団に包まった幼い自分が、ふとこの台詞を思い出す。未来を考えるのは怖い。漠然としていて、何も掴めなくて。だけど、明日なら。明日のことなら、自分にだって想像できる。自分にだって変えられる。多分、きっと、明日は楽しくなるはずだ。そう理屈抜きでぼんやりと思えたのは、ロコちゃんの台詞のおかげだろう。
大人になり、仕事でくたびれることも、責任を取らなければいけないことも増えた。現実が眼前に立ちはだかって、なかなか子供の頃のようにはいかない。明日どころか、来週も来月も予定が埋まっていたりする。それでも、ベッドに入る前に口内でふと呟いてみる。
「明日はもっと楽しくなるよ。」
根拠なんてなくたって、それだけでちょっと明日が楽しみになるのだ。