ISBN: 9784560098509
発売⽇: 2021/06/02
サイズ: 20cm/533,69p
「スターリン」 [著]オレーク・V・フレヴニューク
スターリン博物館は彼の出生地ジョージアのゴリにある。野外には生家や専用列車が展示され、露店がグッズを売る。銅像の隣で写真を撮る観光客も多い。館内にはデスマスクも展示されている。
訪問して驚いたのは彼を偉人と感じ取ってもおかしくない展示風景や訪問者の高揚感だった。ロシアにはスターリン時代を神話化する言説や本が増えていると聞く。
本書はそのスターリンの伝記である。訳者によると、著者は最もスターリン時代の史資料に目を通してきた国際的にも著名な歴史家だ。史資料から読み取れることだけを頼りに彼の出生から死までを追う。膨大な調査を経てなお不明な点は不明だと言う慎重な態度が、伝記の信頼を高めている。
本書は読みどころが満載だが、とくに心に残ったのは三点。
第一に、彼の死をめぐる克明な叙述。一九五三年三月二日に彼が別荘で失禁して倒れ、幹部四人が集まったが医者を呼ばない。「率先して事を起こすのに慣れていなかった」。ボスのパージに震え上がっていた取り巻きは、彼のご機嫌をとり、誰かに責任を押し付ける所作が染み付いていたのである。娘のスヴェトラーナが残した死の描写も印象的だ。いまわの際で「彼は突然目を開き、部屋にいる全ての者たちを一瞥(いちべつ)した」。そして周囲の人々に「呪い」をかけるように上を指さす。猜疑(さいぎ)心に取りつかれた独裁者の死路が暗い。
第二に、独ソ開戦後のスターリンの動揺の激しさ。別荘に引きこもった彼の元を幹部らが訪問、彼を戦争の最高指導者に据え、政治に復帰させるお膳立てをした。「党政治局内部の権力の再バランス化」が訪れる。息をのむ場面だ。
第三に、スターリンの元に届けられた無数の直訴状は、ほぼ読まれていないこと。彼は民衆へ関心を一度も抱かなかったという著者の分析は衝撃だ。一九二八年、珍しくシベリアへ向かい穀物徴発の指揮をするが、彼にとって農民は穀物を隠す敵対者であり、武器を向けても当然となる。一般人の食の状況も十分とは言い難かった。三二~三三年は大飢饉(ききん)を招き、五〇〇万人以上の人が餓死した。他方で、上流階級は良い医療や食事や教育を受けられたという格差社会ぶりは予想を上回る。
宿敵トロツキーのような優れた演説や文章の才を持たないスターリンは「極度の単純化が生み出す明解さと簡潔さを追求した」。彼の行動力や官僚的細やかさは特筆すべきだが、社会主義的発言はレーニンの思考の「鋳直し」。思想的深みはなく、困ったら人のせいにして、脅迫と恐怖で人を支配する。つい私たちの周囲にはびこり、権力を振るう小スターリンたちを数え上げたくなる。
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Oleg V.Khlevniuk 1959年生まれ。モスクワ大歴史学部教授。ロシア連邦国立文書館に長く勤務し、1930年代のソビエト・ロシア史とスターリン研究の第一人者。邦訳に『スターリンの大テロル』。