ISBN: 9784004318750
発売⽇: 2021/04/22
サイズ: 18cm/329,37p
「モダン語の世界へ」 [著]山室信一
デコる。リベる。バーばる。意味がわからずともご心配なく。流行(はや)ったのは百年ほど前の話。けれどもその造語法には、今に通じる発想の豊かさがある。1920年代前後、世界が同時に体験した大衆社会化は、現代の起点と言える。
激変する「スピード時代」に直面した人々の戸惑いや憧れ。その反映が、モダン語と呼ばれた外来語や新造語の洪水だ。著者は当時盛んに出た新語辞典を手がかりに、幾重もの諧謔(かいぎゃく)や皮肉に唸(うな)り、意外な語源に舌を巻く。特に衣食住や娯楽にまつわる死語探訪から、19世紀以来の近代化とは異質な、モダンの実相が浮かびあがる。概念を主とする「思想」ならぬ、生活に密着した言葉に歴史の深層を探る「思詞」学事始めと、著者が言うのも肯(うなず)ける。
当時のグローバル化の固有性がわかるのも面白い。アジア由来の新語が多く、「下野」や「打倒」も、元は中国の時事用語だった。しかも、今や中華料理店でおなじみの回転式丸テーブル(転台〈チョアンタイ〉)が日本で考案され、中国で普及したように、双方向の交流がありえた。その濃密さは、帝国日本の膨張と表裏一体とはいえ、第2次大戦後のアメリカ一辺倒とは大きく異なる。近代東アジアの思想連鎖史という独自の領野を拓(ひら)いた著者ならではの発見だ。
劇的な転換は、不安と反発もかきたてる。それが因習と衝突した「新しい女」への好奇の目や憎悪となって表れるのは、今と変わらない。著者苦心の付録「モダン・ガール小辞典」での性差別語の頻出ぶりは、尖端(せんたん)を追い求める社会のストレスがどこで噴出するかを物語る。公序良俗の強制に抗(あらが)い、人の本性を問い直したのは、退廃と蔑(さげす)まれた「エロ・グロ」の方だった。
だが時代は足早に、「テロ」や「ミリ(軍国主義)」に扇動され、果ては敵性語の排撃に至る。ならばモダン語の言語感覚は、戦時下の時局語や思想戦へいかに転轍(てんてつ)するのか。開かれた思詞学の、扉の先は広大だ。
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やまむろ・しんいち 1951年生まれ。京都大名誉教授(思想連鎖史)。著書に『思想課題としてのアジア』など。