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石堂書店(神奈川)「みんなのスペース」併設、地元の知恵で生まれ変わった東横沿線の老舗

 東京に来てまだそう経っていない頃、ちょっと気になっている男子がいた。髪を青く染めて美大に通っていたその彼は、田舎で育った私にはとてもまぶしく見えたのだ。ある日彼が「俺、妙蓮寺に住んでるんだあ」と私に言った。

 翌日、初めて聞くその東急東横線沿線の街を、興味本位で訪ねた。すると駅に着くなり、彼が彼女と思しき女性と2人で歩いているところに遭遇してしまった。とっさに隠れたものの、「あれー?」と気付かれてしまい――。

 その後自分がどんなリアクションを取ったのかや、彼の名前はもうすっかり思い出せない。でも「妙蓮寺」という地名と若かりし頃の恥ずかしい思い出は、今も自分の中でセットになっていた。

 そんな妙蓮寺に足を運んだのは、あの日以来だった。だから駅前に妙蓮寺という寺があることすら、今日まで知らなかった。今回の目的は青春プレイバック、ではなく駅から歩いて約3分の場所にある、石堂書店だった。

年季の入った、石堂書店の建物。

創業70年、建物は築50年

 1949年に創業し、現在は3代目が切り盛りするという老舗の石堂書店は、「本のオアシス」と銘打っている。ここ最近では2階をコワーキングスペースにするなど、新しい取り組みを色々始めているという。うっすらそんな噂を聞きつけ、どんな店なのかを知りたくて、まずはノーアポで見に行った。

 レジにいた女性に「すいません、店長さんいますか?」と声をかける。すると「ななめ向かいにいますよ」と返ってきたので、そのななめ向かいに目をやると、3代目の石堂智之さんが一心不乱に水ヨーヨーを膨らませていた。

 こ、これは! なんでも、本を買った子どもたちにプレゼントしているそうだ。

 その石堂さんが座っている後ろには、「小学館の学習雑誌 チャイルドイシドウ」と書かれた、年季の入った建物があった。

 こ、これは!(2回目) うん、絶対話を聞こう。そう思ってこの日は家に戻り、数日後に再訪することにした。

水ヨーヨーは夏季限定のオマケ。

 現在はカメラ店と八百屋の間にある石堂書店だが、もともとは別の場所にあり、1960年頃に現在の場所に移転し、1970年頃に今の建物になったそうだ。ということはおよそ築50年。店の前には雑誌が並び、入口横のすぐの場所にレジがある。中に入ると文庫と新刊、絵本などが並ぶ中になぜか米が置かれていた。

「2011年の東日本大震災後に、福島の喜多方で酒造会社を営む親戚が自社田で作ったお米を、石堂書店で行ったチャリティーイベントで販売したのがきっかけです。それに少し値段は張りますが、このお米は食べてみたらとてもおいしくて」

 本と食品が並ぶこの景色は、本屋が生活必需品を供給する役割も兼ねていた、離島の本屋をどこか彷彿とさせる。まさか横浜の一角で、離島を思う瞬間が来るとは……。

店内のかなり目立つところに鎮座する米。

野菜の配達やラーメン店員から、突如本屋の3代目に

 「店から10秒ぐらい」の場所に実家があるという石堂さんは、生まれも育ちも妙蓮寺だが、中学校から社会人になるまでずっと、都内に通っていた。祖父が創業し、父親と現在菊名で書店をしている叔父が店を切り盛りしていたが、継ぐことは全く考えていなかったという。だから大学卒業後は朝採れ野菜の配達やラーメン店の店員、スポーツ用品の卸問屋でピッキングや出荷作業等の軽作業など、色々な職業を経験する。しかし2009年に母親が亡くなり、店に立つことになった。

 石堂さんが本屋の仕事をするのは、これが初めて。鳥取県米子市の今井書店によるNPO「本の学校」の、書店人教育講座に参加するなど、働きながら書店について学んだ。しかし、本が売れない時代に突入しつつあった。そこで『落語を観るならこのDVD』を刊行したポット出版と、店内に高座を作り寄席を見せる「本屋落語」を皮切りに、イベントを始めることにした。

 「先代の父が『地元の人のために何かをしたい』と言っていたのもあったので、地元に住んでいる著者のトークイベントやワークショップなどを中心に、年に3、4回のペースでイベントをおこなってきました」

 ただ、2009年から10年間、石堂書店の売り上げは下がる一方だった。店の2階の空きスペースで俳句やギター講座などをしてきたものの、収益を生み出すには至らなかった。

 雨漏りもするし、この先どうしたらいいのか――。石堂さんは2019年春、地元の不動産・建築業「住まいの松栄」の3代目・酒井洋輔さんに相談した。すると建物だけではなく、店そのものを再建するプロジェクトを提案されたという。それが石堂書店を巡る、「まちの本屋リノベーションプロジェクト」の始まりだった。

左から「本屋・生活綴方」店長の鈴木雅代さん、石堂智之さん、三輪舎代表・中岡祐介さん。

 「石堂さん、コーラおごってよ」

 そんな話をしていると、大人の男性にコーラをねだる、別の大人の男性が現れた。出版社「三輪舎」の、中岡祐介さんだった。中岡さんもリノベーションプロジェクトの一員で、三輪舎のオフィスは現在、石堂書店の2階にある。

不動産業・ひとり出版社も運営に参加

 2014年にひとり出版社の三輪舎を始めた中岡さんは、菊名に住んでいて白楽に事務所があった。と、ただ書くだけだと、東急東横線沿線を知らない人には何のことだかわからないだろう。この菊名と白楽という駅の間に、妙蓮寺がある。つまり中岡さんにとって、家と事務所の間にある本屋が石堂書店だった。当然、店に訪れる機会が増える。買うだけではなく、三輪舎の本を置いてもらうなどの付き合いが、2人の間にあったのだ。

 「雑誌やコミックなどもオールマイティに置く『まちの本屋さん』だったのですが、もともとの品揃えが自分好みの、好きな本屋さんでした」(中岡さん)

 不動産と建築が専門の酒井さんと書店経営の石堂さん、そして本と出版そのものに深くかかわる中岡さん。3人はまず2階を、コワーキングスペースにすることに決めた。しかし西日が差し込む2階はとても暑く、壁も退色している。床は踏み込むとふかふかと沈む場所があるなど、難題だらけだった。床を補強し、壁と床の塗装はSNSで人手を募集すると、近所の人たちが集まってくれた。

 「『まちのしごとば・本屋の二階』として始まるのは翌年2020年の2月からですが、2019年7月にカタカナ表記で「ホンヤノニカイ」として、お披露目会をしたんです」(石堂さん)

 このお披露目と同時に、三輪舎の新事務所も爆誕した。もともと2階の奥にあった6畳程度の応接スペースに事務所を移転することで中岡さんは入居者となり、同時に運営の1人となったのだ。

コロナ対策もされている「本屋の二階」。奥の左側の扉が、三輪舎の事務所だ。

 「実はこの頃はまだ石堂書店をどうするかよりも、三輪舎をどう続けていくかということの方が、自分の中では重要で。それに入居するだけならいいけれど、西日が強いのもあって、在庫が日焼けして退色しないか、大量の在庫で床が抜けてしまわないか、本当に大丈夫かなとか考えていました。でも居心地のいい本屋が生活圏にあればいいなと思い、協力してみようと思ったんです」(中岡さん)

 そして3人は2019年8月から、クラウドファンディングも始めた。

 向かいにあった「チャイルドイシドウ」は1970年頃から、石堂さんの叔父による児童書やコミックなどを置く姉妹店だった。20世紀の終わり頃に閉めてからは、イベントなどで使うこともあったが、長らく在庫や寄付された本、不用品などが雑然と積まれていた。

 いわば「死んだ場所」だったこの建物を、「こいしどう書店」なる、ブックスペースやアートギャラリー、イベントスペースとして生まれ変わらせたい。そのための資金提供を呼びかけたクラウドファンディングは、約1か月間で目標金額の150万円を大きく上回る221万5500円を集めて成功に終わった。

 しかし、こいしどう書店は生まれることはなかった。そこは、「本屋・生活綴方」という名前の店になったからだ。この生活綴方については、もうとても数百文字では紹介しきれない。ということで、話は次回に続けたいと思う。(文・写真:朴順梨)

今回登場の3人が選ぶ!オススメの1冊

●『濱手帖』(P to P)

 「関内関外横浜の文化情報誌」というコンセプトで年4回発行。2019年4月に”映画を観る街”という特集でスタートし、毎回特集がディープで面白い。ハマっ子歴70年の漫画家ヒサクニヒコさんのイラストが味わい深くてまた良いのです。最新刊8号は近日発売予定で特集は”野毛山動物園”。石堂書店にてバックナンバーも取り扱っています。(石堂智之さん)

●『鬼は逃げる』ウチダゴウ(三輪舎)

 詩はちょっと……という方にこそおすすめしたいのがこの詩集。日常の言葉だけで紡がれるウチダゴウさんの詩は、ぜんぜん難しくなくて、でも奥行きがある。すぐそこに詩人を感じることのできる、朗読会のような詩集。(中岡祐介さん)

●『貨物船で太平洋を渡る』 田巻秀敏(レモネード航空)

 「貨物船で船旅が?」という誰もが抱く疑問を見据えて、自身の旅を詳細に記録し、みなさんも実際にできますよ、と紹介している。手続きやかかったお金、きっちり書いて固そうにみえるが、語り口調が実はふざけていてとても面白い。ISBNなし。生活綴方など一部書店販売および通販のみ。(鈴木雅代さん)

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