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「この20年」再考 対テロ戦が生んだ監視と分断 朝日新聞編集委員・三浦俊章

ハイジャックされた飛行機が突っ込み、世界貿易センタービル(北棟)から炎と煙が上がった=2001年9月11日、米ニューヨーク、AP

 2001年9月、ハイジャックした旅客機で米国の中枢を攻撃した同時多発テロは、人間の想像力を超えた壮絶な事件だった。米国はただちに報復を誓い、テロとの戦争を始めたが、軍事力による中東の民主化という計画は失敗した。この20年は何だったのか。事件の意味を改めて問わねばならない。

軍事以外の道

 『テロ後』は、事件直後に書かれた(評者を含む)12人の論文を集めたものだが、その後の展開を見通した考察がある。

 国際政治学者の坂本義和は、このテロ事件を、「何よりも人間の死、市民の無差別殺戮(さつりく)として受けとめた」。だからこそ、民間人を殺傷する空爆や戦闘のような在来型の軍事行動は、テロ対策として正当化できないと批判する。取るべきは国際的警察行動であり、周辺国を巻き込んだ外交圧力で容疑者引き渡しを粘り強く交渉すべきだ、という。ブッシュ政権があのとき、戦争に訴えるのではなく、犯罪として追及していたら、世界は違った道を歩んだだろう。

 政治学者の杉田敦は、覇権国家米国の中心部がテロ攻撃されたことで、もはやリスクを国境線で食い止めることが不可能になったと指摘する。その結果、「不安をぬぐうための『セキュリティ(安全)の政治』」が前面に出てくる。しかし、権利制限や治安強化の対策は、デモクラシーを変質させかねないと警告する。世界をおおう監視社会の出現は、恐れが的中したことを示している。

 同時多発テロの全容をつかむには、イスラム側と米国の双方の動きを描いた『倒壊する巨塔』がよい。ベテラン米国人ジャーナリストの筆は、西洋を憎悪する急進的イスラム主義の歴史を、1950年代エジプトのイスラム同胞団から、同時多発テロを行った国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンまで、ていねいに追っている。

 著者によれば、ビンラディンは、大量殺戮を行うことで米国を「帝国の墓場」と呼ばれるアフガニスタンにおびき寄せようと計画した。19世紀の英国、20世紀のソ連に続いて、米国も身動きのとれない泥沼に引きずりこまれたのだ。

 一方、米国のほうは、縄張り争いから情報機関の間で重要な情報が共有できず、攻撃の端緒をことごとく見落とした。著者はその経緯を容赦なく描いている。象徴的なのは、国際テロを担当していた米連邦捜査局(FBI)オニール捜査官の話だ。仕事に限界を感じてFBIを辞めたオニールの再就職先は、世界貿易センターの保安主任だった。あの日、ビルの倒壊で命を落とした。

検証はできるか

 同時多発テロは外交だけでなく、米社会をも大きく変えた。20世紀の二つの大戦と冷戦を通じて結束した米国だったが、目的と対象が定まらない「テロとの戦い」では合意は生まれなかった。右派の間では移民排斥の声が高まり、左派はアイデンティティー政治に傾斜した。政治の分断はかえって広がった。その揚げ句にポピュリズムのトランプ政権が生まれたのだった。

 『真実の終わり』は、鋭い書評や時評で知られる元ニューヨーク・タイムズ紙記者による糾弾の書である。差別的主張や陰謀論があふれる今の米国では、そもそも議論の前提となる事実が共有されていない、という。SNSがフェイクニュースをまき散らし、世論操作が可能になった。「真実は民主主義の基盤である」という著者の訴えは、悲鳴のように聞こえる。

 8月のアフガン撤退で米国の「最も長い戦争」は終わった。これから必要なのは、客観的記録に基づく戦争の検証のはずだ。しかし、真実が揺らぐとき、その作業自体が不可能になることを恐れる。=朝日新聞2021年9月11日掲載