国際文学・翻訳文学の研究拠点に
村上春樹ライブラリーは、東京都新宿区の早大早稲田キャンパス内にあり、坪内博士記念演劇博物館に隣接する旧4号館を大規模改修して誕生しました。学生時代、演劇博物館に足繁く通っていたという村上さんが、自らこの場所を選んだそうです。
「物語を拓こう、心を語ろう」というコンセプトのもと、村上春樹文学の研究とともに、国際文学、翻訳文学の研究拠点として交流・発信をしていく施設と位置づけています。
流線形の庇(ひさし)が、真っ白な建物を覆っています。斬新なリノベーションを担ったのは、建築家の隈研吾さん。隈さんは「春樹さんの文学は、我々が生きている日常の世界から、突然違う世界にポンと入ってしまう、トンネルのような文学。その世界観を形にした」と話していました。
階段の両側にずらりと並ぶ本
館内に一歩足を踏み入れると、1階と地下1階をつなぐ「階段本棚」が見えます。2階まで吹き抜けになっていて、アーチ状の天井と、左右にずらりと並んだ本棚に圧倒されます。
開館時の企画は、下に向かって右側が「現在から未来に繋ぎたい世界文学作品」、左側が「村上作品とその結び目」。それぞれ、テーマに沿ったおよそ1500冊の関連書籍を選んでいます。
「現在から〜」の棚には、例えば、ポーランドの日本現代文学翻訳家、アンナ・ジェリンスカ=エリオットさんや、韓国出身の映画監督で脚本家・小説家でもあるイ・チャンドンさんらが選んだ本が並んでいます。「村上作品〜」では「ジェンダー」「若者たち」「時代と人間」など、項目ごとに作品が陳列してありました。
書斎をまるごと再現した空間
地下1階には、村上春樹さんの書斎を再現したエリアも。これまで雑誌や特設サイトで、書斎の一部や机上などの写真が掲載されたことはあるそうですが、ここでは空間としての雰囲気を体感できます。
プレーヤーやアンプ、椅子は村上さんの書斎と同じ製品で、机の素材やソファ、絨毯は似たものを使用しています。壁面のレコード棚には順次、村上さんから寄託、寄贈されるレコードが並ぶ予定といいます。
ラウンジとカフェスペースも
同じく地下1階には、ラウンジとカフェスペースがあります。ラウンジスペースには、村上さんが経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」で使われていたグランドピアノが置かれています。
カフェ「オレンジキャット」は、学生たちによって経営されています。村上さんの好みを聞いたり、村上さんの行きつけのお店の珈琲を研究したりして誕生したオリジナルの珈琲などを楽しむことができます。
教育学部3年の市原健さんは、カフェでアルバイトをしていた経験を生かして、オレンジキャットの社員募集に手を挙げたそう。現在は、村上さんの『ノルウェイの森』を読んでおり、「ぜひご本人にも当店のオリジナルコーヒーを飲んでいただきたいです」と話していました。
こだわりのオーディオルーム
1階には、オーディオルームがあります。村上さんのオーディオアドバイザーをしている、元ステレオサウンド編集長の小野寺弘滋さんが、オーディオシステムの設定とセッティングを行ったという徹底ぶり。
中には、村上さんが経営していた「ピーター・キャット」のマークが描かれたレコードもあり、ファンにはたまらない空間になっています。
初版本・世界の翻訳本が一堂に
風に揺らめくオーガンジーを抜けると、ギャラリーラウンジがあります。
ここでは、デビューした1979年から2021年までの村上春樹作品の表紙を展示。村上さん本人から寄贈された本で、多くが初版本です。日本で刊行された村上さんの著作はもちろん、世界各国のさまざまな言語で翻訳された作品もそろっています。
このギャラリーラウンジにもおよそ1500冊の本があり、いずれもオーディオルームもしくはギャラリーラウンジで、閲覧できます。木の温もりに包まれた空間で、村上作品を楽しめそうです。
展示室やスタジオも併設
2階は展示室。村上文学に限らず、幅広い内容の企画展を開催する予定といいます。開館時は「建築のなかの文学、文学のなかの建築」を展示。旧4号館が、隈氏によってどのようにリノベーションされていったのか、その過程を展示しています(2021年10月1日〜2022年2月4日)。
同じく2階には、発信や交流の場として、スタジオとラボが併設されています。
村上さん「自由でフレッシュなスポットに」
開館に先立って9月22日に記者会見があり、村上さんも登場。次のように挨拶をしていました。
「この4号館というのはね、僕が学生だった頃は、学生に占拠されてました、しばらくの間。1969年、いまから52年前ですか。占拠された4号館の地下ホールで、山下洋輔さんがフリージャズのライブをやったんです。そのときにピアノを大隈講堂からみんなで勝手に持ち出して運んできまして、そのときピアノを担いだひとりが作家の中上健次さんだったということです。中上さんは早稲田の学生じゃなかったんですけど、外から手伝いに来ていたみたいですね。
僕の友だちの何人かはその催しに加わったんですけど、僕は残念ながらそのライブには行けなかったんです。でもそのコンサートのドキュンタリー番組をつくっていた田原総一朗さんの話によると、民生とか革マルとか黒ヘルとか中核とかそういう仲の良くないセクト同士がみんなひとつの場所に集まって、ヘルメットをかぶって喧嘩もせずに、呉越同舟で山下さんの演奏に聞き入っていた話です。
そういう建物が、今回再占拠されるといったら問題があってよくないんですけど、まるごと使わせていただけることになったのは、とてもありがたいことで、非常に興味深いめぐり合わせだと思うんです。
柳井正さんも、たまたまですが僕と同じ年に早稲田に入学されたので、こういうのも何かの縁だという気がします。山下洋輔さんにもいつかまた、同じ場所でがんがんピアノを弾いていただきたいなと思います。
その当時、僕らは「大学解体」というスローガンを掲げて闘っていたんですけど、暴力的に解体しようとしても、それはもちろんうまくいかなくって、こちらが解体されちゃったんですけど。
でもね、僕らが心に描いていたのは、先生が教えて生徒が承るという一方通行的な体制を打破して、もっと開かれた自由な大学をつくっていこうというような僕らの思いだったんです。それは理想としては決して間違っていないと思うんですよね。ただやり方が間違っていただけで。
僕としてはこの早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリーが、早稲田大学の新しい文化の発信基地みたいになってくれるといいなと思っています。先生がものを教えて、学生がそれを受け取るっていうだけじゃなく、もちろんそれは大事なことではあるんですけど、それとは別に、同時に、学生たちが自分たちのアイデアを自由に出しあって、それを具体的に立ち上げていけるための場所に、この施設がなるといいなと思ってます。つまり、大学のなかにおけるすごく自由で、独特でフレッシュなスポットになればいいと考えてます。
早稲田大学というのは都会の真ん中にあって、比較的出入り自由な場所なんです。それは、大学と外の世界が混じり合うのに非常に適した環境だと僕は思います。そういう地の利を生かして、大学と外の世界がうまく、よい形で大学を軸にして混じり合えば、いいなと思っています。
でもそのためには学生のみなさん、それから大学のスタッフ、一般市民のみなさんの協力がどうしても必要になってきます。どうかよろしくお願いいたします」
音声はこちら
取材した五月女菜穂さんが、ライブラリーの見どころや記者会見での模様について語っています。こちらも、ぜひどうぞ!