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岩井圭也さんの読んできた本たち 完成度の高いものを求めたがる

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人生における第一作は紙芝居

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 憶えているのは、5歳くらいの時に読んだ「スマーフ」の絵本ですね。アニメにもなっている青い小さな妖精のシリーズです。たしか当時よく通っていた児童図書館で借りました。母に訊いたらその頃、私が紙芝居を作ってその図書館で発表したことがあったそうです。サンタクロースの話で、トナカイが怪我をしてプレゼントを配りにいけなくなって、でも最後は不思議な光に包まれてすべてがうまくいくという話だったようです。それが自分の第一作になりますね(笑)。デビュー作の『永遠についての証明』も最後は光頼みだったので、その頃から変わってないんだな、と思って(笑)。

 紙芝居を作ったことはあまり憶えていないんですが、図書館で人の前で話をした記憶はなんとなくあるので、人に話を聞かせるのが好きだったのかもしれません。

――紙芝居ということは、絵も得意だったのですか

 いえ、馬を書いたら「犬ですか?」と訊かれたことがあります(笑)。でも小さい頃は描くのは好きでした。

――小学校に入ってからの読書生活は。

 小学校3年生の時、小学館の雑誌「小学三年生」に北森鴻先生の『ちあき電脳探てい社』という連載があったんです(文庫の書名は『ちあき電脳探偵社』)。主人公の男の子の住む町にちあきという女の子が引っ越してきて、学校や町でちょっとした事件が起きるたびに彼女が解決するんです。ちあきの家にはスーパーコンピューターがあって、それと繋がったゴーグルをつけてバーチャルの世界に入ると人格も話し方も変わって、頭脳明晰になって事件を解決するという。これがあまりに面白くて、毎号、その連載のページだけ切り取って1冊の本の形にして保管していました。でも4年生になったら連載も終わってしまって、読めなくなったのが残念で。それで、自分でほぼほぼ同じ設定の小説を書こうとしました。

――連作ミステリってことですよね。書けました?

 書けませんでした。でもクラスにどんな子がいるのか、キャラクターを考えていくのが楽しくて、30人分くらい考えました。たしか、教室で鉛筆がなくなる事件の話を考えたんです。盗んだ犯人が運動着を入れる袋に鉛筆を隠していて、運動着が汚れていたので発覚する......という内容でしたが、最後までは書けませんでした。その時に、自分にはゴリゴリの本格ミステリみたいな話を書くのは無理だと悟りました。

――その頃すでに作家になりたい気持ちはあったのでしょうか。

 無邪気な気持ちとしてはありました。最初は漫画家もいいかなと思っていたんですが、中学生くらいの時に自分はどうも絵はそんなにうまくないから、文章のほうでいきたいな、と思うようになった気がします。

――文章は得意だったのでしょうか。

 作文も読書感想文もそんなに好きではなかったです。書くことがないなあ、なんて思っていました。ただ、国語の成績はちょっとだけ良かったです。

――空想でいろいろなお話を作ったりはしていましたか。

 そういうことは好きでした。でも、話を作る力はないので、アニメのオープニングによくあるような、格好いいキャラクターが格好よく動いているシーンを空想していましたね(笑)。

――小学生時代、他に好きだった小説や漫画はありますか。

 那須正幹さんの「ズッコケ三人組」シリーズですね。『夢のズッコケ修学旅行』や『ズッコケ三人組ハワイに行く』とかが好きでした。

 漫画は『ドラえもん』がすごく好きで、全部揃えていました。派生作品で『ザ・ドラえもんズ スペシャル』というアニメや漫画があるんです。ドラえもんと同じネコ型ロボット7人組がいて、普段はみんな世界各地にいる。中国のドラえもんは「王(ワン)ドラ」、ロシアは「ドラニコフ」といった、その国っぽい名前がついていて。

 このあいだたまたまその漫画を読み返していたら、結構社会派なんですよ。妖怪のボス的な存在で、いっぱい目がついた百目王というキャラクターがいるんですが、その目の数って、人間が環境破壊などをおかした罪の数なんですよ。最後に倒される時も、「俺は復活するぞ」みたいなことを言っていて。もともと『ドラえもん』には社会派の部分がありますが、そういうところも含めて好きでした。

 他に好きだった漫画は、うすた京介先生の『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』。これは今でも大好きです。革命的に面白いんです。自分が小説を書くにあたって影響を受けているかというと分かりませんが。

――社会派といえば、岩井圭也さん新作『水よ踊れ』は、中国返還直前の香港を主な舞台とした青春小説ですが、別のインタビューで、返還のニュースがずっと記憶にあったと話されていましたよね。返還された1997年って、岩井さんは10歳くらいですよね。

 そうです。ニュースを見てどう思ったかまでは明確に憶えていないんですが、なんとなく違和感があって、ずっとひっかかっていたんですよね。

――ニュースはよく見ていたのですか。

 そんな立派な感じではないんですが、自分が選んだわけでなくても親が見ている番組は一緒に嫌がらずに見ていたと思います。選り好みしなくて、テレビならなんでもよかったんです。親が見るから相撲も見て一時期好きでしたし、ニュースも見ましたし。

――ごきょうだいは?

 2つ下の妹がいます。それこそ妹が見るので、「セーラームーン」といったアニメも見ていました。

――外で活発に遊ぶ子どもでしたか、それとも家にいるのが好きでしたか。

 超インドア派でした。小学校5年生の頃から剣道を始めたんですけれど、運動神経がよくないこともあって、まあ嫌いで。たまたま通っていた小学校の体育館で教えていたので親に「どう?」と言われ、友達もやっていたので始めたんですけれど、辛かったです。中学の時に一回辞めたんですけれど、結局再開して、なんやかんや言って大学院を修士で卒業する24歳まで続けたんですけれど。

――岩井さんは、大阪出身ですね。この連載をしていると、関西出身の方って多かれ少なかれお笑いの影響を受けている方が多い印象なのですが、岩井さんはどうですか。

 厳密にいうと、宮城県で生まれ、3歳くらいの時に大阪に引っ越しました。そのまま高校卒業まで大阪にいました。やっぱり吉本新喜劇は毎週見ていましたし、今もM-1の季節になると血が騒ぎます。家族からM-1の時は一人でテレビを観る権利を与えられています。

キャラクターに夢中

――中学時代はどのような本を読みましたか。

 なぜか『三国志』に異様にハマった時期がありました。といっても小説や漫画ではなく、武将をカラーのイラスト付きで紹介した図鑑です。学校の図書館にありました。現代の自分とは全然違う格好をして、一人一人壮絶な人生を送ったことが書かれてあって。植物や動物の図鑑には全然興味を示さなかったのにこれにハマったということは、やっぱり人間に興味があるんだなっていう。でもそこから『三国志』の小説や漫画を読んだわけではないんです。中国の歴史絡みでいえば、その頃「ジャンプ」で連載していた漫画の『封神演義』は好きだったんですが。

――小説は書いていましたか。

 真似事みたいなものは書いていました。でも書き切れずにいました。書く内容は、特に変わらず、主人公が小学生から中学生になったような話だったかと思います。

 ちょうど漫画の「ぼくらの推理ノート」シリーズにハマっていたので、それを真似し、ものを書いて、で、やっぱりミステリは書けないな、と思って。もしかして今もそれを続けているのかもしれないですよね(笑)。

――読む本もミステリが多かったのですか。

 いや、シャーロック・ホームズは読みましたが、中学時代にハマった作家さんはユーモアとかコメディの路線の人が多いですね。清水義典さんの『国語入試問題必勝法』や『バールのようなもの』は、こんな人を食ったようなことを小説でやっていいんだと言う驚きを含めて好きでした。他にも原田宗典さんや東海林さだおさん、土屋賢二さんの読んで笑えるエッセイもすごく読みました。

――ゲームで遊んだりはしませんでしたか。

 ゲームはほとんど買ってもらわなかったし、自分でもすごくやりたいとも思わなかったんです。小学校5年生の時にセガサターンを買ってもらっていくつか遊びましたが、自分の人生の中でそんなにゲームをやっている記憶はないですね。唯一、「ロックマンⅩ4」だけは結構やりましたが、それも全クリはしなかったです。ポケモンが爆発的に流行していた世代なんですが、私はゲームボーイを持っている友達から借りて何回か遊んだ程度です。

――ドラマや映画など映像関連で好きだったものは。

 「古畑任三郎」はもう、ハマりにハマりました。VHSに全部録画してもらって、何度も見て、犯人の名前も全部言えます。今でもしょっちゅう見ています。

――どなたがゲストの回が好きだったんですか。

 役名で憶えているので役者さんの名前がすぐに出てこないんですが......米沢八段の話が好きでしたね。えーっと、坂東八十助さんですね、今の三津五郎さん。他にも明石家さんまさんの回や「VS SMAP」の回も好きでした。「古畑任三郎」についてはいくらでも語れます。

 面白いなと思うのは、見ていて「古畑頑張れ」って気持ちにならないところですよね。エンタメって主人公に感情移入させるのが鉄則なところがあるのに、どちらかというと「犯人頑張れ」という気持ちになる。でも結局毎回、小憎らしい古畑に追い詰められる。その時に面白く思えるのは、犯罪のトリックよりも、なぜその人がその殺人を犯したのかっていう動機の部分。「焼蛤」が鍵となる回では周囲の人が一緒になって隠ぺいしようとするところが印象に残ったりして。トリック以外のところで魅せるミステリに触れたのは「古畑任三郎」がはじめてだったかもしれません。

――映画はあまり観ませんか。

 あまり観ないのですが、中学生の時に観た「七人の侍」はよく憶えています。なんで観たんだろう。一時期、津本陽さんの小説にハマっていたんですね。一応剣道をやっているので『塚原卜伝十二番勝負』や『明治撃剣会』を図書館で借りて読んで、そこから司馬遼太郎の『新選組血風録』なども読んだので、その流れでツタヤかどこかで借りたんだと思います。観てみたら、昔の映画なのにこんなに面白いのかと驚いて。それで次に「影武者」を借りたら、それはそんなにハマらなかった。

 「七人の侍」は七人の一人、久蔵が格好よかったですね。普段は寡黙なんですが、闘ったらいちばん剣が強い。最後に雨の中でダダダっと撃たれて絶命するシーンもすごくて。もちろん、映画全体も好きです。全員に個性があって、対決に至るまでの盛り上げ方も見事。でも私にとってあの映画の魅力の8割は久蔵ですね。こうして振り返ってみると、その頃から孤高の天才肌が好きだったのかもしれません。デビュー作の『永遠についての証明』も孤独な数学者の話でしたから。

――『永遠のついての証明』は数学科の学生たちの話で、親友が残したノートに数学の未解決問題の証明が書かれてあったというお話でしたよね。数学は得意でしたか。

 超苦手でした。

――え、あんなに数学の世界を繊細に描かれていたのに?

 数学は偏差値が低かったです。高校で文理に分かれる時に、数学が嫌いだし国語のほうが得意だからどうしようか迷ったんです。でも生物が好きでしたし、理系のほうが将来潰しがきくだろうと思ってそっちを選びました。

 数学と物理が嫌いで、国語と生物が好きだったんです。生物もまた違うアプローチで人間とはどういうものかに近づいていく分野なので、結局、人に通じる部分のある科学に惹かれていたのかなと思います。

高校時代のこの3冊

――高校ではどのような読書を。

 鮮明に憶えているのが井上ひさしさんの『吉里吉里人』です。二段組で分厚い本なのに一気に読みました。母親がわりと小説を読む人なんですが、その母から「井上ひさしが面白い」と言われたんです。『ブンとフン』を薦められたのに図書館に行って目についた『吉里吉里人』のほうを借りて読んだら夢中になって。

 東北に吉里吉里国を作って独立しようしている人たちの話ですが、最後のオチも馬鹿馬鹿しくて、こんな嘘をこんなに真顔で書く人がいるってことに驚きました。その壮大さと、ぶっとんだ世界を破綻なく最後までやりきっているところに酔わされたんだと思います。あまりにも面白かったので、読み終わった後に二次創作を書きました(笑)。吉里吉里国に迷いこむ主人公の小説家、古橋健二の消息について別の新聞記者が書くという内容だった気がします。あれが私の唯一の二次創作かもしれません(笑)。

 それと、すごく鮮明に憶えているのが金城一紀さんの『GO』です。『吉里吉里人』と『GO』は私のオールタイムベストに入りますね。

――高校時代に『GO』を読んだら相当ぐっときそうです。

 読んだ時は「おもしろーい!!」しか思わなかったんです。でも後から、『GO』は完璧な小説じゃないかと思うようになって。フォーマット自体は、10代の少年が父親との対話や友情や恋愛の中で自我に目覚めていくという古典的な筋書きではありますよね。その筋書きが持つ魅力を120%引き出している小説だと思うんです。トリッキーなアイデアがひとつある作品も面白いけれど、やっぱり王道というのはいちばん強くて、その王道の仕組み、構成や構造を使ってどれだけ面白さを引き出しているかというところで、『GO』は完璧ですよね。文章も文体も展開も、どこを取っても良くて、全部が完璧。主人公が日本に帰化するかどうかの最後の決断や、女の子とどうなるかといった展開も、王道といえば王道だけど、それをいちばん高いレベルで実現している。そういう意味で、自分は完成度の高い小説が好きなのかなと思います。

 高校時代はもう一冊、武者小路実篤の『友情』もありました。文豪の作品もたまには読んでみようと思った時に、すごく薄いから「これなら読めるだろう」と軽い気持ちで手に取ったんですが、感動して。「ここには俺のことが書いてある」と思いました。

――「俺のこと」とは。『友情』って、親友と同じ人を好きになってしまう話ですよね。

 私は男子校でまったく女っ気なく過ごしていたので、三角関係の部分に関しては興味がなかったです(笑)。それよりも、友人の才能への嫉妬の部分ですね。私は剣道をやっていましたが弱くて全然選手になれなくて、なんでこんなに差がつくんだろうとコンプレックスを抱えていたんです。『友情』はコンプレックスの塊みたいな本なので、読んで「これは自分のことだ」って感じる人は多いんじゃないかと思います。こんなに人間の内面って書けるものなんだという驚きもありました。

 高校時代に読んだ本で、この3冊は鮮明に憶えているんですが、ジャンルもバラバラですよね。その頃から特定のジャンルが好きということはなく、なんでも読んでいたんです。ジャンルそれぞれ、面白さの質が全部違いますから。ただ、どんなジャンルであっても、完成度の高いものを求めたがるのが自分の性癖のような気がします。

――高校時代、将来小説家になろう、ということはどれくらい意識していたんですか。

 小説にできる題材に対してアンテナが立ち始めた時期だったように思います。小説の具体的な設定などは考えるようになっていました。たぶん、『水よ踊れ』の元となる香港の話も、設定だけはあった気がします。もちろん出来上がったものとは直結していないし、全然違うものになりましたが。

 今思うと、『水よ踊れ』は今挙げた3作の影響がありますね。『GO』のマージナルなアイデンティティの話であったり、『友情』の内面の葛藤だったり、『吉里吉里人』みたいな発想であったり。

――確かに。香港の中国返還の直前の年に、少年の頃に数年間香港に住んでいた青年が、交換留学生として香港に戻ってくる。彼の目的は建築学科で学ぶことのほかに、もうひとつ、かつて恋心を抱いていた少女の不審な死の真相を探ることで......という内容。今言われて、確かにその3作のエッセンスを感じますね。

 そういう意味ではやっぱり『水よ踊れ』は現時点での集大成に近いものが書けたのかもしれないなと思いました。

北海道での学生生活と読書

――高校卒業後は北海道大学の農学部に進学されたんですね。

 あまり深い理由はなく、生物が好きなので農学部に行きたいなと思ったんです。でも関西には農学部がある大学が少ない。どうしようかと考えていたら、父親が「北大か琉球大学にしてくれ」って言うんです。どうしてかと訊いたら「遊びに行けるから」って(笑)。それはないでしょうと言いつつ一応調べたら、北海道大学にすごく惹かれたんですよね。琉球大も良かったんですけれど、札幌に住んでみたくなったんです。ちょうど一人暮らしがしたい時期だったし、どうせなら大阪と全然違うところがいいと思ったし、北大の農学部に有名な先生もいたし。直感で北大にしようと決めて、受験しました

――その直感は正解でしたか。

 大正解でした。今でも札幌が大好きだし、第二の故郷だと思っています。飯も美味しかったし。

 大学1年、2年の2年間は読書の暗黒期で、ほぼ1冊も本を読みませんでした。端的に言うと、楽しすぎたんです。体育会の剣道部に入ったので週6回稽古があって、剣道は嫌いなんだけど部活の仲間といるのが楽しくて。平日は授業を受けて部活をやって、みんなで飯を食って誰かの家で飲んで、それまで男子校だったのが彼女もできて(笑)、読書の時間が入り込む余地がなかった。社会人になってしばらくしてから増田俊也さんの『七帝柔道記』を読んだ時、まさに「俺の話だ」って思いました。あれは増田さんの、北海道大学の柔道部にいた時代の青春小説ですし、実際、剣道部と柔道部って隣同士でしたし。

――次の2年間で変わったのですか。

 大学2年の終わりに、関東遠征があったんです。品川駅の近くの東京海洋大学の宿舎を借りて滞在させてもらって、東京の大学の柔道部と試合をするという。いつものように仲間と行動していたんですが、たまたま品川のくまざわ書店に立ち寄ることがあって、その時、なぜか急に「あれ、俺、小説書くんじゃなかったっけ」と思ったんです。この後自分は、学生時代にも小説を書かず、社会人になってからも書かずに終わっていくんじゃないかと素に戻った感覚がありました。

 でもその一方で、高校の時もまともに書き切れていなかったし、今いきなり書き始めても自分には書けないだろう、ということも分かった。その時に出した結論は、「読もう」。自分はシナリオの勉強のようなこともしていないし文章の練習もしていない、もっと言うと身体で小説を理解していない、だから学生時代は読むことに集中して、自分の中に小説を蓄積していこうと決めました。

――なにから読み始めたのですか。

 しばらく全然小説を読んでいなかったので、最初は、気軽に楽しめるエッセイを読むことにしました。それで、短くて読みやすくて面白い東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズを片っ端から読みました。あの緑の背表紙の本ばかり読んで、たまに椎名誠さんとの対談を読んだりしていました。

 3年生の時は大学の生協に売っているエンターテインメントばかり読んでいたんですが、4年くらいになって急に純文学を読みたくなって。それまで純文学に対しては謎の恐怖感があったんですが、急に純文学シフトを組んで、それで読んだのが町田康さんであり、舞城王太郎さんであり、佐藤友哉さんだったんです。これがハマりました。舞城さんの『煙か土か食い物』や『熊の場所』は今でも好きだし、佐藤さんの『1000の小説とバックベアード』は今でもオールタイムベストのひとつです。

 いちばんハマったのが町田康さんでした。最初に『パンク侍、斬られて候』を読んで、まったく訳が分からないのになんでこんなに面白いんだろうと思い、その不思議さを求めて『くっすん大黒』の表題作を読んで訳分からないけど面白くて、収録作の「河原のアパラ」を読んだらもっと分からないけど面白い。じゃあ『屈辱ポンチ』も読もうとなり、『夫婦茶碗』『きれぎれ』も読み......結局、当時出ていた作品は全部読みました。いまだに分かってないですけれど、でも面白いんですよね。自分にとってどれが一番好きかは気分によって『パンク侍、斬られて候』か『告白』か『夫婦茶碗』かで変わるんですが、今は『告白』かなあ......

――『告白』は河内弁の語りも特徴的かつ魅力的でしたよね。

 私は北河内の出身なので、あの方言は馴染みがありました。小説のリズムにも合っていましたよね。あの時期に『告白』に挑戦して本当によかったです。「純文学を読んでおかないと」と思った自分の直感は正しかった。

 この頃読んだ本では他に、矢作俊彦さんの『ららら科学の子』や、古川日出男さんの『ベルカ、吠えないのか?』も好きでした

――ところで、農学部ではどのような勉強をされていたのですか。

 農学部特有のものでいうと、森林系の学生は実習でフィールドワークに行ったりもしますし畜産系の人は馬や豚を扱ったりもしますが、私は微生物系の研究で、白衣着てラボで実験していました。空中菌をシャーレに採取して放置して何日間か観察したり、植物を育てて炭素量を測定したり。そこそこ楽しかったんですが、本当にこの研究で食べていけるのかという迷いがありました。かといって文系の就職をして自分が営業職とかができるのか、悩みました。大学生活は楽しかったんですが、勉強にしろ剣道にしろ、自分より優れている人がいくらでもいるなかで、本当にそれが自分がやるべきことなのか、続けられるのか、というコンプレックスや鬱屈を抱え続けた時期でもありました。

――大学院に進んだのは、それが自然な流れだったからですか。

 学科でいうと7割くらいの人が院に進んでいたので、深く考えずに修士に進みました。これを言うと親に怒られそうですが、院試の時期にほとんど勉強せずに町田先生の『告白』とかを読んでいたら試験に落ちて、かろうじて後期試験で受かったんです。

――そういえば父さん、北海道に遊びに来ましたか。

 2回くらい、父と母と妹で来てましたね。「遊びに行きたい」と言っていたわりには、頻繁には来ませんでした(笑)。

院生時代、東京での就職と投稿

――院生時代の読書といいますと。

 修士の2年間がいちばん本を読んでいたかもしれません。といっても月に10冊くらいですけれど、ペースを落とさずに読んでいました。

 米原万里さんの『オリガ・モリソヴナの反語法』は僕の中でトップクラスの一冊です。米原さんご自身の経験に基づいて書かれた小説ですね。1960年代のチェコのソビエト学校にオリガという舞踊の先生がいて、反語法を使うんですよね。生徒をけなす時に、大げさに褒めるんです。それで人気があったんですが、彼女を慕っていた日本人の生徒が大人になってから、オリガがどうやって生きてきたのか調べていく。ソビエトの政治的背景も盛り込まれるんです。境界線上で生きる人が描かれているのも惹かれた理由だったのかもしれません。こうしたノンフィクションに近い小説の魅力にはじめて触れたのがこの本だったのかもしれません。たしか生協で見つけたんですよね。最初にエッセイの『旅行者の朝食』を読んでこの方の文章は面白いなと思って、小説も書いているんだと思って買ったのかな。

 その頃に読んで好きな作品はたくさんあります。さっきからハマったとかオールタイムベストとかトップクラスとかばかり言っていますけれど(笑)。

――一人の作家を集中して読む「作家読み」が多かったのですか、それともランダムに選んでいたのでしょうか。

 ランダムに選ぶことが多くて、ちゃんと作家読みしたのは森見登美彦さんと伊坂幸太郎さんですね。

 作家読みした経緯は違って、森見さんはエンタメ小説を読むなかで『夜は短し歩けよ乙女』から入って完全にやられたんですね。この人天才やなと思って、『太陽の塔』、『四畳半神話大系』、『恋文の技術』などと順番に読んでいきました。伊坂幸太郎さんの場合は、大変失礼ながら、「売れてる人の本も読まなきゃ」と、斜に構えて手にしたんです。みんなが面白いって言っているから、じゃあ読むか、っていう。最初に『重力ピエロ』を読んだ時は「まあ面白いよね」という感じでまだ斜に構えていたんですが、もうひとつくらい読んでおくかと選んだ『アヒルと鴨のコインロッカー』で完全にハマりました。そこから『ラッシュライフ』や『陽気なギャングが地球を回す』などを読んでいきました。

――本はいつも生協で見つけていたのですか。それと、読書記録はつけていましたか。

 その頃は生協の文庫の棚か、札幌の駅前の紀伊國屋書店の文芸のコーナーを見て選んでいました。当時は読書日記をつけていたんですが、どこかにいっちゃったんです。でも、読んだ本の書名は一応リストにしています。いつ読んだかは分からないんですけれど。大学生の時に一応書いておこうと思って高校時代まで記憶をたどって書名を書き出して、それからはずっと書き留めていたんです。作家になってからはサボりがちなんですけれど。

――さて、修士を終えた後はどうされたのですか。

 院の1年生の時に就職活動が始まるので、その直前までに研究職に行くかそれ以外で就職するのか決めなくてはいけなくて。3か月だけ実験を必死にやって、駄目だったら理系での就職はやめようと決めました。それで実験に集中していたら、成果も出していないのに、なんか楽しいぞってなって(笑)。それで研究職で就職活動を始めました。作家は文系の人が多いから、理系にいったほうが人とは違うネタが拾えるという魂胆も、ちょっとだけありました。北海道に残りたかったんですが、理系の就職先自体が少なくて。東京を知らずにいるのもなあという気持ちもあったので調べてみたら、企業の研究所ってだいたい田舎にあるのに、東京に研究所のある会社があったんです。それで入社試験を受けたら受かったので、入社しました。

――ラボで商品開発するようなお仕事ですか?

 そうです。商品開発の部署に所属して、製品を試作したりして。でも今は、実験はほとんどせずに管理系の仕事ばかりしています。

――そうして勤務しながら、小説を書き始めたのですか。

 2012年の4月に入社したんですが、当時は新人研修の期間が長くて3か月もあったんです。その期間は早く帰れるんですが、同期と毎日飲みに行くわけでもないし、東京に友達もいないし、遊びに行く場所も分からないから、ヒマなんですよ。それで「あれ、そろそろ小説を書く時なんじゃないか」と思って書き出したら、100枚いかないくらいの短篇でしたが、はじめて最後まで書き切ったんです。新人研修が長かったおかげで書けました。でも、それを機にバリバリ書き出したなんてことはなく、最初は「わーい書けた」で終わったんです。

 しばらくして研修が終わった後も、新人なのでそんなに仕事量がないのでやっぱり時間があって、「もうちょっと長いのを書いてみようかな」とぼちぼち始めたら、250枚くらいの小説が出来上がって、その時も「わーい書けた」という気持ちでした。でも、新人賞というものがあると知り、応募したらうまいこといくかもしれないと思い、それで第4回野性時代フロンティア文学賞に応募したんです。篠原悠希さんが受賞した回ですね。私はしばらく応募したことも忘れていて、「そういえばどうなったんだろう」と思って「野性時代」を見たら、一次は通って、二次で落ちていました。それで、「俺の小説、一次は通るんだ」ってびっくりして。じゃあもうちょっと頑張ろうと思い、ふたつめの長篇を書き、「小説現代」の新人賞に応募したら最終候補に残ったんです。連絡がきた時に「あれ、もしかしたらデビューできちゃうかも」と、作家になる夢が現実的になってきて。その選考は落ちたんですが、そこで火がつきました。結局、そこから5年かかるんですけれど。

 それからは時間を捻出して、毎日小説を書くようにしました。デビューできたとしてもいきなり専業になるのは無理だと分かっていたので、兼業でも書けるスタイルを身に着けておこうと考え、試しに夜書いたり朝書いたりして、最終的には朝4時に起きて書いてから会社に行く習慣を確立し、それは今も続けています。

――何時に寝ているんですか。

 9時半とか。まあ、飲んで12時まで起きている日もありますが、だいたい睡眠時間は10時~4時の間ですね。

 で、2回目の「小説現代」に応募した時は受賞する気満々で渾身のネタで応募して、目論見通り最終候補までいったんです。でも、それが落ちたんです。選評を読んだらかなり叩かれていて、「あ、全然駄目だったんだな」って分かって。そこから2、3年くらい一次も通らないことが続きました。その間に結婚したりもして、心も折れかけたんですけれど2017年3月に野性時代フロンティア文学賞の最終候補に残ったんです。その時は受賞作が出ず、奨励賞をいただきました。「奨励賞です」と連絡が来て、本が出版されることもない、賞金もないと言われて、なんてリアクションしたらいいか分からなくて。一応、その回の一等賞だということで、「期待してるので来年もぜひ応募してください」と。その回は、今村翔吾さんも最終候補に残っていたんですよ。新人賞の選考で今村さんの名前はよく見かけていたので、今村さんには勝ったのかなと思っていたら今村さん、その月に『火喰鳥』でデビューしたんです(笑)。

 私のほうは「期待してます」という言葉を真に受けて、自分は絶対に来年この賞でデビューしよう、それが無理なら諦めようと思いました。それで書いたのが、『永遠についての証明』でした。その時はすごく気合を入れて2作応募したんです。もうひとつの小説も最終の手前までいったんですが、どちらかひとつを上げようということで『永遠についての証明』が最終に残ったそうです。

――岩井さんはデビュー後、毎回題材をがらっと変えた作品を発表していますが、応募していた頃も毎回作風は変えていたんですか。

 テーマも題材も変えていました。いろんなものを面白がってしまうんです。面白いものが書きたいけれど、面白い形はひとつじゃない。いろいろ書きたいんです。でも今振り返ると、ジャンルはバラバラであっても、どれも個人と現代社会の接点がある題材を探しているところがありますね。

 いわゆる社会派のような、重厚な語り口で重いテーマを深めていく小説も読むものとしては好きですけれど、自分が書くものとしては、社会を俯瞰したものというよりはもっと個人のことや、個人と社会の繫がりも描きたい。私が書くものは中間くらいの濃度なのかなと感じます。それが端的に出たのが『水よ踊れ』ですね。

社会人になってからの読書

――社会人になってからは、他にどのような読書生活を。

 社会人になってすぐに沢木耕太郎さんを読みました。沢木さんの作品はどれも好きで甲乙つけがたいんですが、オールタイムベストでいえば『敗れざる者たち』。スポーツ選手についてのノンフィクションで、ヒーローの陰にいた人たちのことが書かれている。『テロルの決算』や『人の砂漠』も好きだし、『無名』というお父さんの死を描かれたノンフィクションもしみじみといい作品だなと思いますね。町田康さんはすごく好きだけど小説を書く時に影響を受けているかといえば分からない。でも沢木さんは間違いなく影響を受けています。

――小説の読書はエンタメ作品が中心でしたか。

 そうですね。特に自分がエンタメのジャンルでデビューしてからは、意識してエンタメ作品は読みました。そのなかでハマったのは宮内悠介さん。デビュー作の『盤上の夜』から入って、『エクソダス症候群』や『彼女がエスパーだったころ』のあたりが特に好きです。他には、最近でいうと小川哲さんの『ゲームの王国』にハマりました。それと、月村了衛さんの『機龍警察』シリーズは新作が出たら即買いしています。最新作の『機龍警察 白骨街道』も読みました。もう、完成度の高さが際立っているんですよね。並々ならぬ知識と技術でもって社会派とSFと活劇エンタメみたいなものをくっつけて、それらの美味しいとこ取りに成功していて。スーパー神業をハイレベルでやってのけていて、あの完成度は異常だなと思います(笑)。

 意識してエンタメを読むといっても、もちろん読者として自分が楽しいと思えるかが大事ですね。日々の仕事は辛いし、行き帰りの電車の中では楽しく読書したい。

 もともと私が小説を書き始めたのも、『ちあき電脳探偵社』の連載が終わってしまったから代わりに自分で作るしかなかったんですよね。読みたいものを自給自足していた。今も結局それなんだと思います。書き手である時も、読み手としてどういう展開なら面白く読めるかを考えている。だから読書している時も、自分のアンテナに引っかかるかどうかがすごく大事なんです。

――以前、東山彰良さんの『流』と、真藤順丈さんの『宝島』も絶賛されていましたね。どれも青春小説であり、国や政治という背景が感じされる作品で。

 『流』は直木賞を受賞したのがきっかけで読んだんですが、やっぱりものすごく良くて。『宝島』は刊行直後から話題になっていたので出てすぐ読みました。真藤さんといえば、私が野性時代フロンティア文学賞を受賞した時、KADOKAWAの主催する賞の合同の授賞式があったんですが、ちょうど真藤さんが『宝島』で山田風太郎賞を受賞された年だったんです。「あ、『宝島』の人だ!」と思って、ちょっとご挨拶して。だから真藤さんって、自分が作家としてスタートラインに立った時にベンチマークになった人なんですよ。作家としてのひとつのモデルケースのイメージです。

 『GO』と『流』と『宝島』という3作を読んだことで、自分の中の『水よ踊れ』の布石が完成した気がします。自分はこういう作品が書きたいんだとはっきりした。

 3作とも初読で感じたのは熱量でしたが、この熱さの正体ってなんだろうと考えた時、闘っていることだと思ったんです。何に対して闘っているかというと、自分の生まれとか宿命とか運命とか、究極的に言ってしまえば、国家と闘っている。国によって定められた、規定されたことに抗って無謀な闘いをしている。でも、勝てるわけがないじゃないですか。それでも、どうせ負け戦だったらさっさと負けたほうがいいよね、ではなく、勝ち目がまったくないなりに必死で走っていく姿勢に熱さを感じたんです。摩擦がないところに熱は生まれませんが、3作とも主人公が抗って、がつがつぶつかって、摩擦を起こしてくれている。そこに惹かれたんです。

――確かに『水よ踊れ』も、そういう作品ですよね。

 そういう先行作品へのリスペクトのもとに成り立っている小説ですね。私は読書量が多いほうではないけれど、自分の中で1冊1冊が占めているウェイトは大きいのかなと思っています。あれもこれも読んでいるわけじゃないけど、「自分にはこの小説がある」と思える、まぎれもないオールタイムベストが20冊くらいある。それが作家としての自分の宝にもなっています。

――『水よ踊れ』の最後では、抗って勝てるわけがない相手に、ある意味、どう一矢報いるかが示されていますよね。

 あそこは何度も書き直しました。闘うといっても、正面からぶつかっていく方法もあるし、逃亡するやり方もある。そのどちらでもない、第三の道を探し続けました。そういう、新しい選択肢を提示したかった。毎回そんな選択肢が見つかるか分かりませんが、オルタナティブな提案ができる存在であり続けたいです。

アイデアの蓄積と今後

――小説の題材を見つけるためのインプットは何かしていますか。

 あんまりしていないんですけれど、香港に限らず、今までの30年ちょいの人生の中でひっかかっているテーマがいろいろあるんです。その中から見つけるので、改めて探す必要を感じないというのが正直なところです。ただ、行き詰まった時に本屋さんのノンフィクションの棚を眺めることはあります(笑)。書店の本棚をブレストがわりに使っているという。

――アイデアノートなどは作っていますか。

 アイデアレベルのものは書き留めています。全部パソコンで作業しているんですが、小説用のフォルダを作るんです。たとえば、「香港」というアイデアが浮かんだら、そのフォルダを作り、その中にメモ帳をひとつ作り、思いついたことはとりあえずそこに書き留めていく。それがいつ小説になるのか私にも分からないんです。タイミングとか、自分の力量がマッチしたと感じた時に、そろそろ書こうか、となる。そうしたらそのフォルダの中に新しいファイルを作って、小説を書き出すんです。すでにたくさんフォルダがあるので、「これなんのことだっけ」と思うものもありますね(笑)。

――『水よ踊れ』は、参考文献もかなりの数が載ってますよね。

 あのなかでは、星野博美さんの『転がる香港に苔は生えない』はもともと読んでいましたが、他はだいたい書くと決めてから読んだものですね。参考文献に関しては、あまり集めるとそれを読んでいるだけで楽しくなっちゃうし、受ける影響も大きくなってしまうので、あまりやりすぎないようにしています。自分の中の蓄積で書けるものはそれだけで書く。『文身』なんかはそういう小説ですね。ただ、『水よ踊れ』は自分の中にないものが多かったので参考文献が多くなりました。

――読んだ時、岩井さんって以前香港に住んでいたか、何度も通っていたのかと思ったんです。それくらい街並みや人々の生活や、個人個人の事情がリアルに描かれていたんですよね。だから、一度も香港に行ったことがないと聞いて、本当に、びっくりしました。香港の建築物についても詳細に描かれていますよね。

 もともと写真集などを見て、香港の建物って特徴的だなと思っていたんです。九龍城もそうですし、ルーフトップ・スラムと呼ばれる、ビルの屋上のスラム街なんかもそうだし。それで、直感で、建築というモチーフを使って香港が描けるんじゃないかと思いました。それまで建築については全然詳しくなかったんですが、分からないけれどとにかく書く、堂々と嘘をついていればなとなるんだっていう図太さが身についているので(笑)。

――さて、今後のご予定は。

 10月に双葉社から『この夜が明ければ』という、「小説推理」に連載していた本が出ます。北海道の季節バイトに集まった七人の男女の一人が、ある日遺体で発見されて......という話です。10月からポプラ社の「WEB asta」で始まる連載は少年事件の弁護士の話、年末から小学館の「STORY BOX」で始まる連載は女性カメラマンが北米最高峰に挑む話です。

 他には、年明けに中央公論新社から書き下ろしが出る予定で、これは北海道の水銀鉱山が舞台です。それと、来年KADOKAWAから連作短篇集が出る予定です。

――見事に、どれも全然題材が違いますね。スランプになったり行き詰まることはないですか。

 ありますけれど、「やる気はやらないとでてこない」っていうのが好きな言葉なので。投稿時代が、すごく孤独だったんです。最後のほうは書いても書いても結果が出なくて、意地だけで書いていたところがある。その時も、書くしかないと思っていました。書かないと投稿もできないですから。そういう気持ちが投稿生活6年の間に培えたことが、いま財産になっています。

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