レオナルド・ディカプリオに恋をしたのは小学校低学年の時だった。今も昔も運動が苦手な私は、放課後に友達と鬼ごっこなんかをして遊ぶよりゲームをしたり漫画を読んだりする方が好きだった。引きこもってばかりだったので、こつこつとお金を貯めて買ったゲームはすぐにクリアしてしまい子供にとっては苦痛な暇な時間が生まれてしまった。そんなとき、父親のビデオコレクションを勝手に漁ってとりあえずと手にした1本が「タイタニック」だった。そこで私は映画に、レオナルド・ディカプリオに出会ってしまったのだ。
これまで子供向けアニメやポケモン、ドラクエなど平和な舞台を駆け巡っていたが、「タイタニック」はそれらを凌駕する大人でディープな世界を描いていた。
静けさの中、交わされる愛の言葉や熱い吐息。そして、人々の絶望の叫びと生と死。幼かった自分が目にしたことがない衝撃的な物語だった。
そして、その画面の中ではにかむ美しすぎる青年に恋をしてしまった。これまで、画面の中のキャラクターに恋をしてしまうことは多々あったが、しょくぱんまんやロボコンといった冷静になればあまり想いが燃え上がらない対象が多かった。しかし、彼は人間で実際に存在する。当時、眺めるだけの片想いを5年間くらいしていた子がいたにも関わらず一瞬でレオナルド・ディカプリオの虜になった。5年間、この長い年月を刻んだ恋を瞬く間に鎮火させる彼は恐ろしい存在でもある。そこから、他の出演作品「ロミオ+ジュリエット」、「仮面の男」、「ザ・ビーチ」、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」などを何度も鑑賞し彼のことを追い続けた。
特に「ロミオ+ジュリエット」の水槽越しで目があって恋に落ちる名場面は何度巻き戻したかわからない。むしろ、恋に落ちない人がいるのだろうか。このような不純な動機で映画を早い段階から見始めたわけだが、これまでにないくらい心を揺さぶられたのは映画が初めてだった。2時間ほどの長い時間をかけてじっくりと、聴覚と視覚を通じて私の脳をその物語に染め上げていく。苦しさだったり愛しさだったり、やるせなさ、爽快感をあたかも自分が経験しているかのように錯覚させてくれるのだ。
普段から、消極的に生きている自分の人生には刺激が強すぎる事件は起こらないけれど、むしろ起こったら疲れると思うので避けているのだけれど、感情の劇的な変化というものを味わってみたくなる。そんなときに、映画という安全圏でありながらも感情を染め上げる芸術を介して刺激を得るのだ。
感情の機微や考え方、生き方など映画を通じて色んな世界があるということを学んで大人になった。今の自分が存在するのは映画があったからといっても過言ではない。人生を突き動かしたものは何かと聞かれたら、映画だと答えるだろう。幼い頃に、映画に出会えて本当に幸せ者だと今でも思う。ちなみに、レオナルド・ディカプリオの恋は中学生を境にジャスティン・ビーバーの到来によって終わりを告げた。痛い思い出として大切にしまっておこうと思う。