きっかけはTwitter
――お二人がつながったきっかけを教えてください。
手塚るみ子(以下、手塚):PEAVISさんがTwitterでリプライをくださったんですよ。
PEAVIS:僕が初めて「ラッパーたちの読書メソッド」で取材していただいて、『ガラスの地球を救え』を紹介した時の記事ですね。手塚治虫さんに一番近い方がラッパーやヒップホップをどう思うか聞いてみたくて、メンションで記事のツイートを送らせてもらいました。
手塚:これまでいろんなミュージシャンの方と手塚作品のトリビュートを作ってきましたが、年齢的にも生前の手塚治虫をなんらかの形で知ってる世代が多かった。あとは特定のキャラクターに思い入れがあったり。でもPEAVISさんは手塚が亡くなったあとに生まれてて、マンガよりも『ガラスの地球を救え』に影響を受けていると話していた。この本は、21世紀が近づく1980年代に手塚が日本や世界に向けて発信した講演会やエッセイを、死後に再編集したものです。昭和からマンガを描き、いろんな社会を知る中で思ったこと、親として、大人として子供に伝えたいこと、作家としてやりたいことが書かれています。だからダイレクトに手塚の考え方が表れている。最近はこの本の存在を知ってる人自体が少ないから、びっくりして。あとSNSでつながったことも大きなインパクトだったんですよ。
PEAVIS:どうしてですか?
手塚:私は炎上体質みたいで、顔の見えない人たちからしょっちゅう悪態をつかれてるんですね(笑)。そんな中でPEAVISさんは、自分の活動と手塚治虫がどうリンクしてるかっていうことを真摯な言葉で届けてくれて。それがとても嬉しかった。こういうコミュニケーションがとれるなら、SNSにも価値があるなって思わされました。
PEAVIS:自分も滅多にリプライを飛ばしたりはしないです(笑)。
手塚:結構勇気いりますもんね。そのあとに「ガラスの地球」の音源もTwitterで送っていただきました。この曲を聴いて、私はPEAVISさんが『ガラスの地球を救え』を読んで、孤独な部屋の窓を開けて、新しい風を入れようとしてる印象を持ったんですよ。本を読んで自分自身や世界のことをいろいろと想像してるというか。
PEAVIS:まさにです。そこがるみ子さんに伝わったのが嬉しかったですね。あと「ガラスの地球」はコロナで世の中が大変なことになりはじめていた時期に書いたんです。『ガラスの地球を救え』には今の時代に響くメッセージがあると思ったので、本の内容を自分なりに表現してみました。
手塚:この本をどうやって知ったの?
PEAVIS:作品のアートワークやタトゥーをお願いしてる、先輩のグラフィティーライターに教えてもらいました。今45歳くらいで、手塚先生をとてもリスペクトしてます。
手塚:ヒップホップやストリート系の方も手塚マンガを読んでくださってるんですよ。心の中にある何かとリンクするというか、重なる部分を感じてらっしゃるみたい。
PEAVIS:本の中に、手塚さんが戦時中に隠れてマンガを描いてたって話がありましたよね。僕も中学生の頃にヒップホップに興味を持って、リリックを書き始めたんですよ。当時は今みたいに流行ってなかったから、親にも学校の先生にも「ラッパーになるなんて頭おかしい」と言われてて(笑)。手塚さんのほうがハードな状況ですけど、大人からダメって言われたからマンガにのめり込んだと書かれていて、そこも共感できましたね。
手塚:「マンガなんて」とバカにされる時代でしたからね。手塚は体が弱くて運動もできない、いじめられっ子でした。けどマンガと作文の中では翼を広げて自由に自分を表現できた。「これしかないんだ」っていう意味では、ラップに出会ったPEAVISさんと近いものがあると思いますよ。
手塚治虫記念館で撮影したMV
――「ガラスの地球」のMVは兵庫にある宝塚市立手塚治虫記念館で撮影されたそうですね。
PEAVIS:手塚先生に縁ある場所で撮影したかったんです。そこでるみ子さんに無茶なご相談をしてみたら、なんと実現してしまったという(笑)。じゃあ曲もアップデートしようと思って、新たにトランペッターの黒田卓也さんに参加していただき、オリジナルのビートを作ってくれたShin Sakiuraくんにセルフリミックスしてもらいました。
手塚:イメージを表現するための架空の場所として記念館を使用するなら断ろうと思ったけど、オファーに説得力があったんですよ。本をモチーフに曲を書いて、手塚に縁ある場所で撮影したい。さらにPEAVISさんも兵庫県の出身で「MVで自分のルーツを拾っていきたい」とも話していたんです。
PEAVIS:小学校3年生まで兵庫県の神戸にいたんですよ。その期間が人生で一番平和な時間でした。MVは手塚治虫記念館に加えて、宝塚市、神戸市、淡路島でも撮影しました。
手塚:PEAVISさんが本に感銘を受けて、扉を開けて外の世界にコミットし、改めてルーツを知りたくなり、人生で一番楽しかった頃の思いを曲に込めたいっていう一つひとつに意味があると思ったんです。しかも制作してた時期はコロナが猛威をふるっていたから、よりPEAVISさんの思いにも共感できました。
PEAVIS:MVには小さなロボットが出てくるんですけど、あれはMVを監督した「スタジオ石」の2人がラジコンを改造して自作してくれたんです。現場にはるみ子さんもいらしてくれて、彼らも手塚さんの大ファンだからぶち上がって緊張してましたよ(笑)。
手塚:ちっちゃいラジコンのロボットがテケテケ動き回ってておかしかったね(笑)。今の最先端なロボットじゃない。昭和の香りがして。手塚治虫の世界っぽかった。
手塚治虫の思想
――今お二人の会話の中にコロナ・パンデミックというトピックが出てきました。それまでは世界規模のパンデミックなんて創作の中だけだと思っていましたが、今回のことでなんでも起こり得ると思い知らされました。それを踏まえて『ガラスの地球を救え』を読むと、手塚先生は30年以上前からすでに環境問題に警鐘を鳴らしていて。近年、世界の政治や経済はようやく環境について真剣に考えるようになりましたが、改めてこの本の予見的内容に驚きました。
PEAVIS:手塚さんはこの本で地球は滅んでいくと言っていましたよね。僕も今まさに同じ思いなんです。でも自分にできることは曲を書くことだけ。しかも、あの手塚さんですら「自分の力はちっぽけだからマンガを描くしかない」みたいなことを言ってる。ってことは、これからも世の中は良い方向にいかないんじゃないかって本気で不安になるんです。だから「ガラスの地球」の最初の歌詞で、「ため息と吐く言葉どうすれば良いの?」っていう風に歌っていて。もし手塚先生が今生きていたらどういう表現になるんだろうってたまに考えるんですが、天に向かって「どうすれば良いの?」と聞いている感じです。
手塚:こういう話になると「本当に世界を変えたいなら政治家になって環境問題に力を注げばいいじゃない」ってなるよね。けどPEAVISさんがおっしゃる通り、手塚も一人のマンガ家でしかなかった。だからマンガを通して読者、特に子供たちに伝えたかったこと、あるいは受け止めてほしいこと、間違ってほしくないことをできる限り描いた。それだったら「デモに参加するなり、問題の最前線に行くなり、もっと直接的に動くことだってできるじゃないか!」って突っ込まれると思う。でもそれが自分の本分なのか。手塚にはマンガに救われてきた子供時代があった。手塚は文化やカルチャー、または創作することで子供たちに救われてほしいと考えていたと思う。
――創作の力と子供を信じていた。
手塚:うん。子供たちの手元にある1冊のマンガから世界を変えたいと本気で思っていた。その子たちが大人になっても同じことを思い続けてくれたらなお良い。だから子供が心の新しい扉を開けるための作品を描き続けた。そんなの世界規模で見たらちっぽけなのかもしれない。だけど、それが手塚治虫の生き方を支える実感だったんだと思う。
PEAVIS:自分も『ガラスの地球を救え』を読んだところから、今こうして対談させてもらってますし。
手塚:今こうして対談してるのは、PEAVISさんが『ガラスの地球を救え』を読んだだけじゃなくて、そこから「ガラスの地球」をアウトプットしたからだよ。表現行為の力とは、ありきたりの日常の出会いで人の心を動かして、何かを変えられることだと思う。些細かもしれないけど、考える力を刺激できる。そういう豊かな文化を育めるのは、手元にある1冊のマンガであり、スマホで聴ける音楽じゃないですか。
PEAVIS:今の若い子は情報が山のように入ってくるんで、その中からたまたま手に取ったものが良いものであることが重要なんですね。
手塚:良いものというか、根本的で普遍的な考え方だよね。それをきちんと受け止めてもらえるような伝え方で表現する。子供向けに安易にするってことじゃなくて。伝われば、わからないことは子供が勝手に勉強する。だから表現する人間は伝えるために努力すべきだと思うな。
表現の善し悪しと評価
――「きちんと受け止めてもらえるような伝え方で表現する」とは、具体的にどういうことなんでしょうか?
PEAVIS:確かに音楽やアートもコアな表現がメインストリームに広まると表面的なことだけが注目されますよね。
手塚:わかりやすくかっこいいところだけが取り上げられるよね。それはすべての文化に言えること。手塚のマンガも教育的なところで評価されているけど、一方では『きりひと讃歌』『奇子』『人間昆虫記』みたいな人間のドロドロした、とても子供には見せられないようなものを描いてきてる。でも本来マンガは風刺であったり、内面のコンプレックスをぶつけるところ。手塚のそういう面を見ないで、(教育的な部分だけが)メインカルチャーに持って行かれて広まっていくことは、私も若干気になってるよ。実際、人間には道徳的な面と、ドロドロした面の両方があるものだから。
――今挙げられたすべての作品には人の多様性が描かれていますよね。さらに『きりひと讃歌』には差別、『奇子』には家父長制、『人間昆虫記』には資本主義などさまざまな示唆がある。こうした作品は、「受け止めてもらえる」という意味ではかなりハードで社会的ですよね。地位も名誉もあったのになぜこういった作品を描かれたのでしょうか?
手塚:自分が感じていること、表現したいことをどのターゲットに向けて描くかって中から、後期の社会派な作品が生まれていったんだと思います。30代と50代の手塚では見てるものが違うから。ただ根底にあるものは変わらないから、大人向けに描いた作品もいつか子供がそこにたどり着くだろうと思って描いてたはず。矛盾してるように聞こえるかもしれないけど、同時に手塚は自分の作品が読まれなくなることに対して常に怯えていました。世間的には「手塚先生」だったかもしれないけど、本人は劣等感の塊で、プレッシャーに弱い人間だったと思うんです。その怯えがあったからこそいろいろチャレンジしてたし、動いてないと止まってしまう怖さもあったんだと思いますね。
PEAVIS:その話は勇気をもらえますね。僕がやってることは今のヒップホップで流行ってる方向性とは全く違うんです。世界中のラッパーたちの多くは、成り上がってお金や女の子を手にすること、もしくは貧しい地区育ちでドラッグを売って銃で人を殺す自分たちの日常を歌っています。この弱肉強食の世界観が俺らの現実だって。そこまで過酷ではないにしても、それがリアルな日常になっている人は日本にもいて、かっこいいラッパーもいる。ただ最近は、それを表面的に真似したような中身のない音楽が多い気がします。業界全体としてもラップが流行っているからとりあえずタイアップするみたいな流れも感じるし。でもヒップホップのルーツは差別されていた黒人たちが暴力以外の方法で自分たちのアイデンティティーを表現しようとしたことなんです。なのにそれを知らない人がほとんど。現代のリスナーたちからすると「ガラスの地球」みたいな歌は小難しいきれいごとだと思われちゃうような気がして。でも違う視点や考え方もあるってことも知ってもらいたいんです。
手塚:手塚の『アラバスター』という作品は発表当時「なんじゃこりゃ」って言われてたんですよ。「暗すぎて読めない」って。でも今となっては「あんな作品を描けるのは手塚先生しかいない」と言われてる。評価なんてそんなものなのよ。
PEAVIS:僕が『ガラスの地球を救え』と同じくらい影響を受けているのが、ケンドリック・ラマーというアメリカのラッパーの「good kid, m.A.A.d city」というアルバムです。この作品は弱肉強食の暴力的で狂った街(m.A.A.d city)を普通の少年(good kid)の視点から描いています。自分も悪い環境にいたし、不良の友達もたくさんいるけど、僕自身は心から悪にはなれなかった。だからこそこのアルバムにすごく共感できました。この作品みたいに、僕も僕でヒップホップの中からステレオタイプではない価値観を提示したいんです。
手塚:人から出てくるものは時期によって全然違う。『アラバスター』は手塚が一番暗かった時期の、一番ドロドロしてたものがそのまま出てる作品なんですね。きっとPEAVISさんも30代になったら全然違う方向で音楽が生み出されていくと思う。時にはその自分が嫌でしょうがなくなる時もあると思うけど、変わっていく作品を全部自分だって受け入れるのが大事だと思うよ。それに世の中にはヒップホップは好きだけど野心的な世界観にはハマらない人もいるだろうし、そういう人が何かのきっかけでPEAVISくんの曲を聴く可能性もあるし。とはいえ、コロナ以降、より保守的な雰囲気になっているこんな世界で戦っていくのは大変だと思う。
――そんな時だからこそ創作に意味があるのかもしれないですね。
PEAVIS:生きることに直接関わりはないけど絶対に必要なことですよね。今は楽しむことが不謹慎とされる。けど違う。
手塚:このコロナの時期にマンガとアニメがすごくヒットしましたよね。負の感情が支配する中で、子供は「鬼滅の刃」を、大人は「シン・エヴァンゲリオン」を見るために劇場に何度も足を運んだ。空想の現実離れした世界で心が解放されたり、ホッとできたり、楽しいと思えるような、人間が本質的に持ってる気持ちを膨らませた。そういうきっかけがないと息が詰まっちゃう。だからマンガ、アニメ、音楽が力になる。政治や社会が変わるのはすごく時間がかかる。でも手元にあるマンガや音楽には夢が詰まってて、寝る前に「ああ楽しかった」って思いながら夢に入っていく。そういうことが一番大事なんじゃないかな。
音声でも!
PEAVISさんと宮崎敬太さんが、インタビューの後日談や普段の音楽活動について、好書好日のPodcastで語りました。「ガラスの地球」を始め、PEAVISさんの音楽とともにお聴きいただけます!