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左右社・小柳学さんをつくった「身体の零度」 体へのまなざしに宿る文化

 最初の本は人だったという説を何かの本で読んだことがある。文字を発明する前は、人は自分の中に言葉を抱え記憶していた。だから人はもともと本である、といったような内容だったが、文字通りそうとしか思えない人が三浦雅士さんだった。

 1990年代に私が「ダンスマガジン」や「大航海」(思想誌)といった雑誌を編集していた時期に刊行されたのが『身体の零度』だ。三浦さんは二つの雑誌の編集長をしていた。夥(おびただ)しい本を読み、位置づけ、時々の関心を形にしていく、編集者としての立ち居振る舞いに刺激を受けていた。

 『身体の零度』は、近代以前以後の身体の文化性の変容を論じたもので、それまでは身体はどちらかといえば文化とは無縁のものとして捉えられていたように思う。人類学、民俗学、生物学などあらゆる分野の研究や知見を横断しながら、身体が恥じらいの対象になる由来、日本人の表情にかつてあった「笑(え)み」がある時期に消え、「笑い」になったこと、デカルトとルイ14世の軍隊のこと、ダンスが芸術の核心に位置するものであることなどが語られる。料理でいえば、和洋中どんな食材でも、すぐさま料理して差し出してくれるような楽しさもある。

 この本は当時の自分に、毎日の仕事の意義を保証してくれるものだった。だから本そのものが誇らしくもあった。知ることで、世界は深さと驚きを増す。本はそのことを使命とする、ということを知った。気がつけば、本以外の世界では生きていけない自分がいた。=朝日新聞2021年11月17日掲載