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がんばってる? 柴崎友香

 この連載はありがたいことに十年近く、百回以上続いているから、「これに関しては前に書いたはず」がよくあって、今回も確認のために過去の回をさかのぼった。やはり近い内容の回があって別の機会に違う角度で書こうと思い直したのだが、今までに書いた回を読んでいると、ちゃんと書いてるやん、とほっとした。

 作家が「ちゃんと書いてる」とはどういうことかと思われそうだが、書いているときは、もっとうまく書けるのでは、これで本当にいいのか、と逡巡(しゅんじゅん)する気持ちが強すぎて、自分の努力が足りなかったのではとの思いが先に立ってしまう。小説でも他の文章でも、もちろん精一杯やっているのだが、「足りない」「できてない」のほうが自分の中では大きく感じる。時間が経って自分と文章との距離ができてやっと、落ち着いて考えられるのかもしれない。

 文章だけでなく、他のこと、毎日の生活もそうだ。今日もあれができなかった、これもやってない、と焦るばかりだ。周りの人は、すごくちゃんとできてるように見える。あんなに素晴らしい仕事をして、家も片付いてて、と、勝手に羨(うらや)ましくなって、勝手に落ち込んだりもする。

 大学四年の時、就職活動がまったくうまくいかず、ある資格の集中講座に通ったことがある。何日目かのお昼休み、近くの公園でお昼を食べるとき、同じ受講生だった六十代くらいの男性が近くにいた。「学生やのに偉いなあ」とその人が言うので、「いえ、就職活動も全部落ちたし、なにもできてなくて」というようなことを話したら、「がんばってるかどうかわかるのは、自分なんやで」と言われた。咽頭癌(いんとうがん)の手術をされたそうで喉(のど)に穴があいていて、かすれた声で「おっちゃんもいろいろあったんやけどな」と、話してくれた。あの人は今はどうしてはるやろうか、とときどき思う。

 過去の文章を読み直しながらふとその人の言葉を思い出し、自分が自分のやってることをちゃんと認めてやらないとなー、と思った。=朝日新聞2021年11月24日掲載