ISBN: 9784794811929
発売⽇: 2021/10/01
サイズ: 20cm/330p
「価値を否定された人々」 [著]中野智世、木畑和子、梅原秀元、紀愛子
ドイツ現代史の専門家四人が力を結集し、最新の成果を元にして本書に描いたのは、ナチスが「価値のない」「価値の低い」と一方的に名指しした人びとを強制断種したり、ガスで殺したり、飢餓になるままにさせたり、亡骸(なきがら)から金歯を取ったりした蛮行の歴史である。健康で健常な体制順応者だけで構成された社会を夢見たナチスの末路だ。
二〇一六年の相模原障害者殺傷事件を思い起こす読者も多いだろう。重度の障害者を生かすために莫大(ばくだい)な費用がかかっていると考えていた殺害者は、自己のためではなく「日本のため」に障害者を殺害した、と取り調べで述べていた。SNSでも彼を支持する声が一定数あったが、これが意味するのは私たちの社会全体がナチスの夢から遠くない証拠だと私は思う。
本書は、エルンスト・プッツキという一人の障害者の、心が搔(か)きむしられるような話から始まる。ナチ政権下で「反社会的分子」への摘発が強まり、彼は手厚い保護を受けられる身体障害者施設から精神病院に送り込まれる。障害の状況から子孫を残す恐れはないとされ断種は免れたが、退院後にヒトラーを批判し、国家に敵対的なビラを作成・配布をしているあいだに、当局に目をつけられ、母の前で警察に連行された。
官医はプッツキを「妄想症」と診断。彼は再び精神病院に移され、さらに転院させられる。ここは彼が的確に見抜いたように「人里離れたところで目立たないように餓死させる」病院であった。「みんな骸骨のように痩せ衰え、ハエのように死んでいきます」と彼は母宛ての手紙に書いたが、母の手元に届かなかった。
人間よ、人間に敬意を。彼が亡くなった精神病院で、一九六四年に犠牲者を追悼する石柱が建てられた。その下部に刻まれているのがこの言葉だ。本書に掲載されている石柱の写真を見ると、半世紀を経て、いっそう怒気を孕(はら)んでいるように私は錯覚した。
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なかの・ともよ、きばた・かずこ、うめはら・ひではる、きの・あいこ いずれもドイツ史研究者。