まずは「まくら」から。落語の前置きがどんどん長くなり、ひとつの話のようになった。本題に入らず終わることもあったが、お客さんは喜んだ。それらを集めたのが『ま・く・ら』。
50歳を前に「字幕なしで英語の映画を楽しめるようになりたい」と、勉強を思い立つ。米国のよく知られた大学の隣にある英語学校に3週間通い、「めりけん留学奮戦記」が生まれた。授業のテーマは「パースト・パーフェクト・プログレッシブ」。全然わからない。あとで聞くと過去完了進行形だった。「第一、そんな文法が要るんですか世の中に」「過去でもう完了しちゃったんですよ。それを今さらなぜ進行させる必要があるのか」と小三治さんは問う。
また、町や人々の様子を見て「ルールがあって人間があるんじゃなくて、人間があってルールがある。そういう国ですね」と言うのも、師匠らしい。
ほかに、駐車場に住むホームレスとの不思議なつきあいを話す「駐車場物語」など、18あるまくらのうち四つはCDで聞ける(それを活字に、というのがこの本の始まりだそうだ)。
さらけ出す愉快
とはいえ、最初からこんなに自由に話していたのではない。若いころは「この噺(はなし)にはこのまくら」と教わった通り、余計なことは一切言わなかった。中学3年で落語に出会い、厳しい両親への反発もあって、19歳で五代目柳家小さん師匠に入門。「どうしたら噺家になれるか」ということしか、頭になかった。
真打ち昇進から数年たった30代の半ば、困り抜いて書いた原稿で「噺家になるための努力はやめました」と宣言。「無愛想が何でいけないんだ」。初めて「さらけ出す愉快」を感じた。すると、噺家さんらしいですねと言われるようになる。そのきっかけとなった文章「あの頃は噺家だったなぁ」に加え、若い噺家に向けて書いた連載をまとめたのが『落語家論』だ。筋を通せ、と小言があふれる。
「まともにやって面白い、それを芸というのだ」は、ずっと変わらぬ考えだろう。「ハナシカがマジなことを言う、と笑うなら笑え。ハナシカである前にオレは人間なんだ」には、師匠も若い、とほほえましくなる。
気ままなようで
そのころ、ラジオの深夜放送のディスクジョッキーとなり、台本なしで毎週3時間近く話した。雑誌の対談のホスト役として、武満徹、渡辺貞夫、森山良子、松任谷由実、植草甚一、手塚治虫といった人たちと会う。まくらも落語も変わっていく。
そうして組み立てられ、仕立て直されていった噺は『柳家小三治の落語』全9巻で読める。「青菜」「あくび指南」「うどん屋」「馬の田楽」「かんしゃく」「小言念仏」「野ざらし」「百川(ももかわ)」に「子別れ」「死神(しにがみ)」「芝浜」など67席。30代から70代までの高座のDVDを本にしたものだ。活字で読むと、気ままなようで実は周到に伏線が張られたまくらや、単に気ままなまくらがあるのがわかる。噺の細部が見えてくる。ここにない「粗忽(そこつ)長屋」「千早ふる」「初天神」も読んでみたい。
『どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝』(岩波書店・1650円)は、評者が聞き手をつとめたが、噺家としての喜びがうかがえるところがあるので、紹介させてください。
落語には、登場人物をわざと困った状況やかわいそうな状況に追い込み、それを助けて、ほろっとさせる噺がある。向こう受けするだろうし、もともとはそういうのも好きなんですよ、と小三治さんは言う。でも「これが私の人情噺」という「厩(うまや)火事」で、大事件は起こらない。「なんでもない噺」をふつうに、極力おさえて進めていって、最後にほっと感じさせる。
「『ああ、やっぱりやっててよかったな。惚(ほ)れ込んで入ってきたのは、これだったのかな。無駄じゃなかったな』って感じるのは、そういうときですね」=朝日新聞2021年12月11日掲載