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ペーター・ヴァン・デン・エンデ「旅する小舟」 線に宿る「人間の気配」

『旅する小舟』から。illustration(C)Peter Van den Ende

 確実に人の手によるものだとわかる形で途方もないものが作られている。海や星空といった果てのない景色を見る時、安心するのはそれが自分たち人間の営みとは関係のない次元で存在するとわかるからだ。だからこそ、圧倒的なものを「圧倒的だね」と受け流せるのかもしれない。そんなことを考えるのはこの絵本でまず、受け流すことができない、ということに驚いて、止まってしまったから。小舟が旅をする絵本。一つ一つは確実に、人の手によるものだとわかる線。それが重なって、緻密(ちみつ)な、途方もない景色を作っている。私は、自分がその線にそれぞれ、まっすぐに向き合おうとして、目で一つずつを辿(たど)ろうとして、その際限のなさに引きずり込まれていると気づいた。線に宿る「人間の気配」。手で描かれたものだ、とわかることが嬉(うれ)しく、その事実をいつまでも無視できない。無視できないから、この景色を受け止めきれなかった。

 受け止めきれないまま進んでいく鑑賞が、こんなにも心地いいだなんて。私は小さな舟になって、目まぐるしい旅に出る。全ての景色に人の気配があることが特別で、だから全てを受け止めることができず、でもその不足は「わかる」と思い込むよりずっと充実感のあるものだった。世界の全てを知り尽くすことはできないのに、旅での疲れは知り尽くす以上の達成感をもたらす。そのことを私は思い出していた。=朝日新聞2022年1月15日掲載