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人を遠ざけ、自分を磨く時代に 関東学院大学教授・中村桃子

コロナ下の百貨店には「混雑時は食料品フロアへの入場を制限させていただく場合がございます」との貼り紙が=2021年8月、大阪市中央区

 言葉から人間関係の変化を理解しようとする試みに注目したい。

 椎名美智著『「させていただく」の使い方』によると、敬語が、相手への敬意より自分の丁寧さを示す表現へと変化しているという。「させていただく」は「させる」(許可)と、「もらう」(恩恵)の敬語形「いただく」からなる。一九九〇年代にブレークし、最近では「受賞させていただきました」のように、聞き手が許可や恩恵の相手でなくても使われるようになった。

 ブームの理由は様々だ。まず、「させてくださる」など他の表現の敬意がすり減ってしまった。また、「させていただく」は距離感の遠い表現だが、「話す」のように相手が必要な動詞を前に使って距離感を縮めることで遠近を操作できる。さらに、「させていただきます」という言い切りが増加して定型化したので、「受賞する」のような他者を必要としない動詞にも使われるようになった。

 「させていただく」ブームは、「丁寧な自己」で自分を守り、他者とつながることを避けるコミュニケーションが増加している表れといえる。「最近よく聞くなあ」という私たちの違和感をみごとに説明してくれる本書。おすすめ「させていただきます」。

女性を競わせる

 菊地夏野著『日本のポストフェミニズム』は、他者とのつながりにくさの一因を新自由主義から丁寧に説き起こしている。本書によると、新自由主義社会では、民営化や規制緩和により労働者の権利や福祉の受給が制限される。その結果、社会的連帯よりも自己責任が優位になり競争が常態化する。競争によって高まる不安は、家庭や国家の復権を唱える保守的言説に結びつく。そして、これらすべてが経済効率によって正当化される。

 こうした変化を集約しているのが、二〇〇〇年ごろ使われ始めた「女子力」という言葉だ。調査から浮かび上がった「女子力」の意味は、料理や気配り、おしゃれなど保守的な良妻賢母能力。恋愛や結婚に有利になると考えられている。また、それらの能力を得るために努力する姿勢を指す。主体的に自己管理する新自由主義的な志向だ。だから、女性を連帯ではなく競争にかき立てる言葉なのだ。

 女性全体の地位向上を目指したフェミニズムが、個人の自己管理を称揚するポストフェミニズムに移行している。私も「大人女子」などと呼ばれて喜んでる場合じゃないのだ!

 個人化がすすんだ社会における人間関係の問題を「人それぞれ」というキーワードで捉えたのが、石田光規著『「人それぞれ」がさみしい』だ。多様性を尊重する社会では、何げなく発した言葉でもハラスメントとみなされる可能性がある。それを避けようとすると、他者に極力立ち入らないように萎縮してしまう。一方で、自分の意見は同じ考えを持つ人同士が集まった場で主張する。そうした集団は、自らの意見の正しさを確認し合うだけ。集団の外の異なる意見に対しては、激しく糾弾することもある。

つながる工夫を

 著者は対話を可能にする処方箋(せん)も提案してくれている。つきあいの中に容易には壊れない「頑健さ」を組み込んでいく、人づきあいにコスパを求めない、などだ。

 若者を中心に新自由主義が浸透している現代に、「本音で語り合おう!」という単純な呼びかけは役に立たない。個人化が、石田が指摘する分断も生んでいる。それでも、「ひとりぼっちも楽しい」という価値観も含め、人々のつながる工夫を応援したい。新しい言葉遣いも、「正しい日本語かどうか」ではなく、「新しいつながり方」として評価していくべきだろう。=朝日新聞2022年3月19日掲載