ダン・スレーター「ウルフ・ボーイズ」
Lil Mercy:今回は「旅」をテーマにしたらどうでしょう?って思って。「それは思考の旅であったり、旅行という旅であったり、旅で読む本であったり。本は選択肢もくれるし、選択の先にも連れて行ってくれる気がする。時には選択する場面なく、その先に連れて行ってくれる。インディペンデント雑誌『inch magazine』でストーリーを編み込み伝える編集者・菅原さんと、写真を通してその人や場所にある物語を見せてくれる写真家・堀さんを迎え、それぞれが持ち寄った本から旅が始まる」っていうメールを送ってましたね。
持ってきたのは『ウルフ・ボーイズ 二人のアメリカ人少年とメキシコで最も危険な麻薬』。メキシコ麻薬戦争に「ウルフ・ボーイズ」という、10代前半で構成されてる殺し屋集団がいたという話で、彼らが高額の報酬をもらって、ライバル組織の人間から弁護士、警察、政治家を殺していたというノンフィクションです。「ウルフ・ボーイズ」の子たちは自分たちのしてきたことをあまり理解できなかったように書いている。ガブリエルとバートという2人の少年の話が中心なんですが、バートは身長が150cmしかなくて、シンプソンズに出てくるバートに似てるからそう呼ばれているというエピソードが、そういうことを象徴してるように感じました。
ikm:その2人はテキサス出身ですよね?
Lil Mercy:アメリカのテキサス州のラレドという街ですね。メキシコ国境で初めて街の名前を意識しました。
菅原:少年の人種は何ですか?
Lil Mercy:白人ですね。ブラウンでもブラックでもない。しかもこの本で書かれてるのは、アメリカ側で起こったこと。そこも含めてセンセーショナルだったんだと思います。麻薬戦争に関しては、メキシコ側の国境の町に関する本は読んだことあったし、ニュースでも記事でも多く取り上げられてると思うんですけど、アメリカ側を読んだのは初めて。ラレドにはあまり産業がないので、お金を稼げれば何でもいいという空気感があるように感じます。
取材から書き起こされた文章で、「映画は現実が見えなくなるから見ない」的な発言が出てくるんですけど、それが現実の凄まじさを表してるように感じました。しかもそんな昔の話でもない。2人はものすごい数の人を殺しているので一生刑務所から出られない。映画化の権利をどこかが持ってるらしいけど、たぶん映画化されなさそうですね。観たいですけど。
ikm:映画権利「あるある」ですね。
Lil Mercy:2人は自分がしたことを冷静に振り返ってるんですよ。ここに暴力の一番ギラギラした原石みたいな部分があるような気がして。彼らの原動力って、上の人に褒められたいとか、もっと自分を見てほしいという気持ちなんです。でも暴走はしない。温度感が不思議でした。戦争も、行く前に軍隊に入って特殊な訓練を受ける。そういうことで狂っていく。
ikm:ブートキャンプ(新兵訓練施設)は洗脳するための場所でもありますもんね。海兵隊は真っ先に戦地に行くから、他の兵士よりブートキャンプにいる期間が長いんですよ。それって肉体的な訓練もあるけど、すぐに戦争に対応できる精神状態にする期間でもあるっぽいんですよね。
Lil Mercy:ちなみに「ウルフ・ボーイズ」はもうないそうです。子どもだから電話の盗聴も気づかないし、殺す人の名前を言っちゃうし、捕まるとなんでも喋っちゃうし、すぐ裏切る。その後、麻薬カルテルは海外の傭兵を雇うようになったそうです。これは「旅」ですが、行きたくないほう(笑)。「本当にこんな世界あるんだ」っていう本でした。この本を読んでる時、結構悪夢をよく見ましたね。
デイヴィッド・ベニオフ「99999」/デニス・ジョンソン「海の乙女の惜しみなさ」
ikm:僕はデイヴィッド・ベニオフ『99999(ナインズ)』に入ってる「幸せの裸足の少女」と、デニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』の表題作の二つの短編の話をしたくて。この二つは本当に大好きな短編で、実はマーシーくんから「旅」というテーマをもらう前から話そうと思ってました。
堀:楽しみですね。
ikm:「幸せの裸足の少女」は、米ニュージャージー州のハイスクールのジョックが上級生の車を盗んで、衝動的にカルフォルニアに向かうところから始まって、そこも旅っぽいんですけど、でも結局、隣州のペンシルベニアでタイトルにもある“裸足の少女”に会って、「ハーシーパーク」って、チョコレートのハーシーズのテーマパークに行くんですね。そこで2人で食事をして、「もう帰らなきゃ」っていう少女を見送って、ニュージャージーに帰ってくる。その半日くらいの話が前半部分なんですけど、それが主人公にとっては特別な時間で。
この小説ではそれを、「心の底からかぎりない幸福感に満たされ、ただひたすら何かに感謝したくなる瞬間というのが人生にあるものだ。そういうことが起こると、人はもうその時からノスタルジーにひたる。その瞬間をスクラップブックに収めようとする」と書いていて。「スクラップブック」も「ノスタルジー」からも「旅」をイメージさせられたから、これはあまり好きな表現ではないけど、「人生は旅」っていう言葉が思い浮かんで、この短編も「旅」というテーマでいけると思ったんですよね(笑)。
マーシーくんが意識していたかわからないんですけど、僕の中では今回のテーマの「旅」って、TripとかTour、Travelじゃなくて、Journeyなんだと思っていて。Journeyは一番期間が長いし、その過程自体のことでもあって。そう考えると、特別な出来事を集めながら進んでいく旅が人生ということでもあるんじゃないかと思いました。
堀:確かに。
ikm:「幸せの裸足の少女」は、後半に主人公がある出来事をきっかけに自分の心の中のスクラップブックを開いて、十数年前に会った裸足の少女の消息を辿っていって、それは結構ビターな感じになるんですけど、それもやっぱり特別な時間。もう一つの短編「海の乙女の惜しみなさ」もそんな感じなんですけど。
菅原:どんな話なんですか?
ikm:広告代理店に勤めている初老の男性が、人生の特別な瞬間を断章形式で振り返っていって。その中に「青春時代から旅してきた道のり」ってラインが出てきて、そこでも「やっぱ人生って旅なんだな」と思いました。この本はいいことばっかりじゃなくて、「しつこく残る後悔と最近の後悔」とも書かれていて。ホスピスに入っている死を間際にした元奥さんから電話がかかってきて、そこで結婚中にしてしまったことの懺悔みたいなことを話すんですけど、主人公は実は2回離婚していて、今話しているのはどちらの女性かわからなくなってハッとする、みたいな話があったり(笑)。
菅原:(笑)。
ikm:この本では、特別な瞬間について「君も私のように宇宙の謎に目配せさせるという奇妙な瞬間をひとつずつ集めて、魂の中にリスのように仕舞っておくだろうか」と書いてるんですね。「リスのように仕舞っておく」というのはほっぺたに貯めて、あとで味わうことだと思うんですけど、スクラップブックも貼っておいてあとで見返す、味わうものだし、同じこと言ってんじゃんって(笑)。
そういうふうに考えると、やっぱり物語って人生の特別な瞬間を写真みたいに切り取って貼り付けておくものでもあるんだなと思いました。この2編は最初にも少し話した『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』と違ってフィクションですけど、多分作者の経験が元になっているというか、かなり反映されているんじゃないかと思っていて。出来事自体は物語のために創られたものだけど、作者が人生の特別な瞬間に感じた喜怒哀楽だけでは語れない感情を表現するために、キャラクターを使って物語ることで、スクラップブックに収めようとしている。そんな気がしています。
あと『海の乙女の惜しみなさ』はデニス・ジョンソンの遺作なんですけど、表題作は亡くなる2~3年前に書かれて、本自体の編集は亡くなったあとに奥さんがしてるらしくて。前にマーシーくんが『アメリカ短編小説興亡史』を紹介してたときに引いていた「いよいよ死ぬぞってとき、人間は自分に向かって短い話をするものさ」ってこういうことなのかと勝手に納得してしまいました。
Lil Mercy:書き手もそう考えてるっていうことか。
ikm:そうそう。つまり人生は旅っていうのは、Journey(過程)で特別な瞬間を集めて、一番最後にスクラップブックを開くなり、ほっぺに貯めてたくるみを食べるなりする。それが、死ぬ前に読みたい短い話なんじゃないかって。この二つの短編を今回のテーマ「旅」で考えてみたら、色々わかったような気がします。
近藤聡乃「ニューヨークで考え中」
菅原:僕は知り合いから教えてもらった近藤聡乃さんの『ニューヨークで考え中』というマンガを持ってきました。近藤さんは2008年に文化庁の海外研修制度でニューヨークに行って、最初は1年で帰ってくる予定だったそうですが、期間が終わっても「もうちょっといてみよう」と思い、それが2年になり、5年になり。気づけば10年以上経ってて、今もニューヨークに住まれてる方なんです。この作品にはそこで感じた自身の考えの移り変わりが現在進行中の日記のような形で綴られています。
最初は旅人のつもりで住んでいたのに、いつのまにかニューヨークがホームになってた。ニューヨークって移民が入れ替わってつくってきた街なので移民の人でも住みやすいのかと思いますが、移民政策を見直したトランプ政権の誕生とか、コロナといった非常事態の時には、自分の意思とは関係のないところで立場が弱くなることに気づく。それも含めてさまざまな経験を経て、自分の中に移民としてのアイデンティティが生まれ、移民がつくった街をホームと感じるようになり、さらに日本にいる移民の方たちにも想いを馳せるようになった。まさに人生は過程ですよね。
ikm:それはTripがJourneyになったって話ですね。
菅原:確かにそうですね!
ikm:大統領が変わって、自分の立場が変わることを経験するのはかなり特別なことですよね。
菅原:はい、日本で暮らしていてもそんなこと経験できないですから。おもしろいのは、今のところ3巻まで出ていて1巻の頃はまだ旅人みたいな感覚なんですが、2巻の途中くらいからパートナーやその家族との話なんかも増えてきて、だんだん意識が変わっていくことが読者に伝わる。
Lil Mercy:ふわっとニューヨークに行ったのに。
ikm:コロナ禍で日本に帰れなくなった人も多いだろうから、海外にはこういう人がたくさんいそうですよね。
小川未明「小川未明童話集」
堀:僕も「旅」というテーマですごく悩みましたね。マーシーさんが紹介した『ウルフ・ボーイズ』みたいに、未知の世界を体験させてくれるのが読書だとしたら、自分の記憶の中に潜り込んでいくような体験をさせてくれるのも読書だと思うんですよ。それは読書による自分自身の記憶への旅というか。『小川未明童話集』にはいろんな面白い話が入ってるんですが・・・・・・と言っても童話にありがちな「めでたしめでたし」ではなく、切ない話や暗い終わり方をするものが多い気がします。
僕は「金の輪」という話がすごく好きでした。長い間病気に伏していた主人公の太郎はある日、金の輪っかをまわしながら走ってくる少年を見るんですよ。それが2日間続いてまた会えるかなと思ってたけど、その金の輪っかの少年の夢を見た後、熱を出して太郎は死んでしまうんです。うなされた時に見た夢みたいな話に感じました。そんな夢を見たこともないし 経験もしたことないけど、読んでいて幼い頃の自分に戻ったような感覚になって。訳もなく不安だった時とか、ふいに感じた孤独感とか、幼い頃に感じていた言葉にできない感覚、そういうのをめちゃくちゃ思い出させてくれるんです。
Lil Mercy:記憶の中に住んでいる話、面白いですね。
堀:実はもともとは角川春樹事務所から出てたバージョンを持ってたんですけど、岩波書店から出てることも知って買い直したんです。角川版に入ってない話もあるし。「金の輪」はすごく短いので、ぜひいろんな人に読んでもらいたいです。少し暗いトーンですけど(笑)。
ikm:小川さんは童話を書こうとして書いてる人なんですか? それとも編集者が童話として編んだ系ですか?
堀:童話作家ですね。この本の中のお話も、もともとは絵本で出ているものだったりします。
ikm:悲しい、暗い話も子どもに読ませる前提で書いてるんですね。
堀:そうですね。考えがあって書いてると思います。大人が読んでも感じることが多い話が多いですね。読んでいると子どもの頃の感覚になるという話をしましたが、僕のやっている写真も少し似てるかもしれません。初めて行った場所なのに妙に懐かしく感じたり、そういうい感覚がたまにあります。すごくこじつけかもしれないですけど(笑)。
ikm:いやいや。俺のノスタルジーとスクラップブックの話と一緒ですよ。写真って一番手軽に瞬間を残しておける。見返すとその時のことを思い出せるし、色々なものを感じることができる。
堀:そういう意味では、僕が小川未明さんの本を持ってきたのは子どもの頃の感覚に戻れるからかもしれないです。普段生きてると、未来のことばかり考えてしまうじゃないですか。でも過去、特に子どもの頃の自分の感覚ってその人の変わらない部分というか本来もってる自分らしさみたいなものなんじゃないかなと思います。でも、今現在、子どもである息子たちには少し分からないみたいで。僕は毎晩子ども達に何かしら童話を読み聞かせてるんですが、小川未明さんのお話を読むと少しポカーンとしてますね(笑)。
ジェニファー・イーガン「マンハッタン・ビーチ」
Lil Mercy:最後に『マンハッタン・ビーチ』の話を少しだけ。この連載で紹介しそびれてるけど、これはRRCクラシックです。人生は旅の話に近いというか。家族の話でもあって、ガールがクィーンになる話でもあって。いろんな要素が入り乱れた感じ。海洋冒険もありますね。
ikm:主人公はアナという少女で、第二次大戦中にブルックリンにあるマンハッタン・ビーチで潜水士を目撃して以来、潜水士を志すようになるんですけど、最初は女性だからと相手にされなくて、色々と行動を起こしていく。そんななかで戦況の変化とともに、アナの置かれていた状況も変化していく。アナには愛国心があって、それにはアメリカは本土決戦がなかったから、その距離感みたいなものも関係している気がするんですけど。
Lil Mercy:菅原さんが紹介された『手紙』じゃないけど、アナも戦地の兵士にボランティアで手紙を出してるところをよく見かけます。
ikm:知り合いじゃないけど、戦地の兵士を励ますために書くっていう。
菅原:実は僕も今日『マンハッタン・ビーチ』の話が出るのかなと思ってました(笑)。これを読むと「ニューヨークは海に面している」ってことに気付きますよね。
ikm:ニューヨークに港があるってことはとても重要だと思います。日本から見るとニューヨークは都市のイメージだと思うけど、実際は周りが海なんですよね。そこから移民も文化も入ってくる。海があるからニューヨークはああいう街になるんだなって、『マンハッタン・ビーチ』を読んでいて気がつきました。
Lil Mercy:マンハッタン島。
菅原:『マンハッタン・ビーチ』の訳者あとがきにもニューヨークのエリス島というところに移民局があって、1000万人以上も入ってきたという解説がありますよね。大きく言うと旅の話かなと。ジェニファー・イーガンはサスペンスっぽい話とかいろんな要素を混ぜるのが得意らしく、それも読者を引き込みますよね。
ikm:彼女が『マンハッタン・ビーチ』の前に書いた『ならずものがやってくる』という小説もそういう感じなんですよ。インディー・レーベルで働いてる女性の話から始まる群像劇で。時代や場所が違うエピソードが続いていく。最初の話では脇役だった人が、の話では語り手になったり。しかも主語は語りに合わせて1人称、2人称、3人称からパワポまである。
菅原:面白いですよね。アメリカがまだイケイケだった70年代に遡って、9・11を経て、そして近未来の話まで。アメリカがどういう道を辿ってきて今後どうなっていってほしい、みたいなテーマをいろんな登場人物の物語を交差させて描いています。男らしさや若さに囚われた登場人物たちがそこから解放されていって、世代を経るごとに世界は良くなっていくという希望が込められた小説ですね。
Lil Mercy:『マンハッタン・ビーチ』もアメリカの話ですもんね。その中に登場人物がいて、それぞれのストーリーがあって、群像劇になっていく。
ikm:アメリカっていうか、ニューヨークの話って気がしますね。西海岸も南部もあるけど、アメリカのイメージといえば、俺はニューヨークだと思うんですよ。しかもいろんな人がいて、いろんな価値観があって。『ならずものがやってくる』もニューヨークの話ですもんね。そして次の「inch magazine」もニューヨークがテーマなので、すごく楽しみです。