独立系雑誌「inch magazine」創刊
ikm:僕らは新小岩のBUSHBASHで「RIVERSIDE READING CLUB」というパーティーをやってるんですけど、以前、そこに菅原さんがいらしてくれて。「inch magazine」を作る時、ポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』に影響されたと話してくれました。「inch magazine」は文芸誌になるんですか?
菅原:そうですね。今のところノンフィクションの寄稿やインタビューが多いんですが、今後はフィクションだけの短編小説特集とかもやってみたいなと思っています。
ikm:僕らと「inch magazine」をつなげてくれたのが、カメラマンの堀さんなんですよ。
堀:菅原さんとは大学が同じで(笑)。
菅原:しかも同じ映画サークルの1学年違いという関係で(笑)。そんな縁でずっとつながってるんです。RRCについては(自伝小説を寄稿しているラッパーの)仙人掌さんから以前よりお話を聞いていて、雑誌を作ろうという時に堀くんがマーシーさんたちとつながっていたので紹介していただきました。雑誌でも堀くんに仙人掌さんを撮ってもらってます。
Lil Mercy:『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』以外にも影響を受けた本はありますか?
菅原:もう一人、一緒に雑誌を作っている仲間がいるんですが、共通して影響を受けたのは70年代半ばの雑誌「宝島」ですね。のちに「ポパイ」などの編集にも携わる北山耕平さんが編集長をしていた2年くらいの間、アメリカ文化を客観的に紹介する特集を組んでいました。たとえば「コカ・コーラ」特集では、自由でかっこいいアメリカを象徴するコーラへの憧れを、小林泰彦さんや河村要助さんといった人たちが愛憎入りまじった文章で書いています。今だと当たり前すぎてうやむやですけど、どうやってコーラが戦後日本に入ってきたのかを客観的に捉え直したり。アメリカ文化を追いかけてるけど、ちょっと引いた目線がある。そこに影響を受けました。
去年出した「inch magazine」のVol.1では、BLMを日本に住む人間としてどう捉えたらいいのか、みたいなテーマで制作して。BLMはともすると「日本人には関係ない」とか、ファッション的に見られてしまいがちですが、「そうではない」ということを伝えたかったんです。次のテーマは「ニューヨーク」。ヒップホップや移民、戦争といった要素を盛り込みつつ、現在制作しているところです。
ikm:次号にはマーシーくんのコラムが載って、僕もブックリストを書かせてもらいました。
押野素子訳「シスタ・ラップ・バイブル」
ikm:まずは最近読んだ本を紹介していきましょう。僕は2月末に出た『シスタ・ラップ・バイブル ヒップホップを作った100人の女性』です。“女性ラッパー”を1人ずつ証言も交えてイラスト入りで紹介していて、それが年代順になっているので“女性ラッパー”にフォーカスしたヒップホップ/ラップミュージック史になってるんですよ。
Lil Mercy:年代順だと、その時起こっていたことと照らし合わせやすくていいね。
ikm:翻訳は『フライデー・ブラック』を訳していた押野素子さんで、彼女がTwitterで「フェミニズムの文脈で書かれた」と書いていたと思うんですが、もちろんそういう読み方もできると思います。まだ最初の方しか読めてないんですけど、冒頭近くに「ヒップホップが人種差別と貧困から生まれたアートフォームでプラチナやゴールドを生み出し、『自分たちのもの』と呼べるカルチャーを運営する力を黒人男性に与えた一方で、ヒップホップの内部にいる女性たちは、認められるために2倍の努力をして闘わなければならなかった」と書かれていて。
この「2倍の努力」って、黒人であることと女性であることなんだと思うんですけど、それは黒人として、女性として別々に抑圧されているのではなくて、“黒人女性”として抑圧を受けて2倍の努力を強いられている。しかもそれがカルチャーのシーンの中にあるということなんだと思いました。それで、もしかしたら少し違うのかもしれないけど、ブラック・フェミニズムなどでも言われる「インターセクショナリティ」という概念も思い出したりしました。
女性がラッパーになることって、僕がある種の小説にいう「ガールがクィーンになる話」とも繋がるとも思っていて。ここでいうクィーンというのは権力や金を持ってるってことじゃなくて、社会や世間に人生をコントロールされずに、自分でハンドリングをとっていくということなんですけど、でもこれはラッパーの話だから、やっぱり金と権力も重要ぽいなって(笑)。
Lil Mercy:そこはやっぱり出てくるんですね(笑)。
ikm:ヒップホップの歴史というと『ヒップホップ・ジェネレーション』という本が有名ですよね。ラップ・ミュージックだけでなく、カルチャー全般と時代や社会も包括的に書かれてる本。でも多分そこでは意識的に女性にフォーカスした書き方はしていないと思っていて。だから『ヒップホップ・ジェネレーション』の中に、この『シスタ・ラップ・バイブル』の内容を入れ込んでいく読み方も良いのかなと思いました。あれは2000年くらいまでの話でしたよね?
菅原:はい。『ヒップホップ・ジェネレーション』も押野さんが翻訳されてましたよね?
ikm:そうです。そこも重要ですよね、女性の目線を意識的に包括的な歴史の中に入れ込むっていう意味でも。『ヒップホップ・ジェネレーション』を読み直しつつ、一緒にこの本も読み進めていこうと思ってます。
オサジェフォ・ウフル・セイクウ「アーバンソウルズ」
Lil Mercy:これはまさに今日も読んできた本なんですけど、『アーバンソウルズ』。『ヒップホップ・レザレクション ラップ・ミュージックとキリスト教』著者の山下壮起さんが翻訳されています。著者のオサジェフォ・ウフル・セイクウさんは牧師で神学者で、中学校でも教えていた。
ikm:これ、山下さんが書いてるのかと思ってました。
Lil Mercy:あとがきに山下さんの2000年代以降にも触れた文章が収録されてます。牧師さんって、公民権運動以降は特権階級というか、裕福な立場の人も多く存在していてる。著者はそれを否定的に書いている。そんな人たちの言葉は(貧困層には)届かない、と。そういう牧師さんは腰履きしてるような人に対して否定的なことを言う。ギャング同士の抗争で友達や仲間が死んでうちひしがれている人に響く言葉を発せていない、ヒップホップの中にある神性は若者たちや貧困層に届いている、と。「コミュニティのためには(教会の集会に)参加すべきだけど、わたしたちは20時間働いてるから、そこに行く時間もないし、どうせ行ったところで『ドラッグを売ってるのは誰なんだ』と言われるだけだから」みたいな話も出てきたり。
ikm:たしか『ヒップホップ・アナムネーシス ラップ・ミュージックの救済』の中で、山下さんは黒人教会が取りこぼした人たちをギャングスタラップがすくい上げてるみたいなことを言ってましたよね。
Lil Mercy:「霊的だが宗教的ではない」という言葉がそれをすごく表しているように感じました。僕は今、N.W.A.を宗教的に解釈するところを読んでます。解釈の仕方だと思うんですが、否定的に現在進行形の物事を捉えていないように感じてます。あとセントルイスや南部での会話が「『アカンアカン、それはダメや』と関西弁で訳されたりしていて、その辺りも持ってかれますね(笑)。
ミハイル・シーシキン「手紙」
菅原:僕が今読んでる本はミハイル・シーシキン『手紙』ですね。ロシアの有名な文学賞を全部受賞してるような、有名なロシア人作家。いまロシアがウクライナに侵攻していますが、シーシキンさんは母がウクライナ人、父がロシア人。1995年に故郷を離れてスイスなどで活動し、2013年にアメリカのブックエキスポで「ロシアを代表する作家」に選ばれるんですが、本人はそれを辞退しています。今のロシアを代表したくない、と。
この本と関連する個人的な経験があって、2014年にエストニアに旅行したんですよ。ロシアのクリミア侵攻の後ですね。エストニアは元ソ連で、NATO加盟国。首都のタリンという都市は中世の街みたいなところで僕は普通に観光していたんですが、突然ものすごい音で戦闘機が飛び回り始めたんです。その時にかつて感じたことのない恐怖を覚えたんです。「死ぬかも」って。そこで改めてヨーロッパは戦争がこんなに身近なのかと驚きました。
ikm:ヨーロッパは宗教的な問題などもありますもんね。
菅原:今回の侵略戦争をきっかけにエストニアでの経験を思い出して、改めてロシアやウクライナについて勉強しようと思ったんです。それでシーシキンさんが「小さな家」という文章を寄稿している2014年の雑誌「現代思想」を引っ張り出してきて。そこでは「なぜウクライナ人が血を流してでもEUに入りたいのか」ということを書いているんですが、ウクライナの人たちにとってソ連時代はとても暗い時代だった。「鉄のカーテン」という有名な言葉がありますが、その世代の人や自分を国の「奴隷」だったとして、反対に西側ヨーロッパとは自由、人権といった自分たちが奪われているものそのものを表す言葉として映っていたと言っています。
それを踏まえての『手紙』なんですが、これは恋人同士の手紙の往復で物語が進む小説です。男性は1900年の義和団事件の鎮圧に行ったロシア兵で、恋人はモスクワにいる。戦地からの男性の報告と帰りを待つ女性の手紙が続くのですが、男性は途中で戦死してしまう。でもなぜかそれを無視して手紙のやり取りは続いていく。そんなSFというか、ファンタジーみたいなストーリー。
実は今、ロシアでは過去の戦争を教育で教えなくなってるらしいんですよ。義和団事件とかも。それを作家が小説として書くことで思い出させ、記録として残していく。男性は戦死して、残された女性は自分の国で辛い思いをしてっていう、一般人の目線として。シーシキンさんは2015年に東京に来ていて、武蔵小山にある友だちがやっているジャークチキン屋さんにトークイベントで来たことがあるんです(笑)。10人入ればぎゅうぎゅうなお店なんですが参加者の熱量がすごくて、そのようなタイミングでウクライナとロシアについて聞けたのを思い出して。
ikm:それってアーケードの終わりあたりにあるお店ですか?
菅原:アーケードの終わりというか、外れというか(笑)。
ikm:たまに通るところっぽいです(笑)。
夢枕獏「鳥葬の山」
堀:僕が持ってきたのは『鳥葬の山』という短編集です。コロナになっちゃって、10日間くらいずっと隔離されてたんです。5日間は自宅で、5日間はホテル。缶詰めなので、本を読むくらいしかやることないんですよ。現実的な話を読む気分ではなかったから、積んでた本の中からファンタジーな本を何冊か抜いて。これはその中のひとつですね。夢枕獏が好きなんです。短めのセンテンスをポンポン読ませる文章で、割と気楽に読める。けど、思った以上に重い話でした(笑)。
ikm:夢枕獏はかなりフロウしてるから読みやすいですよね。
堀:そうなんですよ。表題作は仕事に区切りをつけて海外旅行に行った主人公が、チベットで死体を山の上に運んで鳥に食べさせる鳥葬を見て。東京に戻ってきても鳥葬の光景に悩まされるという。気楽な感じで抜いてきた本でしたけど、コロナ中に読むには案外重くて怖かったです(笑)。でもそれも含めて面白かったです。外の世界と完全に隔離された中での読書は結構貴重な体験でしたね。