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「マンハッタン・ビーチ」書評 失踪した父捜す女潜水士の痛み

評者: 西崎文子 / 朝⽇新聞掲載:2019年09月14日
マンハッタン・ビーチ 著者:ジェニファー・イーガン 出版社:早川書房 ジャンル:小説

ISBN: 9784152098733
発売⽇: 2019/07/18
サイズ: 20cm/533p

マンハッタン・ビーチ [著]ジェニファー・イーガン

 アナが13歳のとき、父が姿を消した。1930年代から40年代のニューヨーク・ブルックリンを舞台とする一種の暗黒小説(ノワール)。大恐慌と戦争の影が濃厚だ。
 19歳になったアナは、海軍工廠で検品の仕事を始める。しかし、海に魅せられた彼女が目指すのは潜水士だ。100キロ超の装具をつけて潜ることで得る解放感。これが父の捜索につながると知るのは後のこと。
 父には謎が多かった。株の暴落で痛手を負った後は、旧知の港湾労組支部長の「運び屋」をしていた。ところが、ある日を境に行動が変化していく。失踪したのはその2年半ほど後だ。
 鍵を握っているのはデクスターだとアナは考える。洒脱なナイトクラブ経営者でギャングの大物。妻を通じて上流階級にも食い込んでいる。父とデクスターとの間に何があったのか?
 「つらいのは最初だけです。じきになにも感じなくなるの」。子どもの頃、父に連れられ、デクスターと最初に会ったとき、凍てつく砂浜で裸足になったアナは言う。実際、彼女は多くの失望を味わい、痛みを秘めて生きていく。家族や潜水士仲間から離れる寂しさは、自立を求めての選択の代償だ。「当時一緒だった人々はみな亡くなるか、引っ越すか、大人になってしまった」。アナの孤独は、霧のように広がる。
 そんな中、忘れ難いのは金髪の美しい妹、リディアだ。重い障害を持つ少女をアナと母親はこよなく愛し、父は疎んだ。アナとデクスターが彼女を海辺に連れ出す情景は感動を誘う。そのリディアは、生と死とを分かつ場面でアナや父に遠くから囁きかける。
 9・11後、米国の凋落を感じた筆者は、覇権の始まった時代に注目したという。活気づく海軍工廠と戦勝のニュース、暗躍する銀行家やギャングたち。硬質な叙述の中、五感に訴える描写が光る。喉元を過ぎるシャンパン、リディアの髪の香り、水底の燐光。スリリングで味わい深い作品だ。
    ◇
 Jennifer Egan 1962年生まれ。作家。『ならずものがやってくる』でピュリツァー賞、全英図書賞など。