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「タラント」書評 時間が折り重なった祈りと救い

評者: 藤田香織 / 朝⽇新聞掲載:2022年04月02日
タラント 著者:角田 光代 出版社:中央公論新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784120055010
発売⽇: 2022/02/21
サイズ: 20cm/443p

「タラント」 [著]角田光代

 時々、自分は何のために生きているのか、と思うことはないだろうか。どうしても叶(かな)えたい夢があるわけでもなく、絶対的に必要としてくれる人もない。ただ漫然と時間をやり過ごしているだけだとため息を吐きたくなるあの感じ。
 四十歳になる主人公みのりは、あえてその凪(なぎ)のような人生を歩んでいる。
 結婚はしているが、子どもはいない。勤め先の洋菓子店でも責任のある立場につくことから逃げている。野心家で向上心があり前向きな「熱い人」が苦手で、自分には今という地点から下に向かう道しかないと思っているのだ。
 昔からそうだったわけではない。故郷の香川を離れ東京の大学に進学したときは、未来に期待し興奮もあった。ボランティアサークルに入り、やりがいを感じていたし、就職してからも積極的に働き、休みにはボランティアツアーなどで、インドやヨルダンの難民キャンプを訪れもした。
 なのに、なぜ――。
 その一方、戦争で左脚を失った祖父・清美の半生が少しずつ明かされていく。
 話したくないことも多いのだろうと皆が気遣い、触れずにきた清美の過去について、ひ孫にあたる中学生の陸が「でもそれなら」「なんもわからんままになるやん」と言いだす場面がいい。何気(なにげ)ないようで深く刺さるまっすぐな言葉によって物語の彩度がぐっと上がる。
 長年にわたり清美に届く手紙の差出人「涼花(りょうか)」とは誰なのか。九十を過ぎた清美とどんな関係があるのか。陸が不登校になった理由が、清美が抱え続けてきた秘密が、時を行きつ戻りつしながら折り重なるように描かれる。その時間の流れが、重みが、静かに胸に迫る。
 「タラント」という言葉には神からの〈賜物(たまもの)〉、〈才能〉、〈使命〉といった意味があるとされている。そんな大層なものは自分にはない。そう思う人にこそ読んで欲しい、祈りと救いの物語である。
    ◇
かくた・みつよ 1967年生まれ。『対岸の彼女』で直木賞。『源氏物語』の完全新訳で読売文学賞。