多彩な作品翻訳、三島らとも交流
展示は2部構成。第1部は元首相・吉田茂の長男として生まれ、英ケンブリッジ大への留学の後、長い文学修業をへて成熟し、極端に句読点の少ない特異な文体を生み出すまでの生涯をたどる。
幼少期から日本語以上に英語に親しんだ吉田は、「翻訳は一種の批評である」と書き残した通り、英国文学の翻訳を多く手がけた。フォースターやイーヴリン・ウォー、ハイスミスやチェスタトンなど、自らが読む楽しみを感じた作品を、純文学も大衆文学も分け隔てなく訳出している。
一方で学者か文士かの進路で悩み、日本語による小説執筆に苦戦する様子が、ケンブリッジ時代の指導教官F・L・ルカスにあてた初公開の書簡などからうかがえる。最初の著書『英国の文学』を出したのは37歳のときだった。
第2部は酒と食をめぐる旅、ネス湖の怪物といった怪異への興味などから生まれた作品世界を、多くの文学者たちとの交わりとともに紹介している。
なかでも目を引くのは戦後ほどなくして生まれた懇親会「鉢木(はちのき)会」の様子。中村光夫、福田恒存らとのゆかいな親睦ぶりが写真や書簡などからうかがえる。一方、後に文壇ゴシップとして伝わる三島由紀夫の脱会騒動をめぐる資料も興味深い。三島に翻意をうながす吉田の詫(わ)び状を、中村が添削したやりとりの書簡が展示されている。
展覧会の最後には平成以降に復刊・編集された書籍が並ぶ。吉田の周りにいた文士たちの本が書店から次々と消えていくなか、「金沢」「酒宴」といった作品群はなぜ読まれ続けるのか。その答えが展示を通して確認できるはずだ。
吉田満「戦艦大和ノ最期」の異稿も
展示は文学館が6年前に遺族から受贈した約5700点の資料をもとに構成している。そのなかに健一と交流のあった作家・吉田満の代表作『戦艦大和ノ最期』の異稿があり、初公開されている。
同作は大和に乗船した満が、特攻作戦から奇跡的に生還する体験を描いた戦争文学の名作。46年に「創元」誌に掲載予定だったが、GHQの検閲で全文削除。52年に刊行され、74年の決定稿まで何度も改稿された。
発見されたのは「巨艦送葬譜」と題された73枚の原稿用紙。文学館によると、47年末ごろに書かれ、「創元」のゲラよりも戦況をめぐる描写などが大幅に肉付けされている。検閲に対して健一が作品を世に出そうと支援した縁から、満が英訳を希望し、原稿を託したとみられる。(野波健祐)=朝日新聞2022年4月6日掲載