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「アート&デザイン表現史」書評 現実の確かさ揺さぶる想像の力

評者: 磯野真穂 / 朝⽇新聞掲載:2022年04月09日
アート&デザイン表現史 1800s−2000s 著者:松田 行正 出版社:左右社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784865280586
発売⽇:
サイズ: 21cm/439p

「アート&デザイン表現史」 [著]松田行正

 目や鼻など、顔のパーツの一部を欠いた輪郭画と筆記具をチンパンジーに渡す。するとかれらは、輪郭線をなぞったり、描いてある片方の目を塗りつぶしたりして、すでに「ある」部分に手を加えていく。翻って人間の子どもは「ない」部分に注目し、目や鼻を書き足して顔を作る。人間の想像力がなせる技だ。
 1807年から2019年の約200年間にわたるアートとデザインの変遷を示す本書は、「表現」にあくなき野心を抱いた人々の想像力を、オールカラーの図版と解説によって「表現」する。
 本書が示すのは、「ある」ものから始まる、想像と表現の終わりのなさだ。科学の勃興が著しかった19世紀、ヨハン・クリスチャン・ラインハルトは自然の「正確」な表現に心血を注いだ。他方で、クロード・モネは自分のうちに起こる「印象」を表現するため、対象の「正確」な描写を切り捨てた。オノ・ヨーコは、男ばかりが芸術家として評価されることへ抵抗を試み、美術の「art」の表記に「f」を足して「fart(おなら)」にした。
 複数のものを貼り合わせるコラージュがありきたりな表現として定着すると、今度は剝がすことでの表現を試みる「デコラージュ」が現れた。
 「ある」ものから「ない」ものを表現する。「ある」ものを強調する、破壊する。「ない」ことにされていたものを引き摺(ず)り出す。「あったはず」の意味に抵抗し、それを引き剝がして一転させる。それがアートとデザインの面白さだ。
 自分が実感する現実は、少なくとも自分にとってこれ以上なく確かに思える。しかしその現実が、他者の想像力から生み出された表現たちに囲まれていると知った時、その確かさは揺らぐ。自分もまた、誰かの現実の実感の醸造に加担していることを思い知る。人の持つ想像力の逞(たくま)しさ、不気味さ、豊かさを教えてくれる一冊である。
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まつだ・ゆきまさ 1948年生まれ。グラフィック・デザイナー。著書に『デザインってなんだろ?』など。