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鈴木七月「かわりに嘘」に驚いた! 楽しく読ませる「なにこれ」の連続(第41回)

©GettyImages

「尽くし」の技法ささえる文章力

 神様、鈴木七月『かわりに嘘』(講談社)が直木賞候補になるような世界でありますように。
 この連載は「次の直木賞候補になりそうな作品」を採り上げることを旨としている。新人のデビュー作だし、しかも第69回メフィスト賞受賞作というかなり尖鋭的な出自なのだが、このひと月でいちばん、直木賞候補になってもらいたいと思った作品だから仕方ないのだ。
 ぬえのように正体が見えない小説である。まずは私が感じた、なにこれ、という読み味を共有していただきたいので、驚いた順に出てきた要素を紹介することにする。
 主人公は大学生の夏目という女性である。彼女の人物設定はとりあえず措いて、序盤に起きることを書く。彼女は両親と縁遠く、祖母と同居している。その祖母が亡くなり、遺産を狙って、わら、わらとやってきた親族たちによって、家から追い出されてしまう。もう大学生なんだから平気よね、と勝手な言いぐさだ。当惑する彼女を後目に、親族は金目のものを求めて家探しを繰り広げる。それこそ「巣穴をまさぐる冬眠前のクマそっくりの背中」をして流し台の下などに頭を突っ込んで探しまくる。
 行く先がなくなって途方に暮れる夏目に「うちくる?」と救いの手を差しのべてくれたのは、〈東京のおばさん〉こと宇曽川ひかりだった。東京のおばさんというが本当は、夏目にとっては祖母の姉の孫にあたる人である。その祖母の姉が東京の錦C町(こう表記される)で夫と共に〈うそがわ眼科〉を開業した。もう閉院しているのだが、宇曽川はまだ住んでいるのだ。そこに来ていいと言う。ただし、「オバケ出るけど。気にしないでね」とも。
 夏目はオバケ系全般が苦手である。そのことを申し伝えると、「まあ、嘘だけどね」とあっさりした返事がきた。嘘なのである。
 この展開が、なにこれ、のひとつ目だ。本作では出来事と出来事が、まるで百均ショップ好きの買い物籠のように、さほどの関連性なくつなげられる。そのために醸される調子外れな感じが、物語全体を覆っているのである。そのうちの何割かは、この宇曽川のせいだ。
 宇曽川は息でもするかのようにあっさりと嘘を吐く。嘘だけではなく、気分次第でやっているとしか思えない脈絡のない発言をする。そのために他の親族からは「ホストクラブで毎週サグラダ・ファミリアみたいなシャンパンタワーをやっているとか」「黒い服ばかり着ているのは黒魔術の儀式をするためだとか」「毎晩駅前でラップバトルをしているとか」「女子十二楽坊の元メンバーだとか」根も葉もないことを言われている。夏目が流しの棚の下に頭を突っ込んでいるのをみた、あのクマのような背中の叔母がそう言うのである。だとか、の列挙は本当はもっと長く、15行ぐらい続く。
 日本文学にはかういふ趣向があつて尽くしと云ひます、と突如、故・丸谷才一文体になって書いてみた。丸谷さんが存命だったらさぞ喜んだであろう。そう、尽くしである。鈴木はこの技法を多用する。世間的にはラップみたい、と言われるのかもしれないが、日本文学的には、尽くしだ。実は夏目の人物設定にも、この尽くしが用いられている。

『かわりに嘘』の序章はこういう一文から始まる。
――道に迷って待ち合わせに遅れる、と書いた行を、私は消した。スマホのリマインダーには似たような心配事が、ほかにもあと七百件ぐらい入れてある。現実に起こったら嫌なことを、頭に浮かぶたびに逐一、そこへ書き留めているからだ。
 また、続く第1章の書き出しはこうだ。
――心配事の九割は起こらない、と他人は言うけれど、私の個人的な統計では約七割が実際に発生している。
 つまり夏目は、とんでもない心配性なのである。彼女はそれを列挙する。
――修学旅行に大雨が降る、買ったばかりの財布を落とす、バイト先の鍵を失くす、熱々の鍋焼きうどんでやけどする、ポケットティッシュを洗濯する、歯磨き粉で顔を洗う、街のライブカメラに映り込んで仮病がばれる、水族館のウミガメプールにカメラを落とす、などといった他の現実化した心配事のあれこれと同じように、先日、祖母が死んだ。
 この不意打ち。ここで祖母が死んだことが明かされ、住み慣れた家を追い出されるという前述の展開につながるわけである。尽くしの技法には要素を列挙して世界を構築する働きがある。連ねられた言葉が力を持ち、それ自体がひとつの物語世界を構築しているかのような感覚を読者に与える。そうした効果を上げておいて、いきなり「祖母が死んだ」なのだ。おわかりのとおりこの作者、抜群に日本語の使い方が巧い。

単なる出鱈目でもいいと思わせる読み心地

 あらすじにまったく触れていないので、少し先のことも書いておく。夏目はやがて、小学校4年から6年までの間大阪で同じクラスだった、南海沙雪と再会する。南海は錦C町にある〈ぽんぽこりんサンドイッチ〉でアルバイトを始める。当然だが新しい職場は夏目を不安にさせる。リストにはどんどん心配事が追加されていく。そしてある日、ぽんぽこりんサンドイッチに着くと、そこには『心配 ¥0』という貼り紙がされているのである。あらゆることを心配する夏目なら、お客さんから持ち込まれる、あらゆる悩みの相談に乗れるだろうということのようだ。マクドナルドのあれみたいに、実際にそんなサービスを要求する客はいないだろう、という南海の楽観的な観測に反し、貼り紙がされた初日から夏目は悩み相談を受けることになる。
 ああ、そういう形で働くことになる仕事小説か、と思われたかもしれない。しかしこれは夏目を巡る物語の、ほんの一部に過ぎないのである。心配症の彼女を退屈させないように天が配慮したとしか思えないほど、本当にいろいろなことが起きる。たとえばうそがわ眼科の中で、まるでシルバニアファミリーのドールハウスについているような扉を発見してしまう。それについて尋ねると宇曽川は「何があっても、決して、開けてはなりません」と言う。それは嘘なのか、そうではないのか。
 そうか開かずの扉を巡る物語なのか、と早合点する方はもういないと思う。これらは全部並列処理。後のほうでは「千本ノックをすることで願いを叶えてくれる晴れ男」なんかも出てくる。そのくらいになると読者も、もうあまり驚かなくなっているはずだ。何があってもおかしくない。なぜならこれはそういう小説だから。開き直って、何が出るかな、何が出るかな、と往年のバラエティ番組の唄を口ずさみながらページをめくり始めているはずだ。

 でもびっくりすると思う。なぜかと言えば、まったく無関係に、それこそ金に糸目をかけない家電マニアの家にあるテーブルタップの如く、数限りなく増えていくように見える話の分岐が、次第に意味のあるように見えてくるからである。単なる出鱈目ではないのだ。いや単なる出鱈目でもいいのだけど。宇曽川だけは最後まで単なる出鱈目に見えるけど。
 読んでいる間は本当に楽しい小説だった。言うまでもないけど、とても笑える。文章が綺麗だから、嫌味のない笑いを楽しめる。こういう小説がみんなに読まれる世界であればいい、と本気で思う。嘘ではなくて本気で思う。