日本の哀愁あるユーロビートが好き
――この本で取り上げた曲は、まさに「隠れた名曲」が大多数ですね。郷ひろみ、西城秀樹、中森明菜と、誰もが知っているアーティストなのに、あまり知られていない曲が大多数です。
そうですよね。お金があった時代だから、みんなおしゃれな音楽をやってたけど、コンテンツも山ほどっていうか海ほど多かったので、目立ってない。僕がここで紹介してるのも、ほんの一部だと思います。
このリストアップは3年前にやったんですけど、もともと僕がそれまで紹介していた音楽を、後から知った人たちに共有しようと思って作ったリストです。これで本を作ってみようという話が来て、1冊にまとまりました。
――イラストもわたせせいぞうや浦沢直樹といった、1980~90年代に流行したテイストを再現しています。
本の内容を一目でキャッチーに表すアイコンとして、当時のテイストを保ちつつ、今のものを混ぜた感じですよね。今の若者って本を最初から全部読んでくれないので、そういう人がサラサラと眺めて聴きたくなるように、すごく考えました。
――ナイトテンポさんのセレクトにはWinkやBaBeなど、欧米のヒット曲を日本でカバーした曲が多いですが、原曲よりカバー曲の方に引かれるのはどうしてですか?
編曲がアジアっぽくなってる。僕もやはりアジア人だから、言葉は分からなくても、感覚的に通じる何かがあるんだと思います。本で取り上げたWinkの「Special To Me」はボビー・コールドウェルの原曲が有名なんですけど、「日本のアイドルが歌ってたんだ」っていう意外さがちょっと面白い。
日本人って、海外のすごく最先端のものを、アジアではどこよりも早く仕入れて、日本人というかアジア人に合うようにアレンジするのが得意ですよね。テレビゲームも生まれたのはアメリカだけど、マリオやポケモンを流行らせたのは日本。アニメもそうだし。
――ユーロビートが好きなんですね。BaBeの「Give Me Up」とか。
日本で流行ったディスコ曲はユーロ系が多いじゃないですか。Winkとか、石井明美さんの「CHA-CHA-CHA」とか、アイドルもユーロディスコが多くて、そういうのがすごくいい。
あと、メロディーに哀愁があるんですよ。すごいアップテンポなダンス曲も、メロディーや内容が悲しかったりする。洋楽の普通のディスコ曲だと、ファンキーで明るいけど、日本人は悲しい感じのある音色が好きなんだなと。
――90年代になってくると日本でもハウスが流行して、だんだんユーロも下火になってきました。
でも日本のスピリッツにはユーロのディスコがずっとある気がします。90年代後半から2000年代の「モーニング娘。」もユーロのディスコ曲が多いですよね。日本人はファッションとか音楽とか、ヨーロッパの文化が好きじゃないですか。もともとそういう下地があったと思うんです。
――この時代の曲にNight Tempoさんのアンテナが固定されているのはなぜですか?
自分が思う理想的なコンテンツがこの時期に集まっているからだと思います。音楽だけでなく、デジタル時計、洋服、コーヒーポット、コップなど、生活に普通にあるデザインに近未来感があったりして、それが70年代後半にほぼ完成されていた。それが自分に合っているっていうのをずっと感じてて、その「好き」がどんどん大きくなった感じです。
初めて聴いた中山美穂に魅せられて
――Night Tempoさんが日本の昭和歌謡に魅せられたのはいつでしたか?
1986年生まれなので、日本のモノやコンテンツはすべて生活の中にあったんです。ファッションや家電など、ちょっとお金あったらみんな日本製を使ってたし、日本のアニメも吹き替えで放送していた。僕が今紹介している日本の文化は、日本の昔のものでもあるけど、僕にとっては幼い頃から普通に回りにあって、ずっと好きだったものでした。
父は貿易の仕事をしていて、小学2年生か3年生の頃、お土産にCDウォークマンを買ってきてくれました。その中にたまたま入っていた日本のCDを聴いたのがきっかけです。
――何の曲だったんですか?
中山美穂さんの「Catch Me」。角松敏生さんプロデュースで、だから今も角松さんが好きなんです。僕の父は結構オーディオ機材を買う人で、幼い頃から家にレコード、カセットがいっぱいあって、僕も韓国の歌謡曲は聴かずに、洋楽のイタロディスコばかり聴いてたんですよ。そんな中で聴いた日本の曲は言葉が分からないのに、違和感がなかった。
今聴いてみてもレベル高いんですよね。当時の歌手の方と今も仕事を一緒にしたりしますけど、皆さん本当にハイレベル。昔はそれが普通に見えたんです。最近、K-POPのアイドルが上手いと言われるのは、日本で誰でもアイドルになれる時代になって、オーディエンスの見る目がやさしくなったからだとも思うんです。
――「昭和歌謡」の楽しさを伝えるために、どんなことをしてきましたか?
32歳ごろまでプログラマーとしてアプリ開発などの仕事をしていましたけど、年を取る前に、自分が好きな音楽を本格的にやってみようと思って、2017年末に会社を辞めました。それから家に閉じこもって、動画を見ながらプロデュースや作曲の練習ですね。
自分が好きな昭和歌謡を「新しいもの」として聴いてほしいと思って、作品をネットに上げたら偶然バズって、2019年初頭に日本の会社とつながって、プロデューサー兼DJとして仕事を始めたという感じです。
――2019年からはどんな活動を?
昔の曲を公式リエディットして発表したり、大きなイベントではフジロックフェスティバルに出たり、日本全国をDJツアーしたりしてました。そこで反応が良くて、次の年も頑張ってやろうとした瞬間、コロナが来ちゃったんですね。今までの自分の活動に戻った感じ。その分、音楽の作り手としてのレベルは上がったと、最近はポジティブに考えようとしています。
シティポップが海外で評価される時代
――最近はアメリカでも、シティポップが注目されていると聞きました。
2017~18年に竹内まりやさんの「Plastic Love」が、YouTubeでなぜか伸びた。僕が最初にアップしたリミックスが結構伸びて、他の人が原曲を上げて、それにつられて他のシティポップや昭和歌謡も伸びて、いろんな世界の人たちの耳に入るようになった。コンテンツ自体がいいものだから、聴いて素直に評価される時代になりました。
――原産国の日本では、なぜかあまり体感しにくいですね。
日本でシティポップがそこまで興味を持たれなかったのは、伝える人が「大人が解説してあげる」という上から目線のスタンスだったから。「シティポップはこうでないと」という厳格な定義があって、それは今の若者や外国人の考えとコードが合わない。狭い層だけで盛り上がっているだけでは文化にならない。広くみんなで楽しめた方が続くと思います。
――シティポップの代表格と言われるのが山下達郎や竹内まりやといった人たちですが、ナイトテンポさんは80年代以降のアイドルや女性歌手の曲をよくピックアップしています。
日本では最初はシティポップと見なされなかったけど、中山美穂さんも角松敏生プロデュースの曲があるし、ジャニーズのグループに山下達郎さん、中森明菜さんに竹内まりやさんが曲を書いたりしている。誰もが認めている人たちがアイドルをプロデュースして、当時も売れてた。海外では普通にシティポップとして聴かれています。
――ナイトテンポさんのイベントには、リアルタイムで知らない人たちもいっぱい来ますね。
ほぼ20~30代が大半だから、元の曲を知らない。それからモデルとかファッション系の人が多い。若い人にはおしゃれとして捉えられていると思います。そこに40~50代の方が流れてくるんです。アメリカでDJすると若い人ばかりだけど、日本だと客層が広い。素敵な曲がたくさんあるので、それを紹介して広める役として、やりがいがあります。
――日本のクラブやディスコでも、懐メロイベントは人気ですよね。
僕は昭和歌謡に自分のセレクトや解析を加えて、若い層やアメリカにも受け入れてもらえる。フジロックで昭和歌謡DJをやって、聴いた人の認識を変えていく。
たとえば少し前に荻野目洋子さんの「ダンシングヒーロー」が一瞬流行ったんですけど、僕がやりたいのは面白いダンスのネタより、荻野目洋子さんの音楽的な面をちゃんと紹介して、オシャレなコンテンツとして世の中に受けとめてもらうこと。そこがいわゆる「懐メロDJ」とは違うところです。
シーンの流れが止まらないように
――コロナでNight Tempoさんの活動はどう影響を受けましたか?
2019年に活動を始めて、シティポップが盛り上がり始めたのが2019年後半なんですけど、いきなり止まってしまった。韓国でも盛り上がってる途中に、日本製品の不買運動がヒートアップしたこともあって、そういうイベントが一気に全部なくなってちょっと残念でした。
コロナになってからは人と会う機会も減って、DJの感覚を忘れたような気がして。人に曲を紹介するためには自分で勉強しないといけないですから、選曲の感覚を戻すためにスマホの音声アプリ「Clubhouse」で昭和歌謡を紹介していました。3回ぐらいのつもりだったけど、意外と反応がよくて、3カ月ぐらい続いたかな。
――シティポップや昭和歌謡の盛り上がりは、今後どうなっていきますか?
シティポップが最近、一般の人の耳にも入り始めた。もっともっとポテンシャルがあるはず。たぶん来年か再来年、コロナが終わった頃にものすごく盛り上がるかもって思うと楽しみです。この本も、シティポップが広がって、みんな好きになってトレンドを仕入れようとしたときに、一気に広まるのではないかと思います。
こういう仕事をして3年目、今まではちょっと軽い気持ちでやってた部分もありましたけど、このシーンの流れが止まらないように、もっと責任感を持ってやっていこうと思います。
――音作りの他に、普段はどんなことを?
ソウルは100年ものの建物が多いので、街を巡って写真を撮って、他の人に見せてあげたり、勉強もしたりしています。日本の植民地時代にヨーロッパの様式を持ち込んだものも、たくさんあるんですよ。それは悲しい歴史の残滓なのか、文化的な美学なのか。僕は文化的にどう楽しめるかだけを考えているので、デザインにインスパイアされています。
過去の歴史は悲しい過去かもしれないけど、早く片付けて、もっと協力したい。日本ではK-POPや韓国の化粧を楽しんでいる。韓国も一般の人はみんな日本のビールが飲みたいし、シティポップが聴きたいんです。だからもう政治家同士の喧嘩はやめてほしい。
アジア文化も世界から見たら狭いニッチなジャンルじゃないですか。せっかくシティポップもK-POPもアメリカで伸びて需要が出ているんだから、一緒にアジア人として広い心で協力して、こちらの文化を世界的にしていきたい。音楽で見たら未来は明るいと思います。僕のやりたいことをどんどん進めていったら、一般の人たちは過去に足をすくわれずに未来にいけると思う。