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新しい資本主義 「仕事の足りない世界」生きる 京都大学教授・諸富徹

政府の「新しい資本主義実現会議」=2022年4月12日

 岸田政権の掲げる「新しい資本主義」は、具体像が見えないとの声が絶えない。だが少なくとも、人的資本に焦点を当てようとしていることだけは確かだ。

 資本主義経済の利益源泉はいまや、工場などの有形資産から知的財産、人的資本、組織資本、データ、ソフトウェアなどの無形資産へと移った。この無形資産を生み出すものこそ、人間の知識や創造性に他ならない。ゆえに人的資本に焦点を当てるのは、決して間違っていない。

無形資産が支配

 アメリカでは株式時価総額上位500企業の無形資産価値額が、1990年代半ばに有形資産の価値額を上回り、2018年にはその5倍に達した。彼らの競争優位の源泉は無形資産であり、それを支える人的資本の質こそが、企業の競争力を左右する時代に入った。『無形資産が経済を支配する』は、無形資産が支配的となる経済とはどのような経済なのか、豊富なデータと事例にもとづいて分かりやすく解説している。

 他方、無形資産経済はいまよりも、格差の拡大する経済となる可能性が高い。主因の一つは人材に求められる、工業社会とは異なった能力だ。工業社会ならば、画一的ではあっても定型的な知識をしっかり獲得できれば、キャリアの可能性が開けた。

 だが無形資産経済では、問題発見・解決能力、抽象的・体系的思考能力、コミュニケーションによる共同作業遂行能力などが求められる。これらは、もちろん学校教育で養成可能だが、家庭環境、地域、社交関係などに依存する度合いが強いことも知られている。学校教育の平等化作用が弱まることが懸念される。

感染防止と監視

 無形資産を支えるデジタル技術や人工知能(AI)の飛躍的発展は光明となるのか、それとも脅威となるのか。『WORLD WITHOUT WORK』は、AIの発展が、私たちの雇用に破壊的影響をもたらすと説く。ますます多くの仕事が機械に置き換えられ、「仕事の足りない世界」に移行するというのだ。こうした事態に備え、国家は次の三つの役割を果たすべきだと著者は説く。

 第1は、技術進歩とともに生じる変化に労働者が対応できるよう、国家が労働者に職業教育訓練を施すことだ。第2に、それでも仕事が足りなくなるので、条件付きベーシックインカムを導入して、人々の所得を保障すること。第3に、国家がファンドを通じて株式を保有し、そこからえられる配当収入を上記政策のための原資とすることだ。

 さらにもう一つ、国家に風変わりな役割が付け加わる。「余暇政策」だ。仕事がなく、大半の時間を余暇として過ごさざるをえない人々が、実り豊かな人生を送ることを国家が支援する。読者は「何も国家がそこまで」と思われるかもしれない。だが英国や日本で「孤独」を担当する大臣が設けられる時代だ。余暇担当大臣が将来、任命されても驚かなくなるかもしれない。

 もちろんテクノロジーはいつも両義的だ。情報通信技術の発達がなければ、新型コロナウイルスの感染抑制策の実施は困難だっただろう。感染防止を目的としたからこそ、前例のないほど人々を監視する技術が社会に深く浸透しえたことも事実だ。

 『パンデミック監視社会』は、人々の監視を通じて作り出されたデータが、企業の新たな利益源泉となるだけでなく、国家が自らの権力を強める手段になりかねないと警告する。データはまさに、人々を支配する新たな権力の源泉となりうる。

 こうした脅威があるからこそ、著者による「データ正義」の提唱、データがつねに弱者の視点に立って取り扱われ、共通善のために用いられるべきだ、という視点は今後、ますます輝きを増すのではないだろうか。=朝日新聞2022年4月16日掲載