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【谷原章介店長のオススメ】真造圭伍「ひらやすみ」 立ち止まっていても「大丈夫」と思える関係性

谷原章介さん=松嶋愛撮影

日々の暮らしに喜びを見いだす大切さ

 おそらく周囲から見れば、煌(きら)びやかな世界に生きていると思われがちな僕が、このところ考え続けていること。それは、ほんとうに大切なことはなにか。何気ない日常を大事にして生きること。それをあらためて実感する物語に出合いました。それが真造圭伍さんの漫画『ひらやすみ』(小学館)です。

 主人公の生田ヒロト(29歳)は、東京・阿佐ヶ谷の釣り堀で働くフリーター。人柄の良さがとびきりの彼は、ある時、ふとしたことで仲良くなったちょっと偏屈だけどとても温かい近所のおばあちゃん・和田はなえさん(83歳)が天に召され、平屋の一戸建てを譲り受けることになりました。ヒロトは、山形から美大進学のために上京したいとこ・なつみちゃん(18歳)と、この平屋で一緒に暮らし始めます。

 おばあちゃん、なつみちゃん、そしてヒロトの同郷の親友・ヒデキ。迷ったり挫けたりしそうな彼らの背中を、ヒロトはそばにいてそっと押してあげる。多くの人は彼に癒され、力をもらい、日常生活の中でちょっとした喜びを見出していく。それは、ヒロト自身がずっと変わらず、ブレずに佇(たたず)んでいるから。

 歩道橋の上からボーっと街を眺める。たとえば、そんな何気ない日々の1シーンでも、ヒロトは、自分が心地良いと感じること、大切だと思うものを、ひとつひとつ忘れずに生きています。そんな彼の姿を「素敵だな」とは思いつつ、僕が気になるのは、彼自身、一歩も踏み出せていないこと。ヒロトは役者になるために山形から上京しました。映画出演まで果たしながら、役者を辞め、今に至っているのです。

 長い人生の中では、佇んで、前に進めない時期があったって良い。それはきっと、日々の暮らしの整え方を大事にする時でもある。ただ……。たとえば、おばあちゃんがある時、ヒロトに尋ねる場面があります。

 「アンタは今、幸せなのかい? (中略)結婚とか定職につくとか。次の段階の幸せってもんを考えないのかい?」

 ヒロトはこう応じます。

 「あんま考えたことないんだよなぁ」

 半分は本音、でももう半分は――? ヒロトの言葉に寂しさをちょっと感じたりもしてしまうのです。

 たまたま僕も、ヒロトが一時目指した「役者」という仕事をしています。ある意味生き馬の目を抜く業界。忙しい時は、まさに心を亡くすほど。そうしなければ生き残れないし、時に自分に、相手に負けそうになったりしながら、自分の居場所を確保してきました。でもヒロトは自分と業界のペースが合わなかったのかも知れません。

 ただ、僕はヒロトに言いたい。「一歩一歩、時間をかけ経験を積み重ね、味わいを醸し出していく方が、息も長く、魅力的な人になる」と。いつかもう1度、ヒロトなりのペースで「役者」に向き合える時が来て欲しい。同業者として楽しみにしています。だって、ヒロトのことを大切に思う人がこれだけいっぱいいる。ヒロトも、周りに愛をもって接している。「彼なら大丈夫」と僕は思うんです。

夢と挫折、低成長期の日本の若者のリアルを感じる

 ヒロトがおばあちゃんと家で過ごした回想シーンが作中に散りばめられています。この平屋の家がまたじつに良いんです。「家」というものは、その人自身の考え方や生き方が投影されるもの。すてきなお庭を持つ家には、おばあちゃんの積み重ねた年月がしっかり刻まれていて、読む者を温かく癒します。おばあちゃんがつくったカリン酒を、ヒロトが飲む場面。しみじみと切なく、いつまでも印象を残します。

 一度社会に出て、挫折し、今、立ち止まったヒロト。彼の現在を例えるなら「冬眠」でしょうか。けれど、いとこの美大生・なつみちゃんは、これから初夏を迎える「梅雨」の時期。時折、反抗し、幼い面もある彼女は、都会に出て肩肘を張り、美大でうまくいかずに落ち込む毎日を送るのですが、同級生の友達・あかりちゃんとの出会いを機に、生活のリズムを取り戻していきます。

 日々、「ちっちゃい挫折」ってありますよね。僕自身、これまで何度もオーディションに落ちました。納得のいく仕事ができなかったり、監督に注意されて落ち込むことも多々ありました。いろんなことがあった。何かを勝ち取るためには、傷を負うこともある。でも、その傷が、自分を強くしてくれるし、次に問題に立ち向かった時に、その経験が活きて乗り越えられたりもする。

 なつみちゃんは漫画家志望です。友達あかりちゃんの一言で、大きく人生が転がり始める瞬間があります。それがなかったら、なつみちゃんは夢を諦めたかも知れない。こんなふうに、「救ってくれる誰かがそばにいる」ことが、物語には何度か出てきます。僕もいろんな人に助けられ、ここにいる。何げなく支えられたことが大きく運命を変えていく。そんな瞬間が、たしかにある。

 おばあちゃんの平屋の面倒を見る不動産屋さん・立花よもぎさん(33歳)は、頑張っているけれど報われない日々を生きています。彼女のような人って、世の中にいっぱいいると思うんです。毎日、一所懸命頑張って、すり減って、達成感からはほど遠く、理想の自分とかけ離れた現実を生き、悶々としているよもぎ。対照的に、立ち止まってはいるけど、日常生活の中に喜びを見出すヒロト。最悪の出会いで始まった二人。そんなヒロトとよもぎが阿佐ヶ谷名物・七夕祭りの夜、アーケード街「パールセンター」にあるファミレスで、七夕飾りを見ながら背中越しに語る場面があります。「イケイケ」の高度経済成長期の日本の若者とは明らかに異なる、現代の日本の若者を感じます。

 バブルが弾け、気づけば中国にGDPで抜かれ、企業は潤っているのかも知れませんが社員に還元はされず、物価だけがどんどん上がる日本。未来の展望は明るくなく、この国は落ちていってるという実感を誰もが持っているはずです。「では、僕たちはこれからどう生きていこうか」。高度経済成長期とは違う、何を大事にして生きていくのかを見つめ直す時期に来ているのかも知れません。お金の使い方、生活の楽しみ方が変わっていくなか、新たな幸福指標を自分たちで見つけ直す時なのかも知れない。

 考えてみれば、僕たちは、先のことばかりを心配し、今を楽しんでいないのでは? 「30歳でキャリアアップするために、20代のうちにコレをやりなさい」「40、50歳で準備する、リタイア後のための資産形成」「将来の教育費のための貯金を」……、先のことばかり考えて、今を生きる地平に足が着かなくなると、ともすれば、いったい何のために生きているのか分からなくなってしまいそうです。

 子どもの卒業式に行くと、どうしたって、ビデオを回してしまいますよね。でも本当は、自分自身の目で、じかに記憶に残すことこそ大切なのかも。歩道橋で風を感じ、季節の移ろいを思う時だって同じです。「スマホで撮ってSNSに上げよう」などと気を取られていたら、その瞬間の魅力全部を味わい切ることができない。「現実の、実時間の自分こそ、充実させようよ」。地面に繋がった平屋で生きるヒロトから、そんなことを教わったような気がしてきました。発売されたばかりの第3巻を読むのがじつに楽しみ。

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 漫画『バクちゃん』(増村十七)もぜひ。地球に移住・難民避難してくる異星人が、日本で定住していくためにどうするか。自身のキャリアをどう形成していくのか。懸命なバクちゃんの姿を通じ、「生きる」とは何かを問われる物語です。

(構成・加賀直樹)