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「八月の母」 血の匂いがする呪縛の果てに 朝日新聞書評から

評者: 藤田香織 / 朝⽇新聞掲載:2022年04月23日
八月の母 著者:早見 和真 出版社:KADOKAWA ジャンル:小説

ISBN: 9784041109076
発売⽇: 2022/04/04
サイズ: 20cm/428p

街から出る機会が訪れるたびに立ち塞がる母。そしてエリカも予期せず娘を授かる。八月。人間の内に秘められた負の感情が一気にむき出しになり…。連綿と続く、女たちの“鎖”の物語。…

「八月の母」[著]早見和真

 嫌な話だ。
 読みながら何度も、呼吸が苦しくなりページを閉じた。喉(のど)につかえるゴリゴリとした塊を上手(うま)くのみ込むことが出来ない。文字を追うのが辛(つら)く、目を逸(そ)らしたくなる。自分とは関係のない世界の話だと、切り捨ててしまいたくなる。
 二〇一四年八月。愛媛県伊予市に立つ市営団地の一室から、激しい暴行のあとが残る少女の遺体が見つかった。逮捕されたのは、三十六歳の女と、その息子・娘を含む家に出入りしていた複数の未成年者たち。本書は、二〇一六年に愛媛県へ移住した作者が、この実際に起きた凄惨(せいさん)な事件に端を発し描いた長編作である。
 〈八月は、母の匂いがする〉。
 プロローグで語られるのは、飲料メーカーに勤務する夫と、五歳になる息子の三人で東京に暮らす「私」の現状だ。穏やかで優しい夫。可愛く頼もしい息子。美容師の仕事は産休に入った。もうすぐ女の子が生まれてくる予定だから。
 平穏といえる暮らしのなかに、けれど不穏な気配が滲(にじ)む。彼女は思う。〈八月は、血の匂いがする〉。どうやら母親となんらかの確執があるようだと分かるが、明かされぬまま物語は本文へと突入する。
 「第一部 伊予市にて」で綴(つづ)られる、一九七七年から二〇〇〇年に至る越智美智子とその娘・エリカの「八月」。「第二部 団地にて」は、交際していた麗央の自宅である伊予市の団地へ通い詰める清家紘子の視点を中心に「事件」発生までの経緯を追っていく。一昨年、山本周五郎賞を受賞した『ザ・ロイヤルファミリー』は、継がれていく父と息子の物語だったが、本書は女であり、母であり、娘であることの呪縛が繰り返し読者に突きつけられていく。
 誰がどうしてどうなるのか。登場人物たちの首に巻かれた鎖が、ギリギリと締まる音が聞こえてくる。男たちに、土地に、血の繫(つな)がりに抗(あらが)いきれず、囚(とら)われ続ける痛みが伝わってくる。
 酷(ひど)い話だ。
 けれど首尾一貫、苦いだけではない。実在した事件がきっかけにはなっているものの、本書は正確に事実を踏まえたモデル小説ではなく、あくまでもフィクションである。だからこその鮮やかなエピローグに、深い息を吐く。
 「絆」という言葉が、美しく尊いものとして使われるようになって久しいが、断ち切ることが救いになる絆もあるのだ。
 私を苦しめている鎖は、どこへ繫がっているのか。この鎖を誰が握っているのか。
 震えるほど、強い物語だ。
   ◇
はやみ・かずまさ 1977年生まれ。2015年、『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞。2020年、『ザ・ロイヤルファミリー』で山本周五郎賞。近刊に『あの夏の正解』『笑うマトリョーシカ』など。