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桝太一著「桝太一が聞く 科学の伝え方」 難しさ、自戒とともに聞きほぐす

『桝太一が聞く 科学の伝え方』

 サイエンスコミュニケーションとは、桝(ます)太一さんの直訳によれば「科学に関する意思疎通」といったところだが、いまだにその存在は広く知られているとはいえない。一般的には、学問の専門的な知識や知見、研究成果などを、知りたいと思う人にわかりやすく伝えることを意味し、またこのこと自体が学問領域となっている。

 しかし、サイエンスコミュニケーションの必要性や存在意義が問われることが起きた。このコロナ禍である。新しいウイルスにはどういう種類があり、どのような脅威があるのか。後遺症にはどんなことが起こるのか、ワクチンはいつ頃(ごろ)でき、それはどれくらい信用できるのか。拙速な結論や臆測も横行し情報が錯綜(さくそう)、科学の力だけではなく、信用に足る情報を伝える力が必要となった。

 本年3月、日本テレビの看板アナウンサーであった桝さんが退職、4月から大学に就職しサイエンスコミュニケーションに携わるという報にはとても驚いた人が多いはず。が、同時に期待も膨らんだ。桝さんのおかげでこの言葉とジャンルを知ってもらうキッカケができたからだ。

 本書はノーベル賞受賞者でもある山中伸弥、大隅良典の両先生をはじめ、国立博物館に携わる先生、科学を伝えるライターにまで桝さんが話を聞いた本。桝さん自身が大学院でアサリの研究をしていたこともあり、いまの日本でもっとも質の高いサイエンスコミュニケーションについての対話が繰り広げられている。

 そう言い切れるのは、影響力が大きいものの、「結果だけを伝える」「短く伝える」「美しい絵だけになりがち」な世界にいた桝さんだからこそ、コミュニケーターとしての役割の重要性と難しさをだれよりも理解しているからだ。問題意識のある専門家たちの心中を、自戒とともに聞きほぐす聞き手としてこの人以上の存在はいない。

 山中先生は「研究はこれが事実であり正解だ、と軽々しく言えるものではありません」と言い、大隅先生は「効率と科学は両立しない」「発信力はコミュニケーション力ではない」と指摘する。そう、科学者たちは真実に誠実だから「正解」なんてすぐ出ないことを知っているし、これが役に立つ、なんてことは言わない。

 国立科学博物館の篠田謙一先生は、わかっていることだけでなく、「わからないことがたくさん残されている」ことをどうわかりやすく伝えるか、という科学の本質にも向き合う。最先端の先生方の話だからこそ、実は科学や学問の現在地も俯瞰(ふかん)できる書籍にもなっている。

 桝さんのような存在が人文知コミュニケーションの世界にも出てくれることを切に願うばかりだ。=朝日新聞2022年6月18日掲載

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 東京化学同人・1320円。著者の桝太一さんは81年生まれ。同志社大ハリス理化学研究所専任研究所員(助教)。2021年から月刊誌「現代化学」で始めた対談連載の書籍化第1弾。