安倍晋三元首相が、狙撃された事件は衝撃であった。政界・財界の要人に危害を加える事件は、歴史上に後を絶たない。今回の事件はまだ詳細は不明であり、テロリズムか否かを判断するには、なお時間を要する。要人への攻撃をテロリズムというときには、その定義が求められるとともに、より繊細な考察も必要であろう。事件の受け取り方と人びとの対応に、その社会の質―姿がみえてくることを、歴史は示している。
テロリズムを(のちに紹介する久野収に従い)「思想を外側からの権力や圧力によって始末することができると信じる」考え方、と把握したうえで、1920~30年代の日本に議論の様相を探ってみよう。
21年に実業家・安田善次郎が、また数週間後には首相・原敬が相次いで暗殺された。さらに、関東大震災(23年)のさなかに大杉栄らが殺され、29年には代議士・山本宣治が刺殺された。安田刺殺の実行犯に対し、おりからデモクラシーを説く吉野作造は、旧時代の「古武士的精神」とともに「富の配分に関する新しき理想」を見出(みいだ)し、煩悶(はんもん)する青年の行為とした。テロリズムを、その内面から探るのである。
二つの観点から
他方、(治安維持法改正に反対する)山本が刺殺されたときには、憲法学者・美濃部達吉は「世相の険悪に対し大なる憤りと憂いとを感ずる」「反対思想に対する寛容の態度が、一般に失われて、思想上の争(あらそい)から遂(つい)に血を見るに至った」(『現代憲政評論』、国立国会図書館デジタルコレクションで公開)と述べた。社会の状況から、テロリズムに向き合っている。かくして、ふたりのデモクラットによって、テロリズムに対する二様の考察がなされていった。
歴史家たちも、同様である。こののちも事態は悪化し、32年には血盟団がうごき、さらに5・15事件、2・26事件へと続くが、やはり二様の考察として提供されている。すなわち、橋川文三『昭和維新試論』は前者の手法で、安田の刺殺者を「大正デモクラシーを陰画的に表現した人間」と解析する。一方、後者の社会の推移は、松本清張『昭和史発掘』が描く。松本は、軍部の若手将校たちをひとつの軸とし、36年の2・26事件にいたる流れとして、さまざまな事件を綴(つづ)り合(あわ)せていく。20年代の動きが、30年代にさらに不安を醸し出し、大がかりとなることが、橋川・松本のそれぞれの考察によって描きだされる。なお、鈴木邦男編『テロル』(皓星社)は、テロリズムに関与した当事者の手記などを集成し、20世紀日本のテロリズムのドキュメントとなっている。
民主主義の核心
ふたつのことを、付け加えておこう。ひとつは、かかる1920~30年代の経験は、敗戦を経て、戦後におけるデモクラシーの核心を作り出すこととなったことである。テロリズムに対して、きっぱりと対応する姿勢が生みだされる。たとえば、哲学者・久野収は、60年安保闘争後に、社会党委員長・浅沼稲次郎が刺殺されたときに、ただちに「民主主義の原理への反逆」(『憲法の論理』所収)をしたためる。「日本の戦前、戦中をふかく支配した悪伝統」として「思想の暴力的処分」をたどりなおし、思想の自由のもつ重要性を説く。そして、「思想には思想をもってあらそう原則」とともに「思想抹殺的態度への徹底的不寛容」を確立するように言う。
いまひとつは、21世紀の現在、テロリズムの概念そのものが、9・11事件(2001年)あたりをきっかけに、変わってきていることである。テロをめぐる議論には以前にもまして、繊細で複雑な思考が求められている。=朝日新聞2022年7月16日掲載