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SF的発想で歴史の文脈にハックする「嘘と正典」 谷津矢車が薦める新刊文庫3点

谷津矢車が薦める文庫この新刊

  1. 『嘘(うそ)と正典』 小川哲著 ハヤカワ文庫JA 924円
  2. 『1793』 ニクラス・ナット・オ・ダーグ著 ヘレンハルメ美穂訳 小学館文庫 1342円
  3. 『F ショパンとリスト』 高野麻衣著 集英社文庫 594円

 「海外の歴史的事実をモチーフにした広義の歴史時代小説」をテーマに選出。

 “時”が重大な意味を持つ短編を集めた観のある(1)は、堅牢なSF的枠組みと文芸小説的なふくよかさが両立している作品集。今回の選書テーマに引き寄せるなら、ある語り手が「時の扉」を用いてある世界史上の人物である“王”と対峙(たいじ)する「時の扉」、マルクスとエンゲルスとの邂逅(かいこう)を阻止することで共産主義の勃興を防ごうとする表題作など、SF的発想で歴史の文脈にハックする、センスオブワンダーに満ちた佳作が本書には含まれている。

 損傷の激しい金髪男性の死体がスウェーデンの湖で見つかり、結核に侵された法律家と荒くれ者の風紀取締官がこの死体の謎を追う(2)は、王道のバディミステリでありつつ、フランス革命直後の1793年を舞台にした時代ミステリとなっているところに大きな特徴がある。光溢(あふ)れる貴族社会と、死臭漂う貧民の暮らしがすぐ横に並び立つこの時代相が作品全体に横溢(おういつ)し、登場人物やストーリーを規定する。お手本のような優れた時代ミステリ。

 タイトルの通り音楽家のショパンとリストの友情を描いた(3)は、二人の出会いと僅(わず)かなひとときにしか存在しえなかった交歓、そして別れののちの日々を瑞々(みずみず)しく描き出す。それとともに、共感と共鳴、深い絆、そして「天才」の語が持つ多義性にまで筆を伸ばしていく。朗読劇の小説化とのこと。普段歴史物を読まない人にもとっつきやすい一冊である。=朝日新聞2022年8月6日掲載