未来を思い悶々としたときのヒントに
京セラと第二電電(現・KDDI)の創業者で、日本航空(JAL)の経営再建にも尽力された稲盛和夫さん。8月24日、老衰のため、90年の生涯を京都のご自宅で閉じられました。日本を代表する経営者として長く活躍された稲盛さんの人生哲学の集大成「生き方」(サンマーク出版)をご紹介します。
鹿児島に生まれ育った稲盛さんは、27歳で現在の京セラを設立し、社長、会長、名誉会長を経て、現在のKDDIである第二電電を設立しました。日本の携帯電話市場をドラスティックに変えていかれたかたです。また、自ら財団をおこし、「京都賞」を創設。人類や社会の進歩・発展に功績のあった人々を毎年顕彰するなど、後進の育成に心血を注いでおられました。
実は、稲盛さんをお見かけしたことがあります。
それはちょうどJALが経営再建中だった頃のこと。偶然、稲盛さんと同じ飛行機に乗り合わせたことがありました。僕が前列一番左の席、稲盛さんが右の席に座っておられました。
「あっ、稲盛さんだ!」
テレビや新聞で感じたままの威厳があるたたずまいでした。飛行中、僕がそれとなく観察していると、稲盛さんは鞄のなかから何やらゴソゴソ。それは、崎陽軒の「シウマイ弁当」でした。おもむろに取り出した稲盛さんは、キャビンアテンダントのかたに一言、「これ、チンしてくんない? ごめんね!」
JALの会長ですから、シャンパンでも飲むのかと思っていたら、特別なサービスは一切断っていました。僕が横浜育ちだからか、ギャレーで温められた熱々の「シウマイ弁当」を頬張る稲盛さんの姿に、なんとも親しみを覚えたのを思い起こします。乗務員の方々に対する立ち振る舞いは、終始とても気さくで、「ああ、日本を代表する経営者というのは、こういう人格者なのか」と、しみじみ感銘を受けたものです。
この本では「利他」の心について繰り返し、丁寧に説いておられます。「利他」というのは、自分の利益よりも他人の利益を優先すること。稲盛さんのお人柄、人間性がにじみ出ていると思います。
利を求める心は事業や人間活動の原動力となるものです。ですから、だれしも儲けたいという「欲」はあってもいい。しかしその欲を利己の範囲のみにとどまらせてはなりません。人にもよかれという「大欲」をもって公益を図ること。その利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、またその利を大きく広げもするのです。(本書より)
最近の経営者の「人となり」を見ていると、旧来のしきたりに捉われない自由奔放なスタイルで、いわゆる「日本型」ではない人ばかりが脚光を浴びています。もちろん、既存の概念を打破し、日本が新たな飛躍へと繋がるうえで、必要なことです。ひるがえって、この本からは、仕事の流儀や経営理念だけでなく、生き方、考え方の根本に貫かれた哲学を、そこかしこに感じます。混迷を極め、先の見えない時代だからこそ、生き方をもう一度見直したくなる。そう背中を押してくれるはず。
「利他」と共に稲盛さんが筆に力をこめておられるのは、「労働の意義、勤勉の誇り」。つまり、仕事すること、働くということを、自分の時間を提供して報酬を得るための手段としてではなく、心を磨き、人格を練るための精神的意義として捉えることが大切だ、と説いています。
学校教育の現場で扱われる「道徳」について、稲盛さんはこう言及します。
自主性の尊重を放任と拡大解釈し、自由ばかり多く与えて、自由と対をなす人間として果たすべき義務については、ほとんど教えてこなかった。人間として備えるべき当たり前の道徳、社会生活を営むうえでの最低限必要なルールを身につけることを、私たちはひどくおろそかにしてきたといえます。(本書より)
それぞれの多様性を尊重しつつ、社会生活を営む一構成員として他者と共存するためのルールをどう培っていくのか。今の学校教育現場で、その塩梅をどう量っているのかも含め、うちの子たちに聞いてみて、話し合ってみたくなりました。
「失われた30年」、いや、もう40年に向かっているのでしょうか、経済が停滞してこんなにも長く過ごしていると、日本自体が自信を失くしてしまった感じを受けます。はたして、この子たちに「僕たちの国ってこういう国だよ、あなたたちにこういうものを残すよ」って、胸を張って言えるものがあるのか。そもそも、それはいったい何だろう。そんなことを、このところ悶々と考えています。かつてブータンは国民の幸福度が高いことで注目されました。日本も経済成長だけでなく、新たな幸せ、生きがいの基準を見つけるべきではないか――。
稲盛さんのこの本は、単なるビジネス書、自己啓発本ではありません。仏門に入った稲盛さんならではの宗教的な側面もたぶんに含まれています。僕は、このあたりに、悶々とした問いの答えを導くヒントが隠れているのではないかと推察しています。
新しい日本のこれからのあり方は、自然の理に学び、「足るを知る」という生き方にあるのではないでしょうか。「足るを知る」ことで、感謝と謙虚さを持ち、拡大・成長といった目標とは別の考え方へとシフトさせていく。仏教や、中国の哲学的要素を含む随筆集「菜根譚」に影響を受けておられる稲盛さんならではの着眼点に、僕も深く共感しています。
それからもう一つ。50代の大台に乗った僕が、この本を読み、肩の余計な力が抜けた言葉があります。それは、「できていないこと」に落胆するのではなく、「できるために努力をしている自分」で十分なのだ、というメッセージです。
できて、初めて成功ではない。そこに到達するために自分を磨き続けることが目的。この本のなかには、そんなメッセージが何度も登場します。僕自身、至らない点や、「またこんなことを言っちゃった」という反省点は、日々山のようにあります。でも、「努力をしている自分」で十分。少しでも磨き続けていけばいいや。僕の気持ちをラクにさせてくれました。
どんな小さなことに対しても、全身全霊をかけて、それこそ文中に登場するように「手の切れるような」思いで臨む稲盛さん。「手の切れるような」の意味は本書を読んでいただくとして、それにしても「手の切れるような」って、なんと壮絶な表現なのでしょう。モノをつくる人でなければ出てこない発想ですよね。
稲盛さんは「日本は、40周年周期で盛衰サイクルを繰り返してきた」と記します。1868年、明治維新。1905年、日露戦争勝利。1945年、第二次世界大戦敗戦。そして1985年、経済大国としてピークを迎、バブル崩壊(1990年初頭)――。40年サイクルがあるとするなら、バブル崩壊後の次の灯りが見えてきてもいいころです。価値観の転換も含め、この閉塞感を大きく変える、とてつもない好機が訪れればと思います。いや、僕らの世代がその好機をつくっていかなければなりません。
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同じく日本を代表する経営者、本田宗一郎さんの「夢を力に」(日本経済新聞)もぜひ。ちなみに稲盛和夫さんは、本田さんにまつわるエピソードを、「生き方」の中に記しています。いかにも本田さんらしい、力強くて愉しいエピソードが綴られています。 (構成・加賀直樹)