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「非暴力の力」書評 新たな可能性を想像する「闘争」

評者: 藤野裕子 / 朝⽇新聞掲載:2022年10月22日
非暴力の力 著者:ジュディス・バトラー 出版社:青土社 ジャンル:社会思想・政治思想

ISBN: 9784791774869
発売⽇: 2022/08/16
サイズ: 19cm/250,2p

「非暴力の力」 [著]ジュディス・バトラー

 「対テロ戦争」の名目で遂行される武力行使。根強いレイシズム(人種主義)。本書はアメリカの現状を受けて書かれた非暴力の宣言書だ。ジェンダー・主体・身体を問い直してきた著者が、フロイトの精神分析、フーコーの生政治論、ベンヤミンの暴力論などを手がかりに、暴力と非暴力をめぐる問いを重ねていく。
 非暴力を信条とする人でも、「自己防衛」の暴力は例外的に肯定しがちだ。著者はまず、「自己防衛」の「自己」とは何かを掘り下げる。
 「自己防衛」として暴力を正当化する時、保護すべき生とそうではない生、哀悼可能な生とそうではない生とが、暗黙のうちに区分される。ナショナリズムやレイシズムはこの区分に作用するのだ。したがって、非暴力を実践するには、すべての生を保護すべき哀悼可能な生として、平等に考えることが不可欠だ。それはいかにして可能か。
 ここから議論は、自他の相互関係へと向かう。元来、私たちは相互に依存しあって生きている。他者なくしては、食料を入手することもできない。この点、個人主義は、自他を区分し、根本的な相互依存を見えなくさせてしまう。すべての生を哀悼可能にするには、個人主義ではなく、相互依存の紐帯(ちゅうたい)に立脚した、新たな平等概念を練り上げねばならない。
 一方で、権力は非暴力の抵抗運動を「暴力」と名指すことで、運動の正当性を剝奪(はくだつ)しようとする。非暴力を貫くには、この名指しを批判し、非暴力の範囲を確保しなければならない。非暴力は絶対的な原理ではなく、継続的な「闘争」なのだから。
 日本の文脈に置き直して、本書から受け取れる課題は多い。「自衛」と非暴力をどう考えるか。非暴力の範囲をどう確保するか。問いは困難だ。それでも本書は呼びかける。非暴力は、世界が暴力に満ちて出口が見えない時に、新たな可能性を想像する力なのだと。このことを胸に留めたい。
    ◇
Judith Butler カリフォルニア大バークリー校特別教授。著書に『ジェンダー・トラブル』など。