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なぜ「歴史」なのか 冷戦崩壊後いまだ見えぬ秩序 東北大学教授・小田中直樹

「ベルリンの壁」崩壊後の1989年11月、西側から壁とブランデンブルク門を見ようと集まった東独の人たち

 21世紀に入って約四半世紀がたった今日、国内外で一種の「歴史ブーム」が生じているように思われる。実際、歴史小説ならぬ、歴史学者による研究書が多数出版され、E・H・カー『歴史とは何か 新版』(近藤和彦訳、岩波書店・2640円)は大ヒットとなった。それにしても、なぜ今「歴史」なのか。

 フランソワ・アルトーグは、『「歴史」の体制 現在主義と時間経験』(伊藤綾訳、藤原書店・5060円)において、現在に至る歴史研究を、過去に教訓を求める「教訓的歴史」、あるべき未来を設定したうえでそこにむかうプロセスとして歴史を描く「未来主義」、現在を生きる個人のアクチュアルな問題関心に沿って史実を追う「現在主義」、この三つに分類し、歴史研究はおよそこの順序で進化してきたと主張した。

 しかし、管見のかぎりでは、今日の歴史ブームは、この三者が混在しつつ展開している。わたしたちは、教訓、未来の展望、そして現在を理解する視座を求めて、歴史をまなざしているのだ。そして、その背景には、冷戦の崩壊と本格的なグローバル化から30年を経て、いまだにあるべき秩序を国内外で見いだせていないわたしたちの深い悩みがあるように感じられる。

緊要の課題とは

 最近、イタリアでは、ネオ・ファシズム運動に参加した過去をもつ首相が誕生した。かくなる状況のなかで、過去にファシズムやナチズムがいかにして人口に膾炙(かいしゃ)し、独伊で政権を獲得するに至ったかを再確認することは緊要の課題である。田野大輔『ファシズムの教室』は、勤務先において、反リア充主義とでも呼ぶべき思想運動が広まるプロセスを受講学生に体験させた授業の記録である。本書を読むと、巧みに設計された授業に参加しさえすれば、ふつうの大学生たちもいつの間にか「リア充爆発しろ!」と大声で唱和する集団と化しうることを、苦い笑いとともに感得できる。

 ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』が世界中でベストセラーになったことは、いまでも記憶に新しい。同書はホモ・サピエンスの歴史を、誕生から今日まで一気通貫する通史の体裁をとる。しかし、実際には、来たるべき人工知能と生命工学の時代において、人間はいかなる存在たりうるかを予想し、予言する書であった。ホモ・サピエンスの繁栄をもたらした「虚構」を生みだす力が、迫りくる素晴らしい新世界において、いかにどこまで機能するか……この問いへの答えを求める心性が、同書のベストセラー化には一役買ったはずである。

記憶めぐる対立

 現在の世界はさまざまな問題を抱えているが、そのひとつが記憶と歴史をめぐる各国間の対立「記憶戦争(メモリー・ウォーズ)」である。いま現在もロシアとウクライナは冷戦ならぬ熱戦を展開しているが、その背景のひとつには社会主義時代の記憶と歴史をめぐる対立がある。そして、日韓間の元徴用工や元従軍慰安婦問題、日中間の南京虐殺問題など、わたしたちも記憶戦争の当事者である。それでは、記憶戦争を超克するためには、いかに行動するべきか。アライダ・アスマン『想起の文化』は「対話的に想起すること」すなわち「共通の暴力の歴史に関して被害者と加害者の位置関係を互いに承認すること」による過去の克服という方策を提示する。決して読みやすくはない同書だが、今日の世界を理解するにあたっての示唆を与えてくれる。

 もちろん歴史が与えてくれる教訓、未来展望、現実理解のヒントについては、それが正しいという保証はない。それでも混迷の時代にあるわたしたちには、頼るものが必要である。そのひとつが、歴史なのだろう。=朝日新聞2022年11月12日掲載