台湾生まれ、日本育ちの自身の体験を下敷きに、日本で暮らす外国籍の女性たちの物語を書いてきた作家の温又柔さん。新刊『祝宴』(新潮社)では、初めて父親の男性を視点に据える試みに挑んでいる。父娘関係を軸に、世代間の価値のせめぎ合いと相互理解の可能性を探る、ふくよかな長編だ。
主人公の明虎(ミンフー)は、台湾出身の初老の実業家。30年ほど前、仕事の関係で妻子を連れて日本に移り住み、日中台を忙しく行き来しながら暮らしている。
2人の娘たちは日本ですくすく育った。だが、次女が着々と人生の階段を上っていく一方で、気がかりなのは、学究肌で少し強情なところのある長女・瑜瑜(ユユ)のこと。世間が期待する、結婚・出産の「順番」が、姉妹で逆転したことが親心にはふびんだ。
その瑜瑜から女性のパートナーがいることを打ち明けられたとき、明虎は動揺し、「ふつうでいて欲しかった」という思いを打ち消すことができない。
当初は、娘の視点で書き始めたという。だが、「すくい上げたい領域に届かなかった」。4稿に達したとき、父親視点で全面改稿した。「私自身が非日本人で女性という属性なので、こちら側の困難を訴えようとすると『正しさ』がきつくなりすぎてしまう」。多数派の視点から、少数派が抱える困難をどう立ち上がらせるか。ここ数年、自分に与えた課題だったという。
印象的なのが、明虎が回想する彼自身の半生だ。外省人(中国大陸出身者)だった両親が台湾で受けた差別。侮辱されても、力なく愛想笑いをしていた父親の姿。生粋の台湾人である義父から、妻との結婚をしぶられた過去や、その義父が誇る「自分は日本語が話せる」という自負――日中台の歴史が複雑に絡み合い、物語に深度を与える。
明虎は、右肩上がりの時代を生き、妻子に〈たらふく食わせること〉が人生の目的だった世代。そんな彼の「ふつう」は、瑜瑜によって揺さぶられる。「目の前の愛する娘と向き合うことで、世の中の変化を受け入れることができるかもしれない。そういう祈りをこの父親に込めました」
今年9月には、在日韓国人作家・李良枝(イヤンジ)(1955~92)の没後30年を記念して、『李良枝セレクション』(白水社)を編んだ。
作家としての原点となった先人の一人だ。李良枝がのこした物語の主人公たちは「発話の困難」に直面し、「言い間違い」が命取りになるような切迫感のある世界を生きる。だからこそ自身は、「安心して何語でもない音を発せる場所」を提供するストーリーを紡ぎたいと思っている。(板垣麻衣子)=朝日新聞2022年11月30日掲載