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「野原」書評 死者の声が照射する我々の「生」

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2023年01月07日
野原 (CREST BOOKS) 著者:ローベルト・ゼーターラー 出版社:新潮社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784105901844
発売⽇: 2022/10/27
サイズ: 20cm/245p

「野原」 [著]ローベルト・ゼーターラー

 パウルシュタットという小さな町の墓地に、毎日のように通い詰める老人がいる。彼はそこに埋葬された死者たちの声を聞いていると信じているのだ。そして、29人の死者たちの声が一章ずつ綴(つづ)られていく。
 死が2人を分かつまで添い遂げた夫に語りかける妻、教会の祭壇に火をつけ焼身自殺をした神父、互いを軽蔑し憎み合う夫婦それぞれの視点、自分をカエルと思い込み池に飛び込んだ少年、一言の悪態を残す何者か、サナトリウムで知り合った老女の死を看取(みと)る老女。
 失うもののない死者は開けっ広げに語るが、そこには必要最低限のストーリーしかない。きっとストーリーとは、生者にのみ必要なものなのだろう。それぞれの章に人間らしさがあるものの、淡々と集積された人々の記憶と言葉には、無慈悲なまでの冷静さ、いや冷徹さに近いものを感じる。
 私たちは往々にして作者が既に亡くなっている小説を読むし、小説の中で人が死ぬことにも慣れているはずなのに、死者の声と謳(うた)われるとこれほどまでに死を意識してしまうのはなぜなのだろう。遠い異国の死者の声を聞き続けるうち、「死」そのものが炙(あぶ)り出され、その輪郭に寒々しい思い、心温まる思いをすると同時に、我々が抱える「生」もまたその形を顕(あらわ)にする。
 自他の境目の設定、異物との共存が課題となった現代で、我々は己の異物性とも対峙(たいじ)せざるを得なくなったと言えるだろう。そしてこの合わせ鏡で生と死、自分と他者を見つめることにより、自他を分ける境目の曖昧(あいまい)さ、薄さに気付かされる。人はこんなにも違う人生を歩んでいるし、現実では到底好きになれないタイプの人物にさえ、小説を通すと我々はいとも簡単に共感するのだ。
 本書はまさに、自分自身でさえ認められない己の中に巣食(すく)う異物性も含めた巨大な違和と対峙しながら生きていくほかない現代人に必要な一冊と言える。
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Robert Seethaler 1966年ウィーン生まれ。作家。2016年、『ある一生』が国際ブッカー賞の最終候補に。