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永井紗耶子さんの読んできた本たち 中学で歴史にハマり、高校時代は執筆に夢中で成績が…(前編)

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「歴史好きの始まり」

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

永井:私は一人っ子でしたが、家の本棚に絵本がいっぱい入っていて、そこから選んで親に渡して読んでもらっていました。両親そろって本好きな子にしようと思っていたようで、おもちゃ屋さんよりも本屋さんによく連れていかれていました。本に関しては「欲しい」といえば結構買ってもらっていました。

――どんな本を選んだか憶えていますか。

永井:ビジュアルに弱い子供だったので、綺麗なものが好きだったと思います。『おどる12人のおひめさま』という、絵が特徴的な絵本があったことは憶えています。それと『眠れる森の美女』などディズニー系の絵本はそろっていました。

 インパクトがあったのは『みにくいおひめさま』。不自由なく贅沢に暮らしているけれど、美しさだけが足りないというお姫さまの話で、それがすごく自分の中にひっかかっていました。心の美しさが大事、という話だったと思います。

 それと、通っていた幼稚園がミッション系だったので、聖書系の絵本もたくさん読みました。幼稚園に図書室があって、寄贈された本がいろいろあったんです。幼稚園の頃はそんな感じでした。ほっとくと本を読んでいる子供でした。

――自分でお話を作ったりはしましたか。

永井:たぶん、最初の物語を書いたのが小学1年生の時なんですよ。犬が好きすぎて、自分の家のコリー犬が主人公の話を書きました。それを小学生の作文コンクールに応募したら、優秀作を集めた本に載ったんです。そうなると親戚とかに「将来は作家だね」とか言われるもんだから、たぶんそれでその気になって今まできちゃったと思うんです(笑)。

――犬が好きだったんですね。

永井:はい。なので犬の本もたくさん読んでいました。犬が戦争に連れていかれる話を読んでは号泣して読書感想文を書いたりしていました。『狼王ロボ』にも号泣しましたね。

 当時、父の会社が八重洲ブックセンターのそばにあって、土曜日にはそこに連れていかれ、好きな本を選んでいいよと言われて。そうすると犬の絵のものに惹かれてしまうんですよね。『狼王ロボ』もそれでドハマりし、犬の図鑑とかにも夢中になり、犬種について非常に詳しくなったという。

――漫画も読みましたか。

永井:ちょうど朝日小学生新聞で『落第忍者乱太郎』の連載が始まって、すごく好きで読んでいました。アニメ「忍たま乱太郎」の原作です。漫画は「ジャンプ系」も読んでいました。

 学習漫画も好きでした。日本の歴史や百人一首の漫画を読むのが面白くてしょうがなくて、それでなぜか一時期、卑弥呼にハマったんですよね。卑弥呼に関する漫画ばかり3、4冊読んでいました。卑弥呼は史実が分からないので、たぶん、ファンタジーを読むような気持ちだったと思います。

 そのあたりから私の歴史好きが始まっていると思います。小学校3、4年生の頃から講談社の火の鳥伝記文庫という、子供向けの偉人伝の文庫を読み始め、歴史網羅シーズンが始まりました。戦国オタクがスタートして三傑を読み、紫式部と清少納言を読んで平安時代にもハマり出し...。

 それと、ポプラ社の古典文学全集ですね(と、モニター越しに本を見せる)。最初は、表紙の火焔太鼓の絵に惹かれました。

――今見せてくださっているのは『義経記』ですね。

永井:他に『平家物語』とか『源氏物語』とか『竹取・落窪物語』とか『今昔物語』とかもあって、もう全部欲しくなっちゃって。このシリーズを読んで、平家にハマりました。

――大河ドラマなども御覧になっていたのですか。

永井:最初に見たのはたぶん『独眼竜正宗』です。それから新田次郎さん原作の『武田信玄』があって、『春日局』があって。ものすごく好きでした。その頃は年末になると12時間くらいぶっ通しで時代劇が放送されていたんですよね。静岡に住んでいる母方の祖父が戦国好きで、年末に祖父の家に行くと母たちは忙しいので、おじいちゃんと孫はテレビの前に座ってて、みたいに言われて一緒に時代劇を見ていました。「おじいちゃんは三傑だと誰が好き?」「秀吉が好き」「なんで?」と、ずっと質問攻めにしていました。静岡だと史跡もあるのでいろいろ話してくれました。

 同級生でも1人2人は戦国好きな子がいるので、そういう子とずっと「古い国の名前」ゲームみたいなことをしていました。

 という感じなので、時々インタビューで、「なぜ時代小説を好きになったんですか」と訊かれても、ハマった年齢が早すぎて、ぜんぜんわからないんですよ。歴史もの全体にファンタジー感があったのかもしれません。今とはぜんぜん装束も暮らしも違うということに憧れたのか、なんかワクワクしちゃったんですよね。

――古典や時代もの以外の児童文学などは読みましたか。

永井:児童向けに書かれたシャーロック・ホームズや『ああ無情』などは読んだのを憶えています。『ああ無情』は当時、東宝さんがミュージカル「レ・ミゼラブル」の上演をはじめたタイミングで、それを観に行ってなおさらハマりました。他には、『ドリトル先生』のシリーズや『エルマーのぼうけん』なんかも読んでいました。

 それと、星座にハマったんですよね。といっても眺めるが好きだったのではなく、星座のストーリーに興味がいったんです。それで、ギリシア神話がわかりやすく書かれた本を読んでいました。

――アニメとか、映画などは。

永井:高学年の頃に『機動警察パトレイバー』が始まって、漫画もアニメも観ていました。『らんま1/2』とかも。

 映画はちょうど、角川映画が全盛期で、薬師丸ひろ子さんが出ていた「里見八犬伝」とか。
「天と地と」が公開されたのは中学生に入ってからだったかな。あれは戦国好きにはたまらない豪華な映画で、川中島の合戦の陣形が赤と黒にわかれるのが壮観で。観て自分の中ですごく盛り上がっていて、海音寺潮五郎さんの原作も買って読みました。

 時代もの以外の映画も観ていましたよ。「E.T.」とかも観たし、「天空の城ラピュタ」も公開された時に観ましたし。祖父母の家に行くと結構一人でほっとかれるんですが、近所の小さな田舎の映画館で古い映画をいくつも上映しているので、てくてく歩いていって「オズの魔法使い」などを観ていました。その時に観た「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」が私にとってディープインパクトで、ホームズを読み返し、ホームズの推理の穴埋めをしていく推理ゲームみたいな本も読みました。そこからルパンのシリーズも読みました。

――国語の授業は好きでしたか。

永井:嫌いじゃなかったと思います。結局、書くことは好きだったので、読書感想文もワクワクしながら書いて市や区のコンクールで賞状をもらったりしていました。

 ただ、中学受験のための勉強もしていたんですけれど、出題に使われるのは説明文のほうが回答しやすいな、と思っていました。出題された物語が面白いとつい没頭して「もっとゆっくり読みたい」と思うし、抜粋だけだと続きが読みたくなるし。

――振り返ってみて、ご自身ではどんな子供だったと思いますか。

永井:面倒くさい子だったと思うし、口が達者だったんだろうなとは思います。よく喋ってた。どちらかというと、斜に構えて大人ぶりたい子だったんだろうなとは思うんです。

――教室ではリーダーっぽい感じだったり?

永井:そういうほうだったと思います。先生に「とりあえず永井さんいてくれたらまとまるから大丈夫」みたいなことを言われた記憶があるので。

 小学校高学年くらいの時に、親戚が何人か立て続けにがんになったりして、親もその看病で忙しかったんです。私も受験があって、一人で行動しなくちゃいけないことが多くて、「しっかりしなきゃ」という気持ちがありました。それが結果として、大人ぶりたい気持ちになっていたのかな、とは思います。

――プロフィールには「神奈川県出身」とありますが、どのあたりでしょう。

永井:海の見えない横浜市で、比較的普通の住宅街ですね。一時期その学区が荒れていて、それもあって親が中学受験をさせようと思ったみたいです。

「一人宗教戦争」

――そして、私立の中学校に進学したのですか。

永井:そうです。私立のミッション系の女子校に進んだら、環境がガラッと変わったんです。それまでは「おいこらてめえ」みたいなお兄さんお姉さんがいたところから、急に「ごきげんよう」みたいなアナザーワールドに来ちゃって。どう振る舞ったらいいのかわからなくなりました。

 今の私の人生を作っているのは中学時代だと思います。強気な小学生が中学校に入ってカルチャーギャップが激しすぎてどうしたらいいかわからなくなった結果、反抗期がおかしな形で出て、私の一人宗教戦争が始まったんです。

――一人宗教戦争(笑)。

永井:学校の校則などは基本的に聖書をベースにしていたし、シスターも多い学校だったので、なんでも「聖書では」みたいなことを言われるんです。それで、なにか不服があった時に「でもそれって、聖書においてはこうだから間違っていませんか」と、聖書をベースに反論する試みですね。そのためには聖書を読まなければならないとなって、もう必死で読みました。

――新約聖書も旧約聖書も?

永井:そうです。学校から分厚いものが一人に一冊配られるので、とにかくそれを読むんですが、翻訳文が綺麗だったりして。ちょっと古語が混じっていて言葉が綺麗だし、旧約聖書にいたってはファンタジー的な要素もあるので面白く読みました。

 それと、ギュスターヴ・ドレという画家が挿絵を書いた『聖書』も買ってもらって。私が持っているのは1991年にJICC出版局から刊行された本です(と、モニター越しに本を見せる)

――わあ、挿絵が格好いい。

永井:全編にわたり素晴らしい絵が入っているんですよ。これを、とりあえず1日1ページ必ず読むと決めました。これだと楽しく絵を眺めながら読めますし。ノアの箱舟とかカナンとか、モーセの十戒だとかソドムトゴモラとか、ほぼほぼ網羅してくれているので、これと学校で配られた分厚い本を、合わせ読みしていました。

 そうすると、西洋系の映画や文学について理解が増すんですよね。「ああ、この人聖書のこれに対してこれを言いたかったんだな」などと、聖書の思想に対するスタンスがわかってくる。そういう意味で、聖書を読んだことはすごくよかったなと思っています。

 あと、こういうのも読みました(と、本を見せる)。

――おお、岩波文庫の『ブッダのことば』、中村元訳。

永井:要は反抗したいから、「ここには信教の自由があるはずだ、ならば私はこっちを読む」って言って(笑)。そしたら先生が遠藤周作の『沈黙』を読めと言ってくるので、『沈黙』を読んだ返す刀で太宰治の『駈込み訴え』を読みました。ユダが独白する『駈込み訴え』はすごく好きですね。

 ミッション系の学校とはいえ、聖書に対して斜に構えていても、それはそれで「あなたの考えをちゃんと持っていてよろしいんじゃないですか」「むしろあなたほど聖書を読んでいる人はいないと思いますよ」という感じでした。「よくここまで読みましたね。ある意味理想的な学生です」って、生徒の意志や考えを尊重してくれていたなあ、と、思います。

「歴史に加え演劇にハマる」

――中高生時代も時代小説は読んでいたのですか。

永井:相変わらず山岡荘八さんとかも読んでいたし、永井路子さんや田辺聖子さん、井上靖さんの戦国ものの短編などもめちゃめちゃ読んでいました。山岡荘八さんは『織田信長』とか『伊達政宗』とか『源頼朝』とか『小説太平洋戦争』とか。『坂本龍馬』も読んだかな。司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』も、もちろん読みました。

 そうそう、小学生の時に火の鳥伝記文庫で『織田信長』を読んだ後、山中恒さんが書いた小学生向けの『織田信長 血みどろの妖怪武将』を読んだんです。それは明智光秀側から書いてあるんですね。火の鳥伝記文庫の『織田信長』は信長を英雄として書いているんですけれど、こっちは本当にすごく残酷な人として書かれている。歴史上の人も、書き手と目線が違うとこんなに印象が違うんだって、衝撃だったんですよ。なので、1人の人物について知りたいと思った時には、その人について違う作家が書いた3、4冊の本を読むと決めています。

『むかし・あけぼの』という、田辺聖子さんが『枕草子』を小説化した作品も中学生の時に読んですごく好きでした。私はそれまでは、どちらかというと清少納言と紫式部だったら紫式部のほうが好きだったんです。でも『むかし・あけぼの』を読んで清少納言にドハマりして、清少納言について知りたくなって安西篤子さんの『悲愁中宮』を読んだりしました。これは清少納言が仕えた中宮定子の話なので。さらにその流れで永井路子さんが藤原道長を書いた『この世をば』など何冊かまとめて読むと、結構、立体的に見えてくるというか。その作業が楽しかったですね。なので、同じ時代が背景のものをまとめてどーんと読む、ということを繰り返していました。

 そうしていると今度は原典にあたりたくなるんですよね。学校が神保町の近くだったので、学校帰りに古本屋さんによって、読めるわけでもないのに『吾妻鏡』を探すと結構ボロボロのやつが安かったので買いました。それこそ『枕草子』も買いました。図書室で借りればいいものを、なぜか家に置いておきたい願望が強いんです。

――学校帰りに神保町に行けるっていいですよね。

永井:神保町が近くにあったことはすっごく幸せだったと思います。私は横浜から都内に通っていたので、あまり遊びまわるほどのエネルギーもなかったし、ファッションにも興味がなくて、お小遣いはほぼ書籍につっ込んでいました。試験が終わると友達と神保町に行って、紙袋いっぱいに何かしら買って帰る、みたいな。

 神保町では思いがけない本との出合いがあって楽しかったですね。浮世絵とか、誰かの直筆の文とか、不思議なものも売っている店もありましたし。

――古典や時代小説のほかには。

永井:漫画も好きでした。自分たちの世代での大ヒット作品ももちろん読んでいましたが、ちょっと前の世代のものとか。萩尾望都さんとか、森川久美さんの『南京路に花吹雪』とかもすごく好きでした。川原泉さんの『笑う大天使(ミカエル)』はミッションスクールに通っている人間からするともうたまらないツボでした。

――部活はやっていなかったのですか。

永井:最初、演劇部だったんです。でもその演劇部は宝塚が好きな方が多くて...。私はどちらかというと、下北系の演劇に興味があったんです。七つ年上のいとこの友達が下北沢で劇団をやっていて、親に付き合ってもらい下北沢の小劇場に行ったら、ものすごく面白かったんです。小劇場の演劇って、舞台装置が極限まで少ない状態で、話と芝居で引っ張っていくじゃないですか。それが面白かったと学校で友達に話したら、その子のお母さんもそういうのが好きで、「じゃあ野田秀樹さんの舞台を観にいこうよ」と誘ってくれて、野田さんの舞台を観たらもう、あまりの言葉遊びの巧みさに衝撃を受け、野田さんの書くものを読むようになりました。

 野田さんの「野獣降臨(のけものきたりて)」という舞台のビデオを借りてきて観たらあまりにも面白すぎて。シェイクスピアとか『古事記』とかアポロ計画とか、もういろんな要素が入っていたんですよ。これの元となっている話を読まなければと思って、『古事記』を読み、新潮文庫から出ていたシェイクスピアを全部そろえました。野田さんが『贋作・桜の森の満開の下』を書いていたのでそのまま坂口安吾の『桜の森の満開の下』を読んだりもしました。

 他には芝居が好きだから、泉鏡花も言葉がリズミカルでいいなと思いました。で、そのままの勢いで『謡曲百番』を読みだしたら独特の世界観が面白くて夢中になって。ハマれるものはすべてハマっていました。

「博士ちゃん並みの取材力」

――広く浅くではなく、広く深くという感じですね。

永井:凝り性なんでしょうね。で、今度はそういうものを自分が書きたいと思うようになりました。書くためには何が要るんだろう、どうしたら書けるんだろうと、ずっとぐるぐるしてましたね。今もしてるけど(笑)。

 中学3年生の後半くらいから鎌倉時代にハマっていたので、自分も鎌倉時代の小説を書こうと思ったんです。それで永井路子さんを読み、『吾妻鏡』を読み。そうして書いたものが、高校1年生の時に、学生向けのコンクールで入賞したんですよ。義経の話だったんですけれど。その時の資料をベースに書いたのが昨年出した『女人入眼(にょにんじゅげん)』でした(笑)。もちろんその後新しい研究も出てきているんですけれど、『吾妻鏡』の解釈本など基本的な古典の資料に関してはその当時の資料を使いましたね。

――どれだけ細かい資料を集めていたんだっていう...。

永井:親に東北に連れていってもらったりもしました。奥州平泉で、毛越寺に行ったり、江刺に行ったり、「衣川ってこの角度からはこう見えるんだ」とか言って一人でテンション上げながら写真を撮ったりして。牛車とか流鏑馬の写真も撮りました。

 装束も着て重さを確かめたいと言って、体験をさせてもらったりもしましたね。ちょっとした「博士ちゃん」みたいな感じでした。

――あはは。もしもその頃「博士ちゃん」みたいな番組があったら、永井さん、絶対出演していましたね(笑)。

永井:母がよくあの番組を見て「あなたもこんな感じだった」って言ってます。

――調べたこととは自分でみっちりノートにまとめたりして。

永井:そうです。年表を作ったりして。そうしたものや、当時の付箋を貼ったままの『吾妻鏡』や、新人物往来社の鎌倉関連の『歴史読本』などはずっととってあったんです。三谷幸喜さんが大河で鎌倉をやると聞いた時に「資料があったはず」と思って探してみたら出てきたんですね。それで、「資料があるんで書きたいんです」って出版社に電話して、『女人入眼』を書きました。

――当時、読書記録はつけていましたか。

永井:自分では全然つけていなかったです。でも学校でつけろと言われて提出したものがあって、その記録が、永井路子永井路子田辺聖子杉本苑子という感じで(笑)、それに加えて西行とか「密教のすべて」みたいな本があって。先生も感想を書きようがないようで、「またなにか調べているんだなと思いました」「テーマが決まっていていいですね」みたいな言葉が添えられて返ってきました。中学3年から高校1、2年まではそんな感じで、先生も「永井さんまたなんかやってるな」と思っていたみたいでした。

 それと、当時から昔話コレクションをしていて。旅行に行くたびにこういうものを集めています。

――いま見せてくださっているのは『京都の昔ばなし』という、山口青旭堂の和本ですね。

永井:旅行するたびに、この本のような、その地元に伝わるお話をまとめたものを集めています。

 大学に入ってから見つけたのが『ふるさとの伝説』という、ぎょうせいから出ているシリーズで、それとあわせて読むようになったら一層面白くなりました。

『十訓抄』とか『今昔物語集』といった説話も、ものすごく好きなんですね。説話を現代解釈したものも好きです。芥川龍之介の短編なども結構ありますよね。そういう民俗学的なものが好きで、鬼の話とか伝説とかも集め出しました。修学旅行でもそういうものを買っていたら、国語の先生が「私もそういうの好き。語りましょう」と言って、「こういう伝説があって」「いやあの解釈は」という話を楽しくしていました。

――修学旅行はどちらに行かれたのですか。

永井:中学の時は東北で、高校は京都奈良でした。もう楽しくてしょうがないっていう。

――小説は書いていたのですか。

永井:戦国ものを書いたりはしていましたが、中学3年生の時には中華ファンタジーを書きました。『三国志』を読んで中国史にハマっていた時期だったし、友達に薦められて田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』を読んでファンタジーにもハマっていたので。田中芳樹さんの大河小説は歴史好きにとってはたまらないです。

 他には、公募ガイドなどで10枚くらいの童話の公募を見つけて応募して、ちょこっと載せてもらったりとかもしました。

 それと、学園祭でお芝居をやることになり、「脚本やる?」「やるやる」となってコントみたいなシンデレラを書きました。下北小劇場好きの流れで、いかに笑いとるか必死に考えました。わざとアイドルの曲を使ってみたり、最後にシンデレラと王子が結婚するところは記者会見シーンみたいにしたりして。

 はじめて大人の新人賞に応募したのは高校2年生の時でした。講談社の時代小説大賞で、もちろん落ちたんですが、それで、大学に入ったら絶対にまた出すんだと思っていて。

 高校の時、そういうことばかりやりすぎて授業中ずっと寝てて、成績がガタ落ちしたんですよ。親に「そろそろいい加減にしなさい」と言われ、自分でもまずいなと思い、歴史の暗記をする間に、これはネタになる人、これはネタにならない人などとリストを作りながら、大学に入ったら書くぞと我慢しながら受験勉強をしていました。

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