1. HOME
  2. インタビュー
  3. 作家の読書道
  4. 永井紗耶子さんの読んできた本たち 新聞記者を辞め、大学で学び直した仏教が生きる(後編)

永井紗耶子さんの読んできた本たち 新聞記者を辞め、大学で学び直した仏教が生きる(後編)

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

>【前編】永井紗耶子さんの読んできた本たちはこちら

「学生時代の読書と研究」

――大学はどの学部に進学されたのでしょう。進学して、小説執筆を再開したのですか。

永井:文学部に行きました。大学に入ったら書くぞ、と思っていたのに、自由な女子校の世界から世俗に戻ったので、遊んでしまって。

 でもやっぱり、だんだんまた書きたくなりました。大学の図書館に資料が山のようにあって感動したんです。ただ、集中して書く時間がないというか、上手にやりくりできなくて。どこまで人付き合いをしたらいいのかわからなくなりました。それで、3か月くらい籠ることにしました。友人たちには「大丈夫か」ってすごく心配されたんですけれど。それでまた書くようになり、同時にちょっと違うジャンルの小説も読むようになりました。というのも、時代小説が対象の新人賞が極端に少なかったので、違うジャンルに応募することも考えないといけないと思ったんです。それでミステリやホラーや純文学を読み始めました。それまでもちょこちょこ読んではいたんですけれど。

――どんな作品を読んだのですか。

永井:坂東眞砂子さんの『死国』は、民俗学の話でもあるので私的にはそこがツボでした。鈴木光司さんの『リング』や『らせん』も当時流行っていたので読みましたが、結局私がホラーを読みはじめたのは、昔話とか民俗学に通じる、因果みたいなものが描かれているところが好きだったからですね。なにか得体のしれないものに対する畏怖みたいなテーマはすごく好きでした。

 東野圭吾さんを読み始めたのもこの頃です。『悪意』を読み、動機はそこにあるのかと驚いて、やっぱりミステリは面白いなと思って。

 宮部みゆきさんだと『火車』。カード破産の話ですね。私は当時あまり現代社会の闇みたいなものをよく知らなくて、『火車』を読んで、現代ものは現代ものでこういう面白さがあるのか、すごいなと思って。ちゃんと新聞読もうと思ったんです(笑)。

――さきほど大学の図書館が素晴らしかったとおっしゃっていましたが、永井さんは慶應義塾大学ですよね。日吉と三田、どちらの図書館ですか。

永井:三田の図書館です。家庭教師をしてくれた方が慶應の院生で、図書館の院生が入れる部屋に連れていってもらったんですよ。そこにある本は貸出禁止なんですけれど、私が今まで必死で探していたような原典資料本が大量にあったので、ウハウハした気分になりました。

 ただ、このまま歴史小説にこだわっていたら、小説家になれないかもしれないと思っていたので、歴史ものを書きながらも、試しに純文学を書いたりしていたんです。そしたら、家庭教師をしてくれた方のお父さんが作家さんで、その方のご紹介で編集者さんに会うことができたんです。新潮社の方でした。「とりあえず読ませてくれる?」と言われて手元にあったものをいくつか送った後で、家庭教師の方と私とその方の3人で会う機会があったんですが、「明らかに時代もののほうが熱量がある。そういうことって読み手はわかるから、無理してジャンルを変える必要はないですよ」って。

 その後、デビューする前にたまたまお会いした時も「書いてる? 頑張ってね」って言ってくださったんです。私がデビューして新潮社さんではじめてお仕事させていただいた時はもう定年退職されていましたが、デビューのことは喜んで下さっていたそうです。

 ただ、学生の頃の話に戻すと、その方にそう言っていただいた後もまだ迷いはあって、現代小説を読もうプロジェクトは進行していました。

――ところで、専攻は何を選んだのですか。

永井:人間関係学系の社会心理学のゼミに入りました。国文や歴史も見に行ったんですけれど、人間とは何かみたいな根源的なところを学んでおけばジャンル問わず絶対に活かせると考えました。

 ゼミでは、消費社会の神話と構造、というのを研究していました。資本主義経済社会に対して斜に構えて社会不適合になりそうなテーマですけれど(笑)、面白かったですね。

――ゼミの影響で読んだ本はありましたか。

永井: 評論文を読むことにもハマりだしました。当時の社会学は西洋の学問をベースにしていて、自分たちを評価する神様がいる社会の構造について論じられている気がして、なにか違和感があったんですよね。日本の社会について解析するのに今の社会学は合っているんだろうか、みたいな感覚がありました。結果、日本の文化ってなんだろうとなり、梅原猛さんの『日本文化論』や、宗教学者の山折哲雄さんの本や、講談社学術文庫や現代新書などを読み漁りました。

 あと、大学内のメディアコミュニケーション研究所にも所属して、マスコミ研究のゼミにも入っていました。映画にみるジャーナリズムということで、映画のなかで社会問題をどの視点からどのように切り取っているかを研究したり、新聞の見出し記事を全部並べて、同じニュースに対してどの新聞社がどういう角度でどんな見出しをつけて切り込んでいるのかを調べたりして。

 そうしているうちに在学中はデビューできず、就職するに至るんです。

「仏教を学ぶ」

――産経新聞に就職されたそうですね。

永井:理由はすごくシンプルで。歴史小説家が就職した会社はどこだろう、と考えたんですよ。

 小説家は編集者か新聞記者だった人が多いんですよね。永井路子さんは小学館。司馬遼太郎さんが産経新聞。それであまり深く考えずに、私も司馬さんのように産経新聞に入って京都総局に行って、寺で小説を書くんだって決めたんです(笑)。でもいかんせん、時代が変わっていて、記者の仕事はものすごく忙しいんだと入ってから気づくんです。当然、京都にも行けないし......。全然、覚悟ができないまま、入ってしまった感じでした。

――でも氷河期でしたよね。よく入社試験に合格しましたね。

永井:ほんとうにねえ......。

――で、入社してみたら、めちゃくちゃ忙しかったという。

永井:私は西宮エリアで警察担当になったんですけれど、入った年に選挙があったり、牛乳の集団食中毒事件の工場がエリア内にあったりしてバタバタしていたんですよね。もともと体力があんまりないのに走り回っていたから、体調を崩して、倒れてしまって。自律神経失調症だと言われました。半年もたたないうちに辞めたんです。

――退社後はしばらく休養されていたのですか。

永井:はい。しばらくお休みしました。メディア研の先輩たちから、記事を書くお仕事をポツリポツリもらうようになりましたが、しばらくは浪人状態でした。母に、「あなた、そもそもなにがしたかったんだっけ」と訊かれ、「小説家になりたかった」「じゃあそれをやればいいじゃない」って言われても、その頃は本も読めなかったんです。読むことも書くこともできなくて、完全に停止状態でした。

 でもだんだん、なにか読めるものがないかなと思うようになって、はじめて平岩弓枝さんの『御宿かわせみ』シリーズを手にとってみたら、読めたんです。「あ、これなら読める」と思って。ひとつひとつの話が簡潔で、シリーズものってこんなに楽しいんだと思いました。そこから私のシリーズものシーズンが始まりました。内田康夫さんの浅見光彦シリーズとか、山村美紗さんとか。ダーッとシリーズをそろえて、端から端まで読んでいくのが楽しかったです。

――『御宿かわせみ』は江戸末期の話ですよね。

永井:私、その時まではそんなに江戸時代には接していなかったんですよね。私が当時知っていた江戸は、歌舞伎で見ていた江戸か、おばあちゃんが話すひいひいおばあさんの幕末の頃の話くらい。あとは、テレビのドラマでしょうか。何となく見ていたけれど、他の時代ほど、のめり込んではいませんでした。

――ああ、歌舞伎はよく観に行っていたのですか。古典芸能はお好きだったのでしょうか。

永井:そうですね。小学生の時、祖母の従姉妹にあたるおばあちゃんが古典芸能好きで、私にハマる目を感じたのか、「連れていってあげる」と言ってくれて。それで歌舞伎を観て、「これはすごい!」となって、好きになりました。

 能に関しては、ストーリーと衣装が好きです。落語は、大学生時代にフランスに行った時、13時間も飛行機の中でどう過ごそうかなと思って機内サービスのチャンネルを替えていたら落語に合ったので聴いてみたら、これすごく好きだな、となって。父方の祖母が湯島の出で浅草にお墓があったりして、それまでにも行き来してきたエリアの話が多かったので、そういう意味でも自分としてはツボでした。

――そして、少しずつ回復して...。

永井:はい。じわじわ回復しつつある頃に、たまたま母が「あなたがずっとやりたいと言っていた研究ってこれじゃない?」と言って、佛教大学の案内を持ってきてくれたんです。大学院の通信講座があって、それなら行けるかも、と思いました。昔ばなしコレクションをしていることもあって、説話文学について知りたい気持ちがあったし、自分の中で聖書のベースはできていたのに仏教のベースが全然できていなくて、歴史を解釈する際に欠けがあるなと感じていたんです。古典文学を読んでいても、骨身に染みる感がないというか。

 仏教って、聖書みたいに一冊にどーんとまとまっているものがなかなかないんですよね。なにを読めば仏教の世界観がわかるのかがわからなかったんです。ちゃんと系統立てて仏教の思想を知りたいなと思っていました。

 それで、佛教大学を受験して入学しました。仏教民俗学とか仏教文化を教えてくださる先生のゼミに入って、こんなこと知りたいあんなこと知りたいと言っていたら、「うん、じゃあ、天狗の研究する?」って言われて「て、天狗?」と聞き返しましたね(笑)。「まあ、『中世神道論』をちょっと読んでみて」と言われ、読んだら面白かったです。いつかネタにしようと思っています。

 他に仏教説話集の『日本霊異記』も薦められました。いちばん古い仏教説話集ですね。「『今昔物語』とかも結局、『日本霊異記』から発生しているから、そっちを研究してみたらいいよ。で、『日本霊異記』だったら法相宗だからね」みたいな感じで。

 佛教大学で、仏教の経典や思想、仏教美術の見方など、基本的なことを全部学ばせてもらいました。スクーリングで夏に20日間くらい京都の大学院に行くんですが、その時は授業のない土日にお寺をめちゃくちゃ巡りました。一人でマイナーなお寺に行って、「佛大生です」って言うと、お坊さんがものすごく丁寧に説明してくれるんですよ。

 それで仏教についていろいろわかってくると、歌舞伎にしろ落語にしろ『源氏物語』にしろ、「この言葉のこの言い回しってこういう意味だったのか」「ここで前世の何とかって言っているのはあの思想からくるのか」というのが理解できるようになってきて。すごく面白かったですね。同時に、お寺と神社がどのようにミックスされていて、近代に入ってどれくらい変わったのかなども見えてきたりして。だから先生があの時、「一番古いものからやりましょう」と言ってくれたのは、すごくありがたかったです。

――自分はそういう、仏教的解釈をぜんぜん理解していないなあと恥じ入るばかりです...。

永井:私が凝り性なだけなんです。でもそうことを知るとやっぱり古典も面白いですね。能の謡曲なんかも、仏教的な思想と夢幻の世界と地元で伝わる伝承的なものがミックスされた上で、舞台装置をできるだけ排除したうえで舞っているんだとわかってきて、あのシステムはすさまじいなと思うようになりました。ある種、コンテンポラリーアートみたいな感じがありますね。

「ライター仕事と作家デビュー」

――小説はまた書き始めたのですか。

永井:そうですね。民俗学とホラーとミステリをミックスした話を書きました。佛教大学の生協に、小野不由美さんの『十二国記』があって、スクーリングで京都に行っている間に、全巻一気に読破して、「こういうのを書いてみたい!」と、学びたての仏教文化を取り入れて......。一応、応募をしたところ、編集者さんからお声かけいただいたのですが、お仕事にまでは至らず。そうこうしているうちに、ライターの仕事がえらく軌道に乗ってきたんです。

――どんな媒体でどんな記事を書いていたのですか。

永井:「GQ」っていう、「VOGUE」の男性向け雑誌の立ち上げに先輩が関わっていたんです。政治やビジネスに関することを書く人がいなかったようで、これがめちゃくちゃ楽しかった。

 それと同時に、自分が体を壊したということもあって、健康雑誌の仕事もはじめたんです。ヨガの先生の連載の担当となり、先生と仏教系の話で盛り上がったりして(笑)。その連載は長らく担当させていただいたんですが、独特の感性の先生で、すごく面白かった。その雑誌には自分の趣味と実益を兼ねる企画をねじ込みました。「和の動きって興味ありません?」とか言って、日本舞踊の先生に取材に行ったり、殺陣師の人に「なにかエクササイズを考えてください」ってむちゃくちゃなことを言ったりして(笑)。ビジネス誌のほうでは老舗を取材させてもらっていて、そうすると「うちは400年、江戸時代から続いています」というお話をうかがって。その取材も面白かった。

 ライターの仕事では現代の面白さもいろいろ教えてもらいました。ものの見方が変わりました。ファッションは興味がなかったんですけれど、デザイナーさんやクリエイターさんに取材すると、「あ、これは哲学なんだ」「アートなんだ」と気づいたりして、そうすると服が面白くなる。ブランドも歴史や背景を知ると面白いし、美術でもコンテンポラリーアートの面白さを知ったりして。

 いただいた仕事はちゃんとやろうと決めていたので、本当に忙しかった。インプットとアウトプットが同時に進んでいく感覚でした。でも、楽しかったので。このまま、ずっとライターを続けていくのかな、と思ったりもしました。

――その後、状況の変化があったということでしょうか。

永井:リーマン・ショックです。ライターの仕事が激減したんですよ。なくなる媒体もあったし、WEBに移行するものもあった。原稿料ががくっと下がったり、外注ライターは使わずに社員でまかなうようになったりして。この調子でいくとさらに仕事が減るなと思った時に、「そもそも私は何がしたかったんだっけ」となりました。

 それで「やっぱり小説を書こう」となって、書いて、応募して。時代ものの賞があまりなかったので、ノンジャンルで募集していたていた小学館文庫小説賞に送りました。営業するみたいな気持ちでもし最終選考まで残って、編集さんの名刺とかがいただけたら、持ち込みでもなんでもしようと思っていたんです。おかげさまで受賞し、デビューさせていただくことができました。それで、とりあえずライターとの両輪でやっていくことになりました。

――あ、じゃあ受賞作の『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』がはじめて小学館文庫小説賞に応募した作品だったのですね。平安や鎌倉、戦国が好きな永井さんですが、これは江戸もので、しかも、主人公は遠山の金さんですよね。

永井:そうですね。それまでずっと鎌倉とか戦国とか書いていたんですよね。ただ、資料で、遠山金四郎が若い頃に歌舞伎の笛方をやっていたというのを見たことがあって、いつかネタにしようとぼんやり思っていたんです。で、みんなが知ってる江戸の人を考えた時に、遠山の金さんかなって。ものすごラフに決めました。あとから小学館の人に、「この人はものすごく江戸時代に詳しい自信家か、ものすごく詳しくないかのどっちかだと思った」と言われて(笑)。

 そこからは必死で、江戸時代について勉強して、今日に至ります。少しは詳しくなったかな?と...。

――デビュー後、しばらくライター業と兼業だったわけですか。

永井:6作目の『大奥づとめ』が出る頃まで兼業でした。その次の『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』が、お声がけいただいてから出すまでにだいぶ時間がかかったのは、私が「すみません今月はムックで12人分のインタビューを1カ月でまとめなきゃいけないんで1か月は小説の仕事ができません」とか言っていたからです。「永井さん、いつまでライターを続けるんですか」と言われてはじめて、「あ、私どっちが重要なんだっけ」と気づいたという。

 でも、ライターの仕事も楽しかったんですよね。クリエイターさんとお話するのはすごく好きでした。私が江戸が好きだからといって歌舞伎など伝統芸能系のお仕事を振っていただいたりもしたし。

 一回、「ロシアからテトリスの開発者が来るんですがインタビューしませんか」って言われて「します!」って言ったり、「クドカンのインタビューしませんか」「やります!」とか、時々、すごく面白いネタが降って来る。雑誌の取材であり、小説のネタ集めにもなり...なかなかやめられませんでした(笑)

「自作について」

――小説のほうは、幅広い時代、題材を選んでいますよね。

永井:その時気になったものを選んではいるんです。たとえば『横濱王』で原三渓を書いたのは、「GQ」の取材がきっかけです。取材でお会いした方が、益田鈍翁という、三井の大番頭だった明治時代の茶人が好きだと言っていて、気になって調べている時に、益田鈍翁を含めた三大数寄者のうちのひとり、原三渓は三渓園を作った人なんだと思って。同じ頃に茶道に関する本も読んでいたので興味を持ちました。

 それで、小学館の方かから「横浜の人を書いてみませんか」と言われた時に、真っ先に浮かんだのが原三渓でした。

『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』に関しては、遠山金四郎を調べていた時に「杉本茂十郎の失脚」という一文を見かけて、商人なのに失脚ってどういうことだろう、とずっと気になっていて。それとは別に、「GQ」で100年以上続いている老舗を取材するなかで、江戸商人の話がすごく面白かったのでいつか書いてみたいと思っていました。私の2作目の『旅立ち寿ぎ申し候』(文庫版は『福を届けよ 日本橋紙問屋商い心得』に改題)も幕末商人の話なんですけれど、商人の歴史自体にすごく興味がありました。それで新潮社さんからお話をいただいた時に、杉本茂十郎を書きたいという話をして、「やりましょう」ということになりました。でも商人は裕福なので、町人の人情味ある物語にするのはちょっと違うし、武士道の話とも違う。石門心学という学問を学びつつ、商人の描かれた方を考えていきました。歌舞伎や読本、落語に当たったり、落語家さんに話を訊きにいったりもしました。その時に商人の所作に教えていただいんですが、商人は肩ひじ張らず、むしろ肩を落として、どちらかというと当時の女の人のような振る舞いで、腰は低いけれども堂々としている、という感じで、「なるほど」と思いました。

――そして直木賞の候補にもなった『女人入眼』は、過去の資料を使ったという。

永井:もともと遠山金四郎の話でデビューできなかったらこれを書こうと思っていたんです。その時点でもう誰を視点人物にするかももう決まっていたんですよね。大江広元の娘を視点人物にすれば、大江の政治の手腕もわかるし、京都の入内にまつわる色々も見えてくるだろう、と。そこまで決めていたので、あまり悩まずにスタートが切れました。

――新作の『木挽町のあだ討ち』はどこに出発点があったのですか。木挽町の芝居小屋のそばで、若者が父親を殺めた男を斬ってあだ討ちを成し遂げたことが評判になる。2年後に木挽町にある人物がやってきて、あだ討ちを目撃した芝居小屋の裏方たちに話を聞いて回る。木戸芸者や殺陣の指南者、衣装係など各章で語り手が交替し、やがて意外な事実が見えてくる、という内容です。

永井:そもそもあだ討ちってなんだろう、とは思っていて。大学を卒業したばかりの頃、野田秀樹さんが中村勘三郎さんとやった「研辰の討たれ」というお芝居を観に行ったんですね。それもいわゆる仇討ちものだったんですけれど、野田さんも「あだ討ちとはなんぞや」と思って書かれた印象があって。

 たとえば曽我兄弟のあだ討ちを題材にした話ってたくさんあるし、あちこち行くたびに、「ここもそうなのか」と思うくらい、曽我兄弟関連の史跡がある。でも、私の中では、あだ討ちに対してひっかかりがありました。それで、どういうあだ討ちの物語なら自分の中で腑に落ちるのか考えていました。

 デビューしてちょっと経った頃に、「日経エンタテインメント!」で市川染五郎さん、今の松本幸四郎さんの、歌舞伎についての初心者講座の連載を担当させていただくことになったんです。歌舞伎の演目について松羽目物だったらこう、世話物だったらこう、といった解釈をうかがって。その最後にこんぴら歌舞伎に行ったんですね。江戸時代と同じ採寸で作られたものが残っている芝居小屋で、芝居終わりに追加インタビューがあったので楽屋裏を訪ねて、みなさんお忙しく動き回っているのを見つつお話をうかがったんですが、その時に奈落を見せていただいたんです。実際に人力で動く奈落で、これは面白いなと思っていました。

 新潮社の方が、私が江戸ものを書く時にちょいちょい歌舞伎のシーンを入れるので、「お好きなら歌舞伎の話を書きますか」と言ってくださって、「だったらやってみたいことがあるんです」と話し、自分があだ討ちに対して引っかかっていたものを、歌舞伎の裏方の人たちと絡めて書こうと思いました。そうすれば、健康誌で教えていただいた殺陣師の身体の動きのことなども入れ込めるし(笑)。それと、私は歴史ものの一人称小説がすごく好きなんですね。〈申し上げます。申し上げます。旦那さま。〉ではじまる『駈込み訴え』もそうだし、田辺聖子さんの『むかし・あけぼの』もそうだし。ああいう感じで書いていけたら楽しいだろうな、と思いました。

――一人一人の口調が全部違うのがすごく面白かったです。それに目撃者それぞれの人生模様も語られますが、それぞれがこれまでにどんな思いや決意、気づきがあったのかがわかって、もうどの章にも心動かされました。

永井:ありがとうございます。下北の小劇場の芝居みたいな感じで、一人ずつスポットライトが当たって人生を語る、みたいなことを考えていました。

 それぞれの人生については、勝手に喋ってもらったというか。自分の経験でいうと、インタビューって、こちらが予想した通りに喋ってもらってもつまらないんですよね。自分にとって面白いインタビューって、予想外の話が出てくる時かなと思っていて、だからこの小説でも、大まかな設定だけ決め、「はい、喋って」とテレコを回し始める感覚で書いていきました。時代ものや芝居に関しては自分の中にダウンロードされているデータベースがあるので、そのどこに関わってきた人なのかは勝手に決めてもらう感じでした。自分でも「あなたそんな人生だったの」と思うようだったらこの作品は成功だな、と。そうしたら「ああそうか、幇間だったのか」とか「え、浅間山?」などとなり、自分の予想の範囲を越えると、そこでまた調べ直したりして。小道具の久蔵さんにも喋ってもらう予定だったんですけれど、全然喋らないので奥さんに話してもらう、ということもありました。

――目撃者の一人、戯作者の篠田金治さんは実在の人物ですよね。言及される演目も実際にあるものですし。

永井:篠田金治だけは一応、実在ですね。詳細があまりわかっていない人なので私の創作も入っていますが、年齢や、並木五瓶の弟子で上方で修業をしていたというプロフィールは彼をモデルにしています。他にも役者さんに関しては実在の人を入れていますね。衣裳部屋のほたるさんなんかは完全に架空の人物ですけれど。

 その当時になにが演じられたのかなどは、早稲田の演劇博物館のデータベースが素晴らしくて、何月何日に何がやっていたかもぱっと出てくるので、それを使わせてもらいました。それに関する浮世絵も出てくるので、衣装までわかるんです。

 国会図書館のデータベースも最近は素晴らしくてですね、あれが中学生の頃にあったら、私はもうパソコンの前から離れずオタク道をさらに極めていた可能性があります(笑)。

――一人一人の物語も面白かったんですが、それだけで終わらず、あだ討ちの背景はもちろん、聞き手は誰なのかという謎があって。謎解き的な要素については、いろんなミステリを読まれてきたと知って納得しました。

永井:そうですね、ミステリに関しては小説や映画、ドラマも大好きでしたし。あとは事件もののノンフィクションも読んでいましたね。それと、ブラカドイでミステリ系の方々とお会いすることもあって...。

――ブラカドイって、門井慶喜さんの案内で近代建築を巡る集まりのことですよね。

永井:そうです。コロナ禍になってここ2年ほどできていないんですけれど、近代建築を見ながら門井さんの説明を聞いて「おおーっ」とか言って、楽しいんです。ミステリを書く方たちとご一緒すると、みなさんが突然、「あそこだったら死体をどう隠すか」とか喋り出すんですよ。「あそこが入口で、ここは人目につくけれど、この時間だったら監視カメラがきっとこうで」みたいな推理妄想をワクワクしながら聞いています。お店に入った時も、「さっきの店員さんは今どんな心境であるか」みたいなキャラクター設定が始まったりするので、いつも聞きながら勉強させてもらっています。

――最近は読書というと、資料読みが多いのでしょうか。

永井:やっぱり資料が多いですね。小説は、同じ時代ものを書いている方だと影響を受けてしまうので、ジャンルが違う作品を読むことが多いかもしれません。私は上橋菜穂子さんがすごく好きで、『精霊の守り人』シリーズをずっと読んでいたりします。それと、森見登美彦さんも好きですし。でもやっぱりいちばん読んでいるのは資料ですね。

――一日のルーティンは。

永井:一応、10時始業、18時終業みたいな気持ちではいますけれど、ずれこんで夜も仕事していたり、朝だらだらしたりすることもあります。だいたい、夜はちゃんと寝ようと思っています。

――先ほど、永井さんの後ろをめっちゃ大きな犬が通っていってびっくりしたのですが、毎日あの子の散歩もされているのですか。

永井:はい、グレートピレニーズです。あの大きな子を連れて朝1時間、昼1時間、散歩しています。ちょうどいいタイミングで、「はよ散歩いかんかい」って感じで寄ってきて、パソコン打ってる腕を鼻でブンと持ち上げるので、「はいはいわかった」って。

 散歩中にあの子に駄々をこねられると、抱っこして連れて帰ることができないので路上で懸命に説得してます。「そっちまで行くと疲れちゃうでしょ?」「駄目だって言ったよね?」「また今度ね」とか言い続けると、すっごく不貞腐れた顔をしながらようやく帰ってくれるんです。

 なので、馳星周さんのブログを読んで、犬のしつけを学んで来ました。というか「馳さんがこれだけ甘やかしているからうちもいいよね」って、馳さんの犬育てを基準にしています(笑)。

 馳さんの小説はハードボイルドなものを読んできたので、初めてブログ「ワルテルとソーラと小説家」を見た時は、驚きました。女の子のワンちゃんの話なんかは女の子口調でずっと書いてらっしゃるので、「あの馳さんが!」と思って、他の作品とのギャップに惹かれてしまって。あのブログは本にしてほしいです。

 馳さんがお書きになっている犬の作品も買うんですけれど、『走ろうぜ、マージ』は、いまだに読めてないんですよ。絶対に泣いちゃうので。

――さて、いま産経新聞で連載がはじまったところだそうですが。

永井:「きらん風月」という小説で、実在した栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん)という戯作者を通じて見えてくる、上方と江戸と東海道の文化史みたいな感じの話ですね。鬼卵はちょっと変わった人で、東海道の宿場町で煙草屋をやっていて、60歳を過ぎてからものすごい量の読本を書いて、それが歌舞伎になったりしているんです。全国的にはあまり知られていない人ですけれど、母方の実家がある静岡では知っている人は知っている。せっかく全国紙で連載をやらせてもらえるのだから、彼があちこちいろんな場所を移動したことも含めて書けたらいいなと思って。

 鬼卵は人生の序盤には上方にいるんですが、当時上方には上田秋成や円山応挙がいて、すごく文化的に豊かだったんです。と同時に、天明の飢饉や、言論統制にあたる寛政の改革もあったりといろいろあったんですよね。

 なので今、大阪弁で四苦八苦しています。それに文人墨客っていわれる人たちの生活って、武士とも商人とも町人とも違った独特の暮らしぶりなので、これもまた大変で。「なんで私これ書こうと思ったんだ」と言いながら、しばらくこれと付き合っていきます(笑)。

――他に刊行予定などありましたら教えてください。

永井:3月22日に角川文庫から『とわの文様』という文庫オリジナルの新刊が出ます。呉服屋の兄妹を主人公に、着物の模様にまつわるエピソードが入った短編集です。衣装や浮世絵を見るのが好きなので、楽しみながら書かせていただいています。私が好きだったシリーズもの作品たちのように、楽しんでいただけたら嬉しいなあと...。シリーズ化したらいいなあ、と思っています。

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で