著者と僕の最初の出会いは30年前、一冊の本だった。タイトルは『病院で死ぬということ』。医学を学び始めたばかりの僕にとっては、自分が抱いていた医療に対するイメージとの乖離(かいり)に衝撃を受けた。
人はいずれ死ぬ。なのに、多くの患者が最期まで病院で治療を受けながら、人生の所有権や尊厳を奪われた形でこの世を去っていく。このままでいいのか。そんな強烈な問題提起がそこにはあった。著者はその後、在宅ホスピスという新しい領域を自ら開拓していく。初めて対面で会ったのは10年前。研修会で、在宅ホスピスの取り組みを聴いた。がんが進行し、これ以上の治療が難しい。そのような状況にあっても、最期まで住み慣れた自宅で人生を生き切れることが当たり前の社会にしたい。静かに語る目の奥に、強い情熱と決意のようなものを感じた。
その著者自身ががん患者になった。外科的治療を行うが再発、効果があるとされる標準治療(化学療法)は、強い副作用のために中断せざるを得なかった。ステージ4。予後の見通しは厳しい。このような状況において大切なのは、残された時間を大切に使うこと。勝ち目のない病との闘いで体力を消耗させるよりも、穏やかな日々を取り戻せるように支援すべきだ。これは彼が在宅ホスピスに取り組むモチベーションでもあった。
しかし、著者の選択は違った。標準治療が終わったら、あとは死を待つだけ。本当にそれでいいのか。自身ががん患者になって初めて気づいた違和感。その答えを見つけるために、予後を延長するための試行錯誤を重ね、新しい使命を果たすべく走り始めている。
この本に対して緩和ケアに関わる医師たちの中には、同志の「変心」に批判や落胆の声も少なくない。しかし、著者は30年前に「病院で死ぬこと」に疑義の声を上げた時にも同様のプロセスを経験している。穏やかな文章の行間に静かな情熱を感じる。=朝日新聞2023年5月27日掲載
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新潮選書・1485円=7刷1万5500部。22年6月刊。「著者の病気の進行は止まっている状況。本の内容を基に、ステージ4の患者の臨床試験にも取り組んでいる」と担当者。