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大竹耕太郎投手の不敗神話が崩れ、不条理にすがる自分を戒めた「シーシュポスの神話」 中江有里の「開け!野球の扉」#3

(Photo by Ari Hatsuzawa)

 6月9日 わたしは北海道にいた。
 目的は北広島市にあるエスコンフィールドで、日本ハムファイターズと阪神タイガースの交流戦を見ることだ。

 振り返れば2月末、日焼け止めを塗って参戦した沖縄キャンプ。
 あの時開催されたオープン戦もファイターズとの対戦だった。そしてタイガースは負けた。
 今度こそリベンジ! だが、交流戦の初日は完封負け。
 エスコンフィールドから札幌の宿までの帰り道は、本当に、本当に遠かった(近隣の駅ができる数年後まで、約20分かけて北広島駅まで歩くか、車、シャトルバスなどを利用するしかない)。

 翌日、帰京するまでの時間、カフェに入りスマホの小さな画面で2日目の試合を見ていた。
 先発は大竹耕太郎投手。ソフトバンクホークスから現役ドラフトでタイガースにやってきた。若き頃のティム・ロビンスにちょっと似ているので、心の中で「阪神のティム」と呼んでいる。

 今季タイガースは3連敗していない。大竹投手はこの日まで6勝0敗。登板する土曜日は負けない。「3連敗なし」「土曜日」「大竹に負けなし」はマスコミにより神話化されていた。
 タイガースは前々日楽天イーグルスに1敗、前日ファイターズに1敗、計2連敗していた。仙台から北海道への遠征を含む9連戦で弱っているトラに、動物園で栄養を補給して、連敗ストップを祈った。

 が、神話は崩壊した。

     ◇

 神話とは、神聖で、超自然的なもので、そこに根拠があるわけじゃない。
 なぜ「神話」を信じてしまうのか。
 わたしも「神話」のようなものにすがりたい時期があった。

 高校1年の夏、大阪から上京し、歌や芝居のレッスン、そしてオーディションの日々を過ごしていた。芝居のレッスン場では体のラインが出るレオタードを着調する。
 ある日、パントマイムのレッスンがあった。先輩が見守る中、新人が一番にはじめる。
 この日はわたしが一番手。レオタードだけで恥ずかしいのに、みんなの前に立ったら体が固まってうまく歩けない。
 「姿勢が悪い!」「もっと自然に歩けないの?」と師から叱られる。足ががくがくとする。
 ふと、自分はまだ進化途中の人間じゃなかろうか、と思った。
 ピンクのレオタードを着ているアウストラロピテクス、それがわたしだった。

 加えてこれまで受けたオーディションは全敗していた。するとマネージャーがつぶやいた。

 「どうしてこんなにダメなのか……」

 焦った。このままじゃ大阪に帰されるかもしれない。
 オーディションで落ちる理由は何だ? 負けが込むと答えが欲しくなる。
 もしかしたら受かるための「ただしいやり方」があるのではないか。そこに至らないから落ちるのでは? そう「神話」っぽい、頼れる何かさえあれば、受かるはず。

     ◇

 カミュ「シーシュポスの神話」は不条理の物語だ。
 シーシュポスが神々から科された刑罰、それは大きな岩を山頂に押し上げる仕事。ようやく山頂へたどり着いたと思ったら、岩は跳ね返って落ちていく。せっかく運んでも元の木阿弥。一生懸命にやっても、見返りもなければ、成果もない。なんといっても罰なのだから。

 日常にもこの神話は通ずる。
 仕事だって、掃除だって、洗濯だって、みんな みんな 終わらないんだ 繰り返すんだ(「手のひらを太陽に」のメロディに乗せて)
 仕事も家事も罰じゃない。けど終わりがないことを繰り返すのは同じ。

 「3連敗なし」「土曜日」「大竹」の不敗神話はマスコミが作ったものだが、神話とはそもそも不条理で、根拠はない。
 「神話」と呼ばれるものに共通するのは、人間の畏れではないか。だから超自然的な、人の力が及ばないような現象に対して「神話」と名付ける。
 「シーシュポスの神話」で描かれる人生の不条理は、神話化されたほうが受け入れやすい。そうでなければ理由(根拠)のない罰に耐えられないだろう。生きることは不条理の連続だ。

 5月、阪神タイガースがあまりに強かったので、わたしは一抹の不安を覚えていた。
 毎試合、勝利を願いながらもどこかで恐れていた。

 残念だったけど、「3連敗なし」「土曜日」「大竹」の不敗神話が崩れてホッともしている。
 これで終わるわけじゃない。
 勝負はいつもこれからだ。