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朝比奈秋さん「あなたの燃える左手で」インタビュー 手の移植手術を通して描いたウクライナ情勢、領土と国境

朝比奈秋さん=家老芳美撮影

手の移植とウクライナ情勢が重なった理由

――本書の執筆経緯を教えてください。

 5年前に土台となる小説を100枚ほど書いていたんです。同じように他人の手を移植する話で、その違和感や気持ち悪さを描きました。

 当時はクリミア併合から2、3年ほど経った時期でしたが、それにまつわるニュースを見ていると、もしかしたらこれは手の移植手術と似ているかもしれないと思いました。今まで他国だった領土が突然、自分の国の一部となるわけです。僕は物心がついてから、あれだけ大きな領土が併合されるというニュースには覚えがなかったので、大きな衝撃を受けました。

 そのあたりから、手の移植とクリミア併合がからまった話に変わっていました。移植手術と国土の併合でリンクする点、ヨーロッパや島国・日本での国境の感覚など、いろいろなものが有機的にからみあっていきました。

――小説はロシアのウクライナ侵攻が始まる前から着手していたそうですね。

 ウクライナ戦争が始まったときにはかなり書きおえていました。クリミア併合だけでも、十分にショッキングな出来事でした。ロシア側に併合されて、ウクライナとの国境に柵が立って、ロシアとの間にはクリミア大橋ができたわけです。しかし、今度は戦争によって国境全部が東から押し寄せてくる。とんでもないことになったなと、ただただショックを受けていました。小説後半部はウクライナの戦争が起こって以降の出来事が反映されています。戦争について真正面から扱った作品ではないのですが。

――なぜ、ウクライナやロシアではなく、隣国のハンガリーを舞台にしたのでしょうか?

 後から振り返ってようやく気づいたことですけど、当事者ではないのでウクライナ人やロシア人の視点から描くことは到底できませんでした。ハンガリーはクリミア併合やウクライナ戦争の大きな影響を受けていますが、直接の当事者ではなく第三国です。その意味では、日本と少し似ています。逆に言えば、日本人の僕がそれらを目の当たりにして、一番近づける場所がハンガリーだったんじゃないかと思います。

 また、ハンガリーは他国の医学生を受け入れている国なんですよね。国立大学では、日本人の学生も多く受け入れていて、もう何年も前に日本人の医師が誕生しています。そうした経緯からも、ハンガリーに親しみがありました。

――現地の風景はどのように描いたのでしょうか?

 留学や旅行で行ったことはないのですが、ヨーロッパの路面電車のある風景を巡る「ヨーロッパ トラムの旅」(NHK)や、街でピアノを置いて演奏する人の人生を垣間見る「駅ピアノ」(同)といったテレビ番組が好きで、そうした映像の雰囲気から影響を受けていると思います。また戦争などの現地の情勢は、新聞で日々のニュースをチェックして情報を得ていました。

手の移植は世界的にもレアな手術

――手の移植手術は、医学の世界ではどのようにとらえられていますか?

 世界的に見てもかなりレアな手術です。肘・前腕からの手術は世界で100例くらいだと思います。日本においては実際に行われたことすらありません。

――やはり難しい手術だからでしょうか?

 医学的には、今の外科技術をもってすれば難しいわけではないはずです。ただ臓器の場合は、なければ生きていけないので移植するのですが、手の場合は、なくても生死にかかわるわけではない。

 手を失った本人の強い希望や、チャレンジングな医療体制など多くの条件がそろわないと、実現は難しそうです。手術がうまくいっても、免疫抑制剤を一生飲まないといけないので、そうしたリスクとのバランスがとれた時に、ようやく実現するものなのではないでしょうか。臓器移植が活発な国でも、手の移植のハードルは高いようです。

――まだ日本で行われていないのはなぜでしょうか?

 それが不明なんです。本当に不思議なんです。日本の医療技術的にできないわけではないし、法的にストップがかかっているわけでもありません。僕の後輩の整形外科医に聞いてみたんですけど、そもそも現場では手の移植を考えないそうです。

 つまり、手が切断されてしまって自分の手がつなげないとなると、医師も患者も「もうしょうがない」と考える。場合によっては、義手をつけることもありますが、ドナーを探して移植をするという発想はないらしいんですね。

 臓器もそうですが、そもそも、日本人の意識の中で、他人の体をもらうという選択肢が育っていないのではないか。さまざまな理由があってでしょうが、ゾルタンが言ったように、日本は島国で国境がないから、他人のものを移植するという意識がないんじゃないか。彼のそんな考えもあながち外れていないのかもしれません。

――そのように手と領土をアナロジーで考える考察は興味深く拝読しました。

 隣国へと国境を押し込んで領土を常に書き換えてきたヨーロッパの国々では、他者のものを自分のものとしてやっていく経験が、DNAレベルで蓄積されているのではないか。実際にヨーロッパ諸国やアメリカでは、他人に臓器をあげることにも、もらうことにも寛容な人が多いようです。

 一方、日本では臓器移植自体、抵抗がある方が多い。ドナーもレシピエントもそうなんですね。これは他人と自分との関係性の問題なのかもしれません。ヨーロッパのように国境沿いに皮膚をすり合わせてきた人たちは、他者と自分の距離感が近いように思います。日本は島国で他国と距離があることが、移植手術に対して影響が出ているのであれば興味深いですよね。もしそうした関係性を専門で研究している人がいれば、お話をしてみたいですね。

――日本人のアサトは手の移植手術をした後に、どのように手を意識しかかわっていったのでしょう?

 思いついたことを書いているだけなんですけど、後から考えてみるとやはり日本人的な手との付き合い方になっていったと思います。小説では、ヨーロッパのこれまでの患者は、自分の手を征服し動かそうとする意識を持っていた。

 一方で、島国育ちの日本人のアサトは手を受け入れて、同化していく。そうした手の受け入れ方というのは、ヨーロッパ人のゾルタンからすれば新鮮だったと思います。それがきっかけで、日本人がどういう人たちなのかがわかるきっかけになったのかもしれません。

命を燃やして、他人を拒絶する体温

――そもそも、手は人間にとってどういうものだと考えますか。

 手というのは人間において、重要な表現器官でもあるし、受容器官でもある。手で触ったり、手を動かしたりすることは、最大級のインプットであり、アウトプットです。だからそれが他人越しになるというのは、ものすごく苦痛でしょう。

 小説の中でアサトは妻をその手で愛撫することを想像して、とまどいを覚えます。自分の手でもないし、ドナーの手であるわけでもない。それを受け入れるというのは、一筋縄にはいきません。本当に苦しいだろうし、切断したくなる気持ちはすごくわかりました。書いていてぞっとしました。他者の手を移植するということは、人間性や人格に大きな影響を与えると思います。

――タイトルは『あなたの燃える左手で』ですが、手が燃えて高熱を帯びるというイメージは、どこから生まれたのでしょうか?

 拒絶反応は命を燃やして、他人を拒絶する体温だと思います。他国と全面戦争をする時には、国も高熱を帯びて燃えるような状態になるでのではないでしょうか。その爆発的な灼熱のイメージは、この小説の底に流れているものだと思います。

 戦争中でなくとも、国境で隣国と接している人々は、常に他者と手を移植したような状態にある。そのことの大変さというのは、手を移植するということを通して、少しは理解できたんじゃないかと思っています。

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