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一色さゆりさんの読んできた本たち 芸大卒・美術ミステリー作家をつくった作品と「入社1年目の教科書」

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幼い頃夢中になった本

――いつも一番古い読書の記憶からおうかがいしております。

一色:一番古いかどうかは不確かなんですけれども、絵本になりますね。母が結構本を読んでくれる人で、家にも本がありましたし、毎週近くの図書館に行って絵本を借りていた記憶があります。『ノンタン』や『ぐりとぐら』のシリーズや『からすのパンやさん』などを読んでいました。

 自分から進んで読んだ本の一番古い記憶は、『少女ポリアンナ』という、なんでもいいふうに、前向きに考えるゲームをする女の子の話です。それは繰り返し読んでいました。他には『長くつ下のピッピ』なども。

 兄が2人いて、その影響で『名探偵カッレくん』や『モモ』も読んでいました。同じように兄の影響で、小さい頃から「ジャンプ」や「マガジン」、「サンデー」といった少年漫画誌も毎週読んでいました。振り返ってみると、私が9歳の時に『ONE PIECE』が始まっているんです。すごく斬新な漫画が始まったと周りが話していたのをすごく憶えていますね。その1年後、10歳の時に『HUNTER×HUNTER』が始まったんですよね。それも今回、この取材のために振り返っているうちに思い出しました。

 あとは、青い鳥文庫の倉橋燿子さんの『いちご』という本があって。アトピーに悩んでいる小学生の女の子が、信州の山の中に引っ越して、アトピーもだんだんよくなり、恋や人間関係の動きがあって...という話でした。このシリーズは夢中になりました。思い返せば、物語がいつも身近にありましたね。

――一色さんは京都生まれですよね。どのあたりだったのでしょう。

一色:京都の左京区の、イメージでいうと洛中の北の、ギリギリ洛中のあたりです。通学路でもあった鴨川や、近くにあった下鴨神社を遊び場にしていました。

――小学生時代は学校の図書室をよく利用したり?

一色:そうですね。公立の図書館にもよく行っていました。私が通っていた頃、学校にいじめが結構あり、人間関係ですごく悩んでいたんです。私は塾に通っていたんですけれど、塾の人間関係に救われました。その塾には図書コーナーがあって、司書さんと仲良くなって、そこでいろいろな本を薦めてもらいました。

 それで読んだ本のなかに、たとえば、遠藤周作の『沈黙』があります。司書さんに薦められて背伸びする気持ちで読みましたが、ハラハラして面白かったのを憶えています。他には小野不由美さんの『ゴーストハント』のシリーズや、森絵都さんの『カラフル』や『DIVE!!』も、塾のみんなで回し読みしていました。

――回し読みしたということは、本が好きな友達も多かったのでしょうか。

一色:そうだと思います。本を読む子たちと仲良くなって、その子たちとの間で回し読みする、という感じでした。

 特に塾で仲良かった子は、国語で毎回満点をとるような読書好きで。その子からいろいろお薦めされて、私も読みました。一番よく憶えているのは荻原規子さんの『空色勾玉』のシリーズでした。

――ご自身で物語を空想したりすることはありましたか。

一色:ありました。その頃、「ビデオワン」という一本1円で借りられるビデオレンタル屋さんが家の近くにありまして、そこでハリウッド映画や邦画を片っ端から借りていろいろ観ていたんです。初期の記憶に残っているのが、幼稚園か小学校低学年の頃に観た、たしか「赤ちゃんのおでかけ」というタイトルの映画でした。あかちゃんが悪い奴らをやっつける、みたいな話で、その二次創作として(笑)、あかちゃんが冒険するような話を書いていたと思います。ただ、将来作家になりたいといった気持ちはなかったです。

――一色さんは芸大に進学されていますが、美術に興味がわいたのはいつくらいだったのですか。

一色:中学生の頃に、自分は周りよりは絵が好きで得意らしいと気が付きました。それで描き始めたら、幸い褒めてくれる人がいて、ちょっと楽しくなったという程度です。その頃は別に美術史のほうに強い興味を持ったわけではなかったですね。

――では中学生時代の読書は。

一色:中学生の時は、まったく本を読まなくなりました。私、人生で一番楽しかった時期が、中学校時代なんです。小学校が本当に辛くて、この人たちから離れようという一心で受験を頑張った経緯もあって。中学では陰湿ないじめがなくて、部活でバレーボールに打ち込んで、ずっと友達と遊んでいました。自転車で京都市内を走り回って、これが青春か、みたいなことを思っていたんですけれど(笑)。なんだか毎日がただ単純に楽しくて仕方なかったんです。

――学校の先生とか、環境もよかったんでしょうかね。

一色:そうだと思います。キリスト教系の学校なんですけれど、先生もおおらかでしたし、聖書を読む時間があったり、讃美歌を歌ったりもして。聖書を読むこと自体はタルいんですけれど(笑)、面白い解釈をする授業があって。その頃、聖書を読んでいたおかげで、いまだに美術史研究に役立つこともあります。よく憶えているのは、新約聖書の放蕩息子のエピソードですね。兄弟がいて、兄は親孝行するんですよね。弟は放浪して分け与えられた財産を使い切るんですが、戻って来た時に父親が温かく迎え入れる。兄が不満をぶつけると「すべて受け入れなさい」と言われるというような内容だったと思います。私は絶対無理だなと思いました(笑)。

――中学校時代、本は読まなかったとのことですが、物語を書いたりはしていましたか。

一色:物語を書いてはいないんですけれど、本からインスピレーションを得た絵は描いていました。よく憶えているのは、地学の先生がレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を貸してくれて、そこからインスピレーションを得て描いた絵を先生に渡したことですね。下鴨神社に糺の森という深い森があるんですが、その世界観と合致したんです。それで森を描きたくなりました。

――水彩画ですが、油絵ですか。

一色:アクリルで描いていました。水彩画は小学校までは図画工作の時間に使っていたんですが、私はズボラな性格なのでどうしても色が濁ってしまい、それが苦手で。アクリル絵の具はぱっきり色が分かれるので性格に合っていました。

――漫画を描いたりは?

一色:描きました。友達を楽しませるために、二次創作として若干ストーリーをつけることもありました。基本、絵を描いたり、空想したり、ものをつくったりということが好きでした。

――さきほど京都市内を自転車で走り回ったとのことでしたが、地元の神社仏閣などによく行ったのですか。

一色:私はすごく行ってました。そもそも下鴨神社は遊び場でしたし、中高の頃は友だちとバスで遠出をして、神社仏閣を巡っていました。静かだし、ゆっくり喋れるので。一人のときも、特に観光するわけでなく、休憩しに行ったり、お庭をぼんやり見たりしていました。

 京都を離れてからは、考え事のできる自然の多い場所が少ないことがストレスでした。東京にはまだ公園もありますが、あちこちにあるわけじゃないですよね。それでホームシックになりました。それと京都に住んでいた頃、庭は放っておいたら苔がむして、わびさびの世界になっていくんだと思い込んでいたんです。京都を出てから、放っておいたら雑草が生えてくるだけだと気づきました(笑)。あれは全部ケアしていたんだなと驚きました。

国内女性作家たちの小説

――高校に進学してからは本を読みましたか。

一色:高校は厳しめの進学校で、大学受験のために詰め込み式の授業をする校風だったんですが、これがあんまり合わなくて。

 辛くなると本を読みたくなるというわけではないけれど、それで高校時代はすごく本を読みました。

 その高校でも気の合う本好きの友だちはいて、女性作家の本を回し読みするようになりました。当時だと村山由佳さんの『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズが私たちの間でものすごく人気で。ちょうど2003年に村山さんが『星々の舟』で直木賞を獲られたのでそれも読みました。

 他には林真理子さんは、働く女性の話が刺激的でした。たとえば、化粧品業界の話を書かれた『コスメティック』が印象的です。高校生の頃って、将来自分はどうなるんだろうって考えることが多かったので、小説の中に格好いい女性が出てくると、こういう生き方もあるんだなと夢が膨らんだり、その人がどういうふうにしてそうなったのか分析したりしていました。山本文緒さんは『恋愛中毒』や『プラナリア』が好きでした。山本さんの小説は他の作家さんと比べても、ズンとくるというか。どちらかというとブラックサイドを書かれるイメージがあって、そこが癖になりました。

 唯川恵さんの『肩ごしの恋人』は、「私たち高校生なのに不倫の話読んでます」みたいなノリで、みんなで回し読みしました(笑)。山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』などや、恩田陸さんとか、田辺聖子さんとか。田辺さんは『言い寄る』や『不機嫌な恋人』など、関西のスピリットが自分にぴったりと合いました。関西弁がたくさん出てくるのも心地よかった。

 あとはなんといっても江國香織さんです。私が小学生だった時に、幼馴染のお母さんから「この本、さゆりちゃんにすごく似た子が出てくるし、読んでみて」とプレゼントされたのが、『こうばしい日々』でした。男の子と女の子の話、二篇が入っていました。それが江國さんの作品との出合いでした。

 ただ、その時は小学生だったので、読んでもよくわからなかったんです。大人の小説だなというイメージでした。高校生の時にもう一回読んでみたら全然印象が違って、主人公に共感を持つことができたし、文体や言葉選びの端々に、他の小説家にはないものがあると感じました。小学生の時に「似ている」と言われたときは、「私のことを誤解してへんか?」と首を傾げたんですけれど、高校生になって読んでみると、ああ、私は早熟でませた子に思われていたんだろうな、ってわかりました(笑)。

 ちょうどその頃、本屋さんに大々的に『冷静と情熱のあいだ』が並んでいたんですよね。その光景はすごく憶えています。それも読んだけれども、やっぱりどっぷりハマったのは『落下する夕方』と『神様のボート』でした。この2冊はくり返し読みました。

――なぜそこまで没頭したのでしょう。

一色:『落下する夕方』は別れた恋人の新しい恋人が乗り込んできてなぜか同居が始まって、そうしたら別れた恋人までやってきて、という。なんていうか、読んでいるとこちらが情緒不安定になってくる。そんなに長篇でもないのに、読み手を引っ張る力が底知れなかった。『神様のボート』は母と娘の視点が切り替わっていく話で、これもなんというか思春期の女の子の琴線に触れるなにかがありました。逗子市が出てくるんですが、私は関西に住んでいるので行ったことがないんですよ。それでも、逗子の海岸で、スカートをはためかせながらお母さんが歩いていく描写をすごくお洒落に感じて、その世界観が好きでした。

――高校時代、絵画教室とか受験のための美術の予備校には通っていたのですか。

一色:両方を兼ねたところに通っていました。でも美術予備校とは違って、画塾という名前でしたし、受験以外の目的で通われている方も多いところでした。社会人の女性で、絵が好きだから通っているという方もいました。場所も先生の家で、畳何畳かの空間がふたつくらいあって、3人もいたら窮屈な部屋でしたし。

――ご自身は将来美術の道に進もうとは考えていなかったのですか。

一色:どうだったかな......。はっきり美術系大学に行きたいと意識したのは高校卒業間際でした。それまでは、大学受験からの逃避として画塾に通っていました。

 学校の先生や家族は、私は将来普通の大学に行って就職するものと思っていましたし、私もそうでした。デザイナーや絵描きなど、つくる側は絶対に無理だって。どうしてそう思ったかというと、画塾に大手の美術予備校のパンフレットがあったので見たら、合格者が入試で描いた絵の再現作品がたくさん載っていたんですよ。それがもう、びっくりするくらい上手くて。京都のしがない画塾に通っている私からすると、ありえない上手さで、つくる側を目指すという道は早々に諦めました。

 でも美大芸大への憧れはちょっとだけあったんですよね。ある時たまたま書店で美大受験の過去問を開いたら、つくる立場だけでなく、つくる人たちをサポートする立場になるための学科があると知ったんです。調べてみると、どうやら学芸員になったり美術史研究をする人のための学科で、私はここに行きたいと即決しました。

――受験科目って他の大学とはまた違ったりするのでしょうか。

一色:そうですね。英語は美術に関する文章を和訳する設問が出たりしますし、世界史や日本史も美術史に特化した問題が出ますね。実技に代わるものとして小論文があるんですけれど、それは作品やその画像をしばらく鑑賞して、造形的特質を原稿用紙に何枚も書く、などというような内容でした。それでやはり、特殊な勉強をしなくてはいけなかったです。なので、現役では無理で、世界史の教科書を買い直すくらいからはじめて、一年間名古屋の美術予備校に長距離バスで毎週通いながら、猛勉強し直しました。

学生時代に読んだ純文学、美術関連本

――そうして難関を突破して東京芸術大学に進学されて。大学生活はいかがでしたか。

一色:上石神井にある寮に住んで、ユニークな人間関係もありました。でも美術史のアカデミックな研究室だったので、修道士のようにコツコツと美術史などを勉強していく世界でした。

――学生時代に読んだのは、やはり美術関係のものが多かったのですか。

一色:大学時代は、人生のなかで一番読書をしました。だから美術関係だけでなく、小説や古典文学、哲学思想など、とにかく幅広かったです。

 まず小説の話をすると、ちょうど上京した頃に書店で並んでいたのが、その年に直木賞を獲られた桜庭一樹さんの『私の男』と、芥川賞を獲られた川上未映子さんの『乳と卵』だったんですよ。

 実は私、川上未映子さんの「純粋悲性批判」というブログをずっと読んでいたんです。高校3年生の頃にmixiやブログが流行り始めて、私も多感な時期だし文章を書くのが好きだったので、こんなに面白いツールはないと思い、自分でもブログを書いていたんです。それで、そもそもブログや日記とは一体なんだろうと興味を持ち、高校の調べ学習みたいな授業で日記文学について研究したことがあって。武田百合子さんの『富士日記』や島尾敏雄さんの『「死の棘」日記』などを読んでいくうちに、川上さんのブログに行きついたんだったと思います。小説とはまた違う、ブログ的な文体がすごく心地よかった。その川上さんの小説を書店で手にとったことが、大学に入ったばかりの出来事です。映像が立ち現れてくるような文章に惹かれて、それから川上さんの作品は詩も全部読んでいます。

 高校の時、『富士日記』もすごく好きだったんですよね。日々を丁寧に描写していて、悩みが多かった心に響いたところがありました。

――ご自身のブログはどんなことを書かれていたんでしょう。

一色:今から思えば、ポエティックで恥ずかしい内容です(笑)。2000年代中頃で、まだスマホも普及していなくて、ガラケーをネットに繋いでいたような頃です。でも、こんなに気楽に不特定多数の人に読んでもらえるんだということが新鮮でした。

――そして、川上さんに衝撃を受け、そこから読書はどのように広がっていったのでしょう。

一色:それまではストーリーを追ったり、謎が気になったりするところで読む面白さを味わっていたんですけれど、川上さんの小説を読んで、読んでいることそのものが面白い読書もあると気づきました。

 他に、そういう特色の作家を探して、全作読むようになったのが柴崎友香さんでした。柴崎さんの本は高校時代から京都を舞台にした『きょうのできごと』など何冊か読んでいて、特に好きだったのが『青空感傷ツアー』でした。女の子2人がいろんな観光地を巡って、ケンカしたり、男の子と出会ったりする話で、前向きな気持ちになるんです。柴崎さんの文章って、ものすごく五感がくすぐられる感じがします。内容も面白いんですけれど、読んでいるだけで気持ちいい。

 柴崎さんの『きょうのできごと』の文庫の解説で保阪和志さんが、最初の1ページだけで音とか光とか匂いとか自分の記憶とかが全部網羅されているといったことをお書きになられていて、その通りだなと思って。そういう視点で読むと、たしかに説明的な要素ゼロで五感が文章化されているんです。

 そういった流れで、大学に入ってからは純文系を読むことが多かったです。その頃に村上春樹もよく読みました。『ノルウェイの森』の頃の作品が入り口だったんですが、長篇よりも短篇のほうがピンと来ました。特に気に入っていたのは「眠り」という短篇です。

 三島由紀夫も結構読んでいました。『豊穣の海』もよかったんですが、『肉体の学校』が一番おすすめですね。めちゃくちゃ格好いい女性が年下の男性をはべらしていくっていう話で、振り切れていました(笑)。三島作品のなかでも傑作だなと思いました。

――美術関連の読書はどのようなものを?

一色:最初に入ったのが、椹木野衣さんの『日本・現代・美術』です。椹木さんはもともと「美術手帖」の編集部にいた方でずっと批評をやってらっしゃる。現代アートの村上隆さんや会田誠さんを早くにキュレーションした方で、今は多摩美の先生をされています。当時は美術をやるなら、作家になるにしても批評家になるにしてもキュレーターになるにしても椹木野衣は読んでおけ、みたいな風潮があって、私も椹木さんの本を最初に読んだのは、美術予備校に通っている時でした。この本もそうなんですけれど、文脈によってどんどんカメレオンのように変わっていく文章を書かれるので、学生からすると難解なんです。だけど、何かがあるように思わせる。

 それと、岡崎乾二郎さんと松浦寿夫さんの『絵画の準備を!』という本があって、これも大学生になりたての頃に買った一冊です。岡崎乾二郎さんという方は、哲学的で難解な文章なんですけれど、これもまた何かあるように思わせるのがすごく上手なんです。美術史だけでなく、哲学とか思想などの歴史もわかるし、古典であれ最近のものであれ、固有名詞がたくさん出てくるので、星座を繋げるような感じでどんどん広げて、つぎはあれを読もう、つぎはあれを、という調子で読んでいきました。一日中図書館にいて、ずっと本を読んでいるみたいな、人生のなかでも贅沢な時期でしたね。

――それらの本は、ド素人の私が読んだら難しいでしょうか、やはり......。

一色:美術系の固有名や専門用語など、共通言語がある前提で書かれているので、すらすらと読み進められる類のものではないかも......。私も大学1年生で読んだ時はまったくわからなかったんですけれど、何年も美術を勉強して業界を知るうちに、「こういうことか」とわかってくる感じでした。

 他には、写真について書かれたものに惹かれました。というのも、高校時代に画塾に通おうと思い立ったきっかけって、ドイツの現代写真家の展覧会だったんです。京都国立近代美術館でやっていた展覧会で、ヴォルフガング・ティルマンスやトーマス・デマンドの作品がありました。当時はまだスマホで撮影するなんてこともなかったのですが、絵筆を振らなくてもカメラでパシャパシャ撮れば表現ができるということで、表現としての写真に興味を持ちました。それで、写真のことについて書かれた本を集めていくようになりました。

 写真論にはいくつか古典みたいな本があるんです。ひとつはスーザン・ソンタグの『写真論』。これは大きな影響を受けて、読み込みました。久々に本棚から出してきたんですが、すごく付箋が貼ってありますね(と、モニター越しに見せる)。スーザン・ソンタグって守備範囲が広く、現代美術や映画についても書かれていて、どれも刺激的で面白いんです。ずっとがんを患っていてわりと最近亡くなった方なんですが、病気について書かれた『隠喩としての病い』や『他者の苦痛へのまなざし』は、人はどうやって生きるのか、人の痛みというものをどういうふうに感じるのかを、戦争などにも繋げて壮大に論じている。多感な大学1、2年の頃に読んだ時に、なんというか、すごく格好いいなと思いました。半分はわかっていないんですけれど、わかった気になって、そんな自分が誇らしい、みたいな(笑)。

 ロラン・バルトの『明るい部屋―写真についての覚書』もすごく読みました。「明るい部屋」というのは、カメラの構造そのものを指した隠喩的な言葉なのですが、この本では写真の撮り方とか技術的なことは一切書かれていなくて。むしろ、写真とはなにか、なにが私たちを惹きつけるのか、ということが延々と論じられています。作中、表紙にもなっている1枚の写真をめぐって、ロラン・バルトがいろいろ解釈をしていくんです。写真には意図と違って写りこんでしまうものがある。その意図せず写り込んだものが誰かの何かを連想させるのが面白いよね、ということを言っていると私は解釈したんですけれど。美術史のことを考えながら読むと、すごく腑に落ちる部分があったように思います。

――大学の授業では、美術に関することを全般的に学んだのですか。

一色:そうですね。日本美術、西洋美術、東洋美術、工芸、彫刻、建築、デザインなど、さまざまな分野の歴史や概念も学びますし、座学だけでなく、1、2年の頃は実技も一通り全部受講できました。油絵もあれば日本画、版画や写真の実習もあり、暗室で自分で現像したりもしました。それと古美術研究という研修旅行がありました。神社仏閣を巡って、「これはどの仏師が何年に作ったやつだ」とか。一日に何ヵ所という建造物、何十という仏像を見学するので、本当にへとへとになったのですが、日本美術研究も面白かったです。古文書を調べて、その仏像や絵巻が何年にどういった経緯で誰が注文してどういうふうに今に残っているのかということを、重箱の隅をつつくようにして紐解いていく。西洋美術史のやり方と全然違うところもありました。

東京で作家のイベントに行く

――東京生活は楽しかったですか。

一色:やはり京都は観光地とはいえ地方都市なので、東京は情報が集まってくる量が違うと思いました。東京では今まで読んできた本の作者がトークショーをしているし、美術展にしても、京都には各地を巡ってやっとくる感じだったのに、東京ではいろんな大型展覧会が同時にやっている。それが嬉しくていろんなところに足を運んでいました。

 すごく憶えているのが、表参道の青山ブックセンターで平野啓一郎さんのトークショーがあったことです。聞きに行こうとエスカレーターに乗ったら、目の前に平野さんがいらっしゃったんですよ。もう、心の中で「きゃー!」みたいな(笑)。東京に行くと芸能人に会えるってよく言うけれど、本当だなって。平野さんは芸能人ではないですけれど、自分が今まで読んできた本の作者にリアルで会えるなんて。たしか『ドーン』を出された頃だったと思います。

 当時、東浩紀さんもよく読んでいました。今も東さんはいろいろイベントをなさっているけれど、当時からそうで。私は京都にいた頃から『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』を読んでいて、東京に出てきた頃に『ゲーム的リアリズムの誕生』と出会って、これはすごいなと驚きました。というのも、兄とコミケに出店した経験や、その兄から摂取したサブカルや、自分が二次創作をしてきたことを言語化してくれたというか、批評してくれている文章だったからです。その頃は東さんのイベントには何度も行きました。たしか「今twitterやっている人いる?」みたいな質問をなさっていて、東さんは始めたばかりだと言っていました。それくらいの時期です。

――大学時代に小説は書いていましたか。

一色:書いていました。上京して、作家さんや出版社との距離が近くなった感覚があって、もしかすると自分もプレイヤーの一員になれるんじゃないか、という期待を抱くようになりました。それでちょっとやってみようかな、と。インプットするものがすごくたくさんあるからアウトプットしておこう、というような、ブログを書く時と似た動機でした。その流れで、実は、すばる文学賞で最終選考まで残ったことがあります。選考委員だった江國香織さんから「ビビットな作品だった」という選評をもらって、すごく嬉しかったです。そのときデビューできていたら、まったく違うタイプの作家になっていたかもしれません。

――ちょっと不思議なのが、一色さんはその後『このミステリーがすごい!』大賞からデビューされますが、あまりミステリー作品が挙がっていないような......。

一色:あ、読んではいるんですよ(笑)。中高生の頃は、それこそ『このミス』ご出身の海堂尊さんのファンでした。兄が話題の本として『チーム・バチスタの栄光』を教えてくれたのがきっかけだったと思います。作品同士に繫がりがある「桜宮サーガ」なので、他の作品もたくさん読みました。東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』や『流星の絆』も単行本が出た頃にリアルタイムで読んで、面白すぎてびっくりした記憶があります。ほかには松本清張なんかも読みましたし。

 ただ、私は本格ミステリーというよりは、ミステリーとエンタメ小説の中間にあるような作品が好きかもしれません。海堂さんの本も本格的な推理小説というよりは、エンタメに謎が絡んでいる印象がありますよね。私は、好きな作家といえば桐野夏生さんを最初に挙げるんですけれど、『OUT』や『柔らかな頬』も、サスペンスだけれどそれだけじゃない部分がある。

 それでいうと、純文学とエンタメの間にあるような作品に惹かれるのかもしれません。先に挙げた川上未映子さんや柴崎友香さんもそうですし、それと、吉田修一さんもほぼすべて読んできました。とくに『パレード』とか『東京湾景』が好きで、何回も読み返しました。『国宝』も圧倒されました。

ギャラリーの社長に薦められた本

――卒業後は、ギャラリーに勤務されたのですよね?

一色:現代アートを扱う大手ギャラリーで3年くらい働きました。

 就職してから小説はほとんど読まなくなって、ひたすらビジネス書というか、「世界はこれからどうなるのか」みたいな本を読んでいました。そのなかでよく憶えているのが、岩瀬大輔さんの『入社1年目の教科書』という働き方の本です。すごくいい本なので、今回のインタビューで必ず名前を挙げようと思っていました。題名にある通り、新入社員はどういう心構えで働いたらいいか、ということが書かれています。

 ギャラリーの社長さんがユニークな方で、毎月社員に本を買ってくれるんです。向こうから「君に足りないのはこれだ」みたいな感じで本をくれることもあり、そのなかの1冊にこの『入社1年目の教科書』がありました。

 私は、いきなり社会人になってしまったんですよね。卒業したらどうしようと思っていた頃にたまたまギャラリーで募集が出ていたので入社しただけだったので、リクルートスーツを着て、就活をして、社会人としてどう振る舞えばいいか学ぶといったことをせずに働き始めたので、社会人としてのノウハウがわからなかったんです。でも職場がものすごく厳しくて、同時期に入社したのに辞めてしまった子もいました。当時の私はメールで敬語をどう書いたらいいかわからなかったし、接客で失礼なことをしてしまったりして、どうしたらいいのか悩んでいました。その時に渡されたのが『入社1年目の教科書』で、もう、目からウロコなことがいっぱい書かれてありました。

 結局は誰よりも真剣にやれっていうことなんですけれど、すごく細かく書かれている。岩瀬さんは今は社長さんだけれども、ずっと外資系会社に勤めていたりして、いろいろ苦労された経験も書かれているので、それも面白かったです。

――社長さんもいい本をくださいましたね。

一色:はい。この社長さんが読書好きな方だったんです。普段から小説をよく読んでいるようで、話していると作家や作品の固有名詞がいろいろ出てくるんですね。そのうちのひとつが、橘玲さんの小説『マネーロンダリング』でした。なんか面白そうだなと思って読んでみたら、ミステリーなんですけれどサスペンス要素も高くて、めちゃめちゃ面白くって。こういうことを美術ものでやってみたら、すごく新しいものができるんじゃないかと思ったんですよね。

――おお、なるほど。それでさっそく書き始めたのですか。

一色:はい。だんだん仕事が楽しくなって、うまく余暇も作れるようになってきたので、ここは一念発起してみようかな、と書き始めました。大学時代にも小説を書いていましたが、ちゃんとプロットを立てて長編を練りあげたのは、それが初めてと言っていいと思います。

――それが『このミステリーがすごい!』大賞で大賞を受賞した『神の値段』なんですね。主人公が勤務するギャラリーの女性オーナーが殺される。そこに謎めいたアーティスト、オークションの裏側などが盛り込まれていく美術ミステリーです。

一色:その頃、そこまで系統立ててミステリーを読んでいたわけではなかったので、今となっては、もう一度書き直したい気持ちが少しあります(笑)が、やっぱりあのときだからこそ書けた作品ではありますね。

――しかもその頃、香港に留学されていませんか。

一色:はい。留学はデビュー前から決まっていたんです。ギャラリー勤務もすごくやりがいがあったんですが、若気の至りでもうちょっと勉強したいし、広い世界を見てみたい気持ちだったんです。西洋と東洋の関係性とかせめぎ合いがわかる場所はどこかと考えた時に、香港かシンガポールがいいなと思って。香港の先生といい出会いがあったのでそちらを選びました。私、その時、まだ修士号を取っていなかったんですよ。日本で学芸員をするなら修士号を持っていないとなかなか難しいので、修士号も取れるしいいかなと思って決めました。

――その頃の香港はどのような状況でしたか。

一色:ちょうど雨傘運動が落ち着いてすぐくらいの頃で、みんなすごくアクティブで、今ほど弾圧もされていなくて、エネルギーが渦巻いていました。ただ、私自身はちょうど『このミス』の賞を獲ってから単行本を出版するまでの時期だったんですよ。つまり、最後の手直しの期間だったんです。ずっと部屋で原稿を直していたので、香港で何かしたという記憶がなくて......。

 あとは編集者や選考委員の方々に「これは読んでおいたほうがいいよ」と言われたミステリーをずっと読んでいました。「パトリシア・ハイスミスは読んでおきなさい」「はい!」、「小池真理子さんも読みなさい」「はい!」みたいな感じで(笑)。それと、『このミス』の過去の受賞者の作品は全部読みました。大賞作品だけでなく優秀作品もすべて目を通しましたし、隠し玉もできる限り手にとりました。とくに中山七里さんの本は読破したので、後日お会いした時に紙袋いっぱいにご著書を持っていって「全部読みました」と言ったら、サインをくださったのが嬉しかったです。

――美術ミステリーを書いていこう、という気持ちはあったのですか。

一色:小説家として消えたくない気持ちがすごくありました。それを大前提として、自分が求められているものを考えてみると、編集者からいちばん依頼があるのが美術とミステリーだったので、だったらその題材で書けるようになろう、という気持ちでした。

――香港から帰国された後、美術館でお仕事されていたとか。

一色:都内の美術館の学芸課で日本を含むアジアの近現代美術を担当していましたが、それは任期がある仕事でした。その後、夫の仕事の関係で1年間イギリスに行っていました。そこで得た知識を『コンサバター 大英博物館の天才修復士』というシリーズに詰め込んだんですけれど(笑)。その後、これも夫の仕事の都合で静岡に越して、ふたたび美術館の学芸課で働いていました。でも今はそれも辞めて、完全に作家業専門です。書く仕事で食べていこうと腹をくくりました。

――ああ『コンサバター』のシリーズはイギリス滞在経験から生まれたのですね。ほかの作品でも、一色さんはいろんな切り口で美術とミステリーを組み合わせていらっしゃる。

一色:大学時代に学んだことも大きいですし、卒業した後も、自分があまり深く触れてこなかったことでも美術に関するなら、ある程度繫がりがあるので、専門家に話を聞きにいけるのは大きいかもしれません。

――エンタメの中で、美術をどう楽しむかを教えてくれるようなところもあって。

一色:恐縮です。私自身はあまり大それたことって怖れ多くて考えていなくて、読者の方が求めているものは何だろうというところから考えるようにしています。

美術×エンタメを書く

――デビュー後の読書生活は。

一色:デビュー後の読書は海外のミステリーが多いかもしれません。今ぱっと浮かんだのは、『ミレニアム』のシリーズとか。あのシリーズは「自分もこういう話が書けたら、どれだけ楽しいだろう」と羨ましくなりながら、夢中になって読みました。

 ミステリーもそれ以外も含め、人から「これ面白いよ」と言われたものはなるべく読むようにしています。特に海外のものは、アジア圏出身の方の作品をよく読みますね。ケン・リュウさんのSFもそうでだし、呉明益さんの『歩道橋の魔術師』なんかもものすごく面白かったです。

 それとは別に、デビュー後のものすごく濃厚な読書体験だったのが、五木寛之さんの『青春の門』です。これは第一部から最新刊まで、数ヵ月で一気に読んだんです。しかも1巻1巻が分厚いんですよね。

 担当してくださっている編集者さんがたまたま五木先生の担当でもある方で、話しているとよく五木先生の話が出てくるんですよ。それと、イツキとイッシキは五十音順にすると近いので(笑)、短編を文芸誌に掲載させてもらった時に五木先生と名前が並んでいて、親がすごく誇らしげで(笑)。そうしたこともあり、五木先生の本ってどんなものがあるんだろうと読んでみたんです。もう夢中になりました。五木先生の文章はエンタメ小説のお手本のような気がして、「海を見ていたジョニー」という短篇小説を全文書き写したりもしました。

――専業になられてからの、一日のサイクルはどのようになっていますか。

一色:今は1歳児の子供がいるのでバタバタですが、毎日焦らずコンスタントに書くようにしています。コロナ禍になってからすごく変わった気がします。それまでは、実際に経験したり、旅行したり、人と話をしたりすることが、書くために大切だと思い込んでいたんです。コロナ禍になってそれが無理になって、想像で書くしかない部分が出てきた時、意外とできると気づきました。だったら腰を据えて執筆をたんたんと進めることが今の自分には大切なんじゃないかと思うようになりました。

――新作の『カンヴァスの恋人たち』は、コロナ禍になってから書き始めたものでしょうか。

一色:ちょうど依頼をいただいた頃に、緊急事態宣言が始まった感じですね。

――地方都市の美術館に勤務する学芸員の史絵は、地元に暮らす80歳の女性画家、ヨシダカヲルの展覧会を担当することになる。ヨシダカヲルは戦後注目を浴びていたのに、表舞台から消えた過去があり...という。史絵自身の職場の人間関係や仕事、将来に対する悩みも丁寧に描かれます。

一色:これは「美術館のお仕事小説を書いてほしい」という依頼だったんです。

 でも書き始めてみると、「これ、私、楽しんで書けるかな」って思うようになって。今の自分はもっと、じっくり考えこむようなものが書きたい気がしたんです。考えてみると美術館って女性が多い職場でもあるので、ならば女性が働くことをテーマにしようかなと思いました。ご依頼くださった編集者さんも主人公の史恵と同じ年くらいの女性だったので、「いいですね」と言ってくださって。

――美術館のお仕事がよくわかりますね。どのように企画を進めるのかとか、画家とこんなふうに関係を深めていくのかとか。嫌な同僚もいますし。最初は「なんでタイトルに"恋人たち"ってあるんだろう?」って思ったんですが、最後まで読んで納得しました(笑)。謎はあるけれど、これはミステリーではないですよね。今後いろんな分野のものを書いていかれるのかな、と思いましたが。

一色:そうですね。ただ、どんなテーマやジャンルであっても、人を楽しませるという意味でのエンタメに徹したい、という気持ちが強いです。

 それこそ、奥田英朗さんの『最悪』のような、もう読み始めたら止まらない、巧みな小説を書きたいです。

――奥田さんの『最悪』とか『邪魔』とか最高ですよね。

一色:すごいなと思います。桐野夏生さんの『燕は戻ってこない』や『夜の谷を行く』のような、じわじわと追い詰められていくようなサスペンスも、もっと挑戦していきたいという憧れがすごくあります。

――今後のご予定を教えてください。

一色:今は美術が題材ではないものを書いています。これは年内に何らかの形で出せたらいいなと思っています。大正から昭和にかけて、日本ではじめて理髪師になった聾者が主人公です。耳の聞こえないその人の人生を現代の視点から追っていく、という話です。

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