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「犬橇事始」書評 冒険の限界超え大地に命を託す

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2023年09月02日
裸の大地 第2部 犬橇事始 著者:角幡 唯介 出版社:集英社 ジャンル:紀行・旅行記

ISBN: 9784087817317
発売⽇: 2023/07/05
サイズ: 20cm/357p

「犬橇事始」 [著]角幡唯介

 北極圏の小さな村であるシオラパルクは、冬のあいだ太陽の昇らない極夜に包まれる。
 著者の角幡唯介氏はこの極夜を単独で旅し、『極夜行』という作品を書いた。その後、本書のテーマである犬橇(いぬぞり)を始めたのは、獲物を捕りながら犬橇で氷河を旅すれば、さらなる先に広がる未知の土地へたどり着けるかもしれない――という思いにとらわれたからだという。
 〈狩猟者の視点を獲得して、その目で土地をとらえなおし、測量地図には載っていない《いい土地》を見つけ、そこから浮かびあがる素のままの《裸の大地》、これを旅するのだ〉
 極北の大地のより遠くへ、より深く――。
 そのために村で犬たちを調達し、自らのチームを作る格闘の描写はユーモラスであると同時に、冒険の本質を鋭く串刺しにしようとする熱量に満ちている。
 それにしても、本来は冒険者のみが感得し得るしかないだろう感覚を、ここまで文章表現に昇華できるのかと驚く。
 ときに喧嘩(けんか)や暴走する犬たちに手を焼きつつ、全くのゼロから作り出されていく犬橇での冒険の日々。それは著者の経験の一つひとつが、どのように身体化されていったかというプロセスでもある。
 また、犬橇による冒険のなかで、行為のもたらす「自由」の本質へと著者は接近していく。そこから紡ぎ出される思考は、私たちの生きる消費社会への痛烈な批評にもなっている。旅そのものを自らの力だけで生み出し、体験の「意味」を表現し切ろうとする迫力に圧倒されるのだ。
 著者はこの旅によって、目的地への到達を目指すという形の冒険の限界を超え、大地そのものを信頼し、命を託すという新たな領域に足を踏み入れた。
 一人の冒険家のそんな〈極私的地図〉が、いかに押し広げられていったか。その過程がまざまざと描かれた一冊だ。
    ◇
かくはた・ゆうすけ 1976年生まれ。ノンフィクション作家、探検家。著書に『空白の五マイル』『極夜行』など。