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杉本昌隆「師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常」 「理想の上司」が見せる包容力

 現代の若者のことを、Z世代、と呼ぶことがある。案外この言葉が世間で定着し、広く使われているのは、「Z世代の若者とどう接していいかわからない」という悩みが普遍的なものだからではないだろうか。そんな悩みをもった大人たちに手渡したいのが、本書である。本書はZ世代の筆頭である将棋棋士・藤井聡太さんを弟子に持った、通称「杉本師匠」の日常エッセイである。

 2002年生まれの若き天才藤井さんは、瞬く間に結果を残し、将棋に普段触れない人まで彼の人柄を知ることになった。本書はそんな藤井さんの師匠である杉本昌隆八段が、棋士の日常、藤井さんを弟子に持つことへの思い、そして将棋そのものへの愛情を綴(つづ)る。そのどれもがユーモラスに明るく綴られており、将棋のことをあまりよく知らない読者でも楽しめる内容になっている。

 藤井さんを見守る師匠がどのようなことを考え、どのようなことに気を遣いながら日々を過ごしているのか。師弟関係で弟子がこんなに優秀な場合、師匠は穏やかでいられないのではないか。そんな予想をもって読むと、杉本さんという筆者の語りのおおらかさに、いい意味で期待を裏切られる。藤井さんの活躍に内心さまざまな心配や気遣いを見せながらも、最終的には鷹揚(おうよう)な姿勢で応援する筆者の語りを読んでいると、令和の師弟関係とはこういうものか、と納得がいく。本書を読むと、杉本さんの包容力がこちらに伝わってきて、彼のことを「現代の理想の上司」とでも呼びたくなるのだ。

 杉本さんの師匠としての心構えは、将棋界にとどまらず、Z世代と呼ばれる会社の新入社員への対応をどうしていいか分からない、と悩める人々にとっても大きなヒントになるだろう。将棋界の懐の広さ、そして棋士という仕事の面白さを知らせてくれる本書は、令和の指導論としても魅力的な本なのである。部下を藤井聡太にするのは、あなたの指導なのかもしれない。=朝日新聞2023年9月30日掲載

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 文芸春秋・1760円=5刷4万3千部。6月刊。担当者によると「藤井七冠への興味・関心に加え、杉本八段のユーモアあふれる文章を読んで笑った、元気が出たなどの声が多い」。