ISBN: 9784862556981
発売⽇: 2023/10/13
サイズ: 20cm/815p
「ジダン研究」 [著]陣野俊史
フランス人サッカー選手として生ける伝説となり、近年はレアル・マドリードの監督も務めたジダン。本書は「ジダンのプレーや言葉を、自分の生きる信条としてきた」著者が、社会学や文芸評論の手法も駆使しながら、彼を「複数の文化の交錯する身体」として描ききった力作である。
ジダン家のルーツはアルジェリア北部のカビリーにあり、アルジェリア系フランス人という二重のアイデンティティが、彼の言動に独特の陰影を与えた。アルジェリア独立戦争以降の、両国の苦悶(くもん)の歴史をひもときながら、著者はジダンの人生の節目となった数々の試合を巧みに再現する。そして、そこにいかに複雑な歴史と情念がからみあっていたかを徹底的に解明するのである。
ジダンのいたフランス代表は「地球儀を線で結べた」ほど多民族的なチームであった。さまざまな差異や不協和音を含んだ移民社会フランスにあって、彼は稀有(けう)な求心力をもった。多様なアイデンティティが英雄ジダンに向かって収束してゆく――しかし、そのとき彼自身は実は「どこにもいない」。その不在が社会を照らし出すという逆説が、本書では繰り返される。
その一方、2006年ワールドカップ決勝でのジダンの謎めいたヘッドバット(頭突き)退場事件は、宗教学や神話学などにまたがる膨大な解釈を生み出してきた。私は正直半分ほどしかその内容を理解できなかったが、それでいい。著者の企図は「ヘッドバットの解釈学」が未知の生き物のように膨れあがるさまを、驚きやユーモアとともに再現することにあるのだから。
本書はジダンに関わるすべてを考え尽くそうとする、熱烈な探究の書である。この近年稀(まれ)に見る徹底性によって、寡黙なジダンが人々に勇気と誇りを「分け与える」多面体であったことが浮き彫りになる。メッシやムバペに魅了された若い世代こそ、この大著を臆せず手にとってほしい。
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じんの・としふみ 1961年生まれ。フランス文化研究者、文芸批評家。著書に『じゃがたら』『戦争へ、文学へ』など。