「長いのは書く気力がないし、短編もね、アイデアは思いつくんですが、よく考えたら、どれもこれも前に書いたのばーっかり。別の形で書く気にもならない。もし、この後に本が出るとしても、雑文集になっちゃいますね」
この3年、「(原稿用紙)10枚前後の作品しか書ける力がなくなった」と言いながらも一冊にまとまった新刊には25の掌編が並ぶ。SFあり、艶笑譚(えんしょうたん)あり、ドタバタ喜劇あり。コロナ下の日本の混乱ぶりをリズム感あふれる文体でつづった「コロナ追分」のような変わらぬ諧謔(かいぎゃく)精神を発揮した一編もある。筒井エッセンスがてんこ盛りだ。
なかでも本人が「最後の作品集」を意識して書いたのは「プレイバック」と表題作「カーテンコール」。前者は検査入院中の筒井さんのもとに、「時をかける少女」の芳山和子、唯野教授、富豪刑事、パプリカら、過去の作品の主人公が訪れては、非難めいた言葉を残して去っていく。後者は若いころに見て影響を受けた映画の記憶を、監督や俳優らの奔放な会話を連ねることで想起していく。
哀切きわまるのは「川のほとり」だ。3年前、病で亡くなった息子の伸輔さんを思って書いた一編。かなたに三途(さんず)の川が見える場所で、2人がしばしの会話を交わす。
「ものすごく悲しくて、その気持ちをどう表現できるかを考えた。でも、こんなのはうそっぱち。作家というのはね、こういう話で読者がほろっとして泣いたりすると、ニヤッと笑うものなんです」
とはいえ、作品集を通して漂うのは「老い」と「死」の影だ。今年3月、「初期作品を読んでからずっとイカレてきた」作家、大江健三郎が亡くなった。「プレイバック」は最後に、星新一、小松左京ら共に日本のSF界を支えながら鬼籍に入った作家たちが、どやどやと病室に訪れる。彼らは問うのだ。「あんただけは長生きだ。なんでなんだよ」
来年、90歳になる筒井さん。いま、死について何を思っているのだろうか。
「子供のころから死ぬのがずっと怖かった。周りの人が死ぬことを何も考えずに生きてるのが不思議で。わからない死をわかろうとして、ハイデガーなんかを一生懸命に読んでいたのかもしれない。いまはむしろ死は怖くない。死ぬときの苦痛が嫌で、なんとか楽に死ぬ方法はないかと考えています」(野波健祐)=朝日新聞2023年11月22日掲載